ミュンヘン・オーストリア短訪 ハルシュタットの歴史と岩塩坑 鷹取敦 掲載月日:2017年10月5日
|
||||||||||||||||||||||||||||||
ザンクト・ヴォルフガングから南下するとハルシュタット湖の北端の手前で道路が鉄道と交差しています。下の写真は踏切を通過する列車を待っている時のものです。翌日はこの線路を走る列車を乗り継いでウィーンに向かうこととなります。 ハルシュタット湖北端の踏切にて 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ザルツカンマーグートに限りませんがこの季節はキャンピングカーで夏の休暇を楽しむ人が多いようです。特に湖水地方であるザルツカンマーグートの湖畔はいい保養になりそうです。 ハルシュタット湖畔のキャンピングカー 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 高地の涼しい湖水地方では湖畔の道路でのサイクリングも気持ちよさそうです。 ハルシュタット湖畔のサイクリング 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■ハルシュタット(Hallstatt)ハルシュタットは人口2000人たらずのハルシュタット湖の西岸にある小さな街で、世界で最も美しい湖畔の街の1つとして知られています。「ハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」として1997年に世界遺産に登録されました。ハル(Hall)はケルト語で「塩」、シュタット(Statt)はドイツ語で「場所」を意味します。紀元前9〜2世紀の先史時代から岩塩が取れ、塩の交易により繁栄していました。現在、「世界最古の岩塩坑」が公開されています。紀元前800〜400年はこの地の名前より「ハルシュタット時代」と呼ばれています。 「ハルシュタット文化」(名称はこの地名に由来しています)は、中央ヨーロッパの広い地域において紀元前12世紀の青銅器時代後期から発展し、紀元前8〜6世紀にかけて主流となりました。西文化圏はケルト人、東文化圏はイリュリア人とされ、ハルシュタットの地における文化の担い手はイリュリア人とされています(参考1、参考2)。 以下、ハルシュタットの博物館における解説からハルシュタットの文化のおおまかな流れをまとめてみます。 イリュリア系と言われるハルシュタット原人達には大きな文化的発展があり、古代ギリシャ・ローマ世界と結びつきがあったようです。 紀元前400年頃、ケルト人の侵入が始まりザルツブルク、シュタイヤーマルク、ケルンテン、アルペンフォアランドなどが占領されました。イリュリア人が歴任してきた要職はケルト人に引き継がれ、2つの民族は融合していきました。 紀元前200年頃、ケルト人によるノリクム王国とローマ帝国が接触し、友好条約と同盟を結びましたが、紀元前15年にローマ帝国によりノリクムは占領され、占領軍がザルツカンマーグート、ハルシュタットに進入し住み着き、要職を引き継ぎ、塩採掘事業を管轄下におきました。 西暦200年後半、ローマ帝国はゲルマン民族の侵入を受け、ザルツカンマーグートも被害を受け、破壊され焼き払われました。476年にゲルマン王オドアケルが西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥスを解任するとローマ帝国軍はこの地から撤退します。 1000年頃、アルプスの塩鉱業はようやく重要性を取り戻すようになります。1284年オーストリア公爵アルブレヒト1世(後の神聖ローマ皇帝)は塩鉱を守るためハルシュタットの上方に塔を建てました。(アルブレヒト1世の父ルドルフ1世がハプスブルク家最初の神聖ローマ皇帝で、ナッサウ家のアドルフを挟んで、神聖ローマ皇帝位につきました。)アルブレヒト1世が亡くなった後、女王となった妻のエリザベートはハルシュタットの塩制度を組織化し、「国営事業」としました。この制度は1998年まで続きます。 以上がハルシュタットの博物館の説明から中世までの流れの概要です。イリュリア人→ケルト人→ゲルマン人とこの地の主人が代わってきたことが分かります。 当時、岩塩は「白い黄金」と呼ばれるほどの価値があり、ハプスブルク家はハルシュタットを直轄地とし、塩の取引により得た収入がハプスブルク家の財政を支えました。 (参考) 現在のハルシュタットは保養と観光の街として賑わっています。 下はグーグルマップによるハルシュタット湖南部の3次元表示です。北側から南側をみた様子で、右下の丸で囲んだ小さな部分がハルシュタットの街です。急峻な山に囲まれていることが分かります。 出典:グーグルマップ 一般の自動車はハルシュタットの街の南側にある通りのにあるゲート(下の写真)から内側には進入できません。ここでザルツカンマーグートめぐりの自動車から降り、徒歩で街の中心部にあるホテルに向かいました。 ハルシュタットの街の南端のゲート 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 右手にハルシュタット湖が、奥に小さく教会が見えています。ハルシュタットに2つある教会(カトリック教会とプロテスタント教会)のうちプロテスタント教会の方です。小さな街ですが驚くほど大勢の人で賑わっています。 ハルシュタットの街並み 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 湖沿いの通りのすぐ側まで山が迫っているため、多くの家は下の写真のように斜面に建っています。 ハルシュタットの街並み 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 右の黄色い壁の建物が宿泊したホテルで、奥がプロテスタント教会です。いずれもハルシュタットの街のマルクト広場(中央広場)に面しています。 プロテスタント教会 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 小さな街なので中央広場といっても下の写真のようにこぢんまりとしています。中央の噴水の像はキリストの十字架のようです。 マルクト広場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 街中では大勢の人が集ってお祭りのようでした。下の写真には「聖ネポムク祭」とあります。 聖ネポムクとは「ネポムクの聖ヨハネ(聖ヤン・ネポムツキー)」のようです。「ネポムクの聖ヨハネ」は南ボヘミア(現在のチェコの南部で、現在のオーストリア北部に接している地域)のネポムク出身の14世紀のプラハの司祭(後にプラハ大司教代理)で、王を怒らせたため拷問を受けて殉教、18世紀に列聖された聖人です。水難庇護者として橋の守護聖人として崇敬されています(参考)。 ちなみにボヘミアはドイツ系の住民とチェコ系の住民の住む地域でしたが、16世紀〜20世紀初頭(1918年チェコスロバキアとして独立)までハプスブルク家の領地でした。したがって、ネポムクの聖ヨハネが列聖された18世紀には、ハルシュタットと南ボヘミアは、同じハプスブルク家の領地でした。なお「ネポムクの聖ヨハネ」は村長だった父親の名前(ヴェルフリン)ドイツ系であったのではという説があります。 マルクト広場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■世界最古の岩塩坑の見学世界最古のハルシュタットの岩塩坑は現在も一部操業中ですが、観光客向けに整備された見学コースも整備されています。ケーブルカーと徒歩で岩塩坑入口まで上り、作業着に着替えて坑内を歩き、2カ所の木製の滑り台で滑り、最後にトロッコにまたがって出口に出る見学コースです。坑内には、趣向を凝らしたディスプレイや、映像での説明などがあり、坑内はガイドによるドイツ語と英語で交互にわかりやすく楽しい解説があり、子供から大人まで退屈することなく岩塩坑の歴史を学ぶことができます。また遊園地のように滑り台を滑っている様子の写真販売もあり、見学中に使用する音声ガイド用のスマホアプリまで用意されています。 岩塩坑に向かうケーブルカー 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ケーブルカーの終着駅からさらに徒歩で登りますが、途中に下の写真のように空中に突き出た展望台があります。順番にこの先端で記念撮影をしています。 ハルシュタット湖を一望できる展望台 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 岩塩坑の入口までちょっとしたハイキングです。 岩塩坑の入口へ向かう道 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ところどころに岩塩坑の歴史の解説と写真のディスプレイがあり、立ち止まって休みながら読めるようになっています。番号がふってありますが、アプリによる音声ガイドの番号とは対応していないようです。 岩塩坑の入口へ向かう道 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ようやく見学コース入口の建物に着きました。看板にある「SALZWELTEN」とは「塩の世界」という意味です。 見学コース入口の建物 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 上の建物で説明を受け、カラフルな作業服を着て(服の上から着ます)コースへ進みます。作業服を着るのは、坑夫の気分を出すためだけでなく、坑内の温度が低く寒いことと、滑り台を滑るのに汚れないように、という配慮のためと思われます。 岩塩坑に向かう階段 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ガーミンのランニングウォッチで標高を確認すると、ハルシュタット湖畔が423m程度、岩塩坑入口が844m程度なので、ケーブルカーと徒歩で420m程度登ってきたことが分かります。 標高 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 岩塩坑の入口です。トロッコの線路が坑内に向かっていますが、見学者は徒歩で坑内に入ります。 岩塩坑の入口 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 頭がぶつかりそうな狭い坑内を徒歩で進みます。 岩塩坑の坑内 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 残念ながらこの先は暗くてピントのあった写真がほとんど撮れませんでした。 採掘に関連する機器(実物)や縦坑(?)、坑夫の模型や、スクリーンに映される映像による説明等が複数あります。また高さの違う坑道から坑道へ木製の滑り台で一人ずつ滑り降りる場所が2カ所ありました。2カ所目では遊園地のジェットコースターのように自動で写真撮影があります。また、天井の岩塩に触ってなめてみるように言われたので、試したところ確かに塩の味がしました。 ガイドの説明はドイツ語とわかりやすい英語、映像はドイツ語の音声と英語字幕が多かったと思います。 下はかろうじて写真が撮れた場所です。池のようなところに映写される映像を見た後説明を受けているところです。 岩塩坑の坑内 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下は岩肌をスクリーン代わりに映像を映写しての説明です。通常の平らなスクリーンや、半球体のスクリーンを使うなど、岩塩坑の歴史の解説などまじめな映像を飽きずにみられるよう趣向を凝らした演出でした。 映像による説明 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 先史時代に落盤によって閉じ込められた坑夫と見られる塩漬けの状態の人間の遺体が1734年に坑道から発見されました。ソルトマンと名付けられています。 発掘された当時の坑内が透けて見えるスクリーンに当時の状況を再現した映像を重ねた説明もあり、リアリティと迫力がありました。塩を掘るのは男性、背負って運ぶのは女性の役割だったようです。 最後はトロッコにまたがって一気に出口まで移動します。ちょっと手を出したり、頭を上げたりするとぶつかりそうです。 トロッコによる移動 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ようやく明るく暖かい世界に出てきました。トロッコは下の写真のように台車に跨がる縦長の椅子がついているだけのものです。 岩塩坑出口 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 徒歩とケーブルカーでハルシュタットの街に降りました。ケーブルカーからみるハルシュタット湖が絶景です。 ケーブルカーから見るハルシュタット湖 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 つづく |