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ミュンヘン・オーストリア短訪

ホーフスブルク王宮・美術史博物館

鷹取敦

掲載月日:2017年10月5日
 独立系メディア E−wave
無断転載禁


内容目次
  1 歴史的背景
ミュンヘン 8/12 2 ミュンヘン(1) | 3 ミュンヘン(2)
8/13 4 ノイシュヴァンシュタイン城 | 5 フュッセン| 6 ヴィース教会
ザルツブルク 8/14 7 歴史・ミラベル宮殿 | 8 教会・モーツァルト | 9 レジデンツ・大聖堂
10 ホーエンザルツブルク城 | 11 サウンド・オブ・ミュージック
ザルツカンマーグート 8/15, 16 12 ザルツカンマーグート | 13 ハルシュタット(1) | 14 ハルシュタット(2)
ウィーン  8/16 15 リングシュトラーセ
8/17 16 旧市街・シュテファン大聖堂 | 17 ホーフブルク王宮・美術史博物館
18 シェーンブルン宮殿

■ホーフブルク(王宮)

 聖ペーター教会から王宮に向かうとミヒャエル広場に面したホーフブルク(王宮)の前に出ました。ミヒャエル広場は聖ミヒャエル教会が面している円形の広場です。

 ◆ホーフブルク公式サイト(英語版)


ホーフブルク王宮・ミヒャエル広場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 王宮前には遺構が外部から見える状態で残されています。下の写真の左手に王宮、右手に聖ミヒャエル教会があります。下の写真はホーフブルク王宮を見上げる筆者の背後に見える聖ミヒャエル教会です。


聖ミヒャエル教会 撮影:鷹取美加 CASIO EX-ZR1800


ホーフブルク(王宮)・ミヒャエル広場前の遺構
撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ホーフブルクが最初に建設されたのは1275年と言われています。その後、ハプスブルク家の王宮となり、神聖ローマ皇帝、オーストリア皇帝、オーストリア=ハンガリー皇帝の宮殿として使用されてきました。1533年以来、増築を繰り返し、18の翼棟と2000を超える部屋があります。現在は、オーストリア連邦大統領(オーストリア共和国の国家元首)の公邸がこの中にあります。(参考1参考2

 ハプスブルク家が最初に皇帝位についたのはルドルフ1世の1273年(13世紀)で、この時代にオーストリアを獲得しています。ハプスブルク家による世襲がはじまったのは1452年(15世紀)ですから、ホーフブルクが最初に建設されたのは、ハプスブルク家による王朝(皇帝位の世襲)がはじまる前、オーストリアを獲得してすぐということです。

 ホーフブルクは旧王宮と新王宮で構成されています。旧王宮にはミヒャエル広場の右手手前に宮廷銀器コレクション、右手奥にシシィ博物館、皇帝の部屋、左手手前にスペイン乗馬学校、左手奥にスイス宮、王宮礼拝堂、王宮宝物館、さらに左に国立図書館などがあります。新王宮にはエフェソス博物館、狩猟・武器コレクション、古楽器コレクション、民俗学博物館等の5つの博物館などがあります。

・宮廷銀器コレクション

 陶磁器、クリスタルガラス、豪華なセンターピースなどの食器セット、調理器具等、膨大な数の食器類が展示されています。東アジアの陶磁器等も含まれています。(参考

・シシィ博物館

 「シシィ」とは、オーストリア=ハンガリー帝国の実質的に最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフ1世の妃エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエの愛称です。

 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は1853年シシィの姉ヘレーネと見合いをしますが、皇帝はシシィを見初めて求婚しました。シシィにとってフランツ・ヨーゼフ1世は母方の従兄です。16歳で皇帝と結婚しますが、宮廷の厳格さに耐えられず、精神を病み、口実をみつけてはウィーンから逃避していました。

 最大の悲劇は息子ルドルフ皇太子の自殺(暗殺説もある)で、死ぬまで喪服を脱ぐことはありませんでした。1898年、旅行中のジュネーヴ・レマン湖のほとりで、イタリア人の無政府主義者に殺害され、生涯を閉じました。
参考1参考2

 生前は公務をほったらかしにするわがままな皇妃というイメージのあったシシィでしたが、1955年に制作された映画「プリンセス・シシィ」をはじめとした3部作が作られ、愛くるしいイメージが作られました。第1作は日本でも上映されました。その後もミュージカル等が上演され脚色された愛すべきお后としてのイメージが定着しています。(参考

 下のチケットで宮廷銀器コレクション、シシィ博物館、皇帝の部屋を見学できます。入館したのが10時40分頃で、大勢の見学者で賑わっていました。


シシィ博物館等のチケット 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

・皇帝の部屋

 フランツ・ヨーゼフの執務室、居室、寝室、皇妃エリーザベト(シシィ)の私室、アレキサンダーの間、皇帝家族の食堂棟等を見学しました。(参考

 フランツ・ヨーゼフは帝国に君臨する皇帝として、というよりも、帝国にとって非常に困難な時代に帝国の第一番目の大臣として、早朝から深夜まで勤勉に執務に取り組んでいたそうです。同時代のバイエルン王ルートヴィヒ2世が中世騎士道の世界に逃避し、ノイシュヴァンシュタイン城などの築城に入れ揚げていたのとは対照的です。


フランツ・ヨーゼフ1世(Wikipedia Commons)


 宮廷銀器コレクション、シシィ博物館、皇帝の部屋、アレキサンダーの間等を見学した後、宮廷の北西翼端から外に出て、シシィ博物館の反対側にまわります。スイス宮に面した広場で、フランツ2世(オーストリア皇帝としてはフランツ1世)の像があります。

 ちなみに、フランツ2世(1768〜1835年)は最後の神聖ローマ皇帝で最初のオーストリア皇帝フランツ1世です。一方、フランツ・ヨーゼフ1世(1830〜1916年)は、オーストリア皇帝としては3代目で実質的な最後の皇帝です。名前も同じでオーストリア皇帝としてはいずれも「1世」なので紛らわしいです。


フランツ2世像 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 南西に進むと左手に新王宮があります。新王宮の前にある像(下の写真の右端近く、2つ下の写真)は、オイゲン公の像です。オイゲン・フォン・ザヴォイエン(プリンツ・オイゲン)は、オーストリアに使えた軍人で、サヴォイア家の血を引くフランスの貴族です。1683年にオーストリアに渡ってハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルト1世に仕えました。(参考


新王宮 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


オイゲン公の像 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 オイゲン公の像の反対側にはカール大公の像があります。カール大公は神聖ローマ皇帝フランツ2世(オーストリア皇帝フランツ1世)の弟で、フランス革命戦争、ナポレオン戦争で活躍したオーストリア帝国軍人です。ナポレオンには及ばないものの優れた軍人の一人として評価されています。(参考


カール大公の像 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 宮廷の敷地内に下の写真のような給水所がありました。その場で水を飲む人、ペットボトルに水を詰める人などがいます。同じようなものは、シェーンブルン宮殿の近くなど他の場所にもありました。


給水所 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■美術史博物館

 この後、王宮の向かいにある美術史博物館に行きました。美術史博物館の建物とその前(自然史博物館との間)にあるマリア・テレジア像は前日見たので、そこで紹介しました。

 美術史博物館は、リングシュトラーセ建設の時期フランツ・ヨーゼフ1世の命により1872年に建設が開始され1891年に開館しました。コレクションの起源は15〜16世紀の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に遡ると言われ、歴代君主の収蔵品が追加され、古代から19世紀に至るヨーロッパ各地の美術品が納められています。


美術史博物館正面入口 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 1階に入口、中2階に彫刻・美術工芸品コレクション、エジプト・オリエントコレクション、古代コレクション、2階にオランダ、フラマン、ドイツ、イタリア、スペイン、フランス絵画、3階に貨幣コレクション等があります。

 全部で50近い展示室があり、高い壁面の下から上までびっしり絵画が展示されている部屋もあり、全体では膨大な数の出土品や絵画が展示されています。音声ガイドで主要な絵画の説明を聞きながら見てあるくことができます。中ではキャンパスを立てて模写している人もいました。


美術史博物館中央階段上の天井画 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 この後、軽食を取り、楽友協会の建物を外から見て、カールスプラッツ駅から地下鉄でシェーンブルン宮殿に向かいました。


楽友協会 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


カールスプラッツ駅へ降りる階段 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 カールスプラッツ駅からシェーンブルン駅までは6駅です。下の写真の一番右がカールスプラッツ駅、一番左がシェーンブルン駅を示しています。カールスプラッツ駅はU1、U2、U4の地下鉄3路線が通っています。


カールスプラッツ駅の路線図 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 地下鉄の路線図のうち旧市街、ほぼリングシュトラーセの範囲内が以下の写真です。これはシェーンブルン駅に掲示されていたものです。U1(赤)、U2(紫)、U3(橙)、U4(緑)の太線で示されています。これ以外にトラム(赤い細線)、バス(濃い緑線)の路線が示されています。

 地上から乗れるトラムが一番便利ですが、地下鉄を乗り継いでいくような場所は慣れないと少し面倒かもしれません。帰国日は早朝にフランツヨーゼフ駅(下の図では左上の範囲外)の近くの駅から空港に鉄道で移動したのですが、最短で行く場合には3回くらい乗り換えなければならず、乗り換えに要する時間が読めなかったので、ホテルから遠い駅まで歩き、乗り換え無しで移動することにしました。


地下鉄路線図 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の地図の赤い線が徒歩で移動したルートです。


グーグルマップより作成

つづく