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足尾銅山現地視察
足尾銅山
・渡良瀬遊水池
年表

青山貞一 池田こみち
掲載月日:2014年5月11日
 独立系メディア E−wave Tokyo


                     足尾銅山・渡良瀬遊水池 年表  

                                                  出典:主にWikipedia
年表 江戸時代
1610年 足尾銅山開山。
1816年 不況におちいり、この時、戸谷半兵衛光寿や森田助左衛門豊香ら、本庄宿の豪商が千両を上納し、
     困窮者の救済にあたる(戸谷半兵衛光寿が足尾銅山吹所世話役に任命される)。
1841年 田中正造が現栃木県佐野市小中町に産まれる。

戦前
1877年 古河市兵衛が足尾銅山の経営に携わる。
1884年 足尾銅山の銅生産量が日本一となる。
1885年 朝野新聞、鉱毒被害を報道。
1887年 松木村で大規模山火事。間藤付近まで飛び火する。
1890年 渡良瀬川の大洪水で鉱毒の被害が拡大する。
1891年 田中正造、第2回帝国議会で鉱業停止要求。
1896年 通洞が貫通
1896年 田中正造、第9議会において永久示談の不当性を追及。有志と雲竜寺に群馬栃木両県鉱毒事務所
     を設置。
1897年以降 禿山となった銅山周辺の山で植林がはじまる(2005年現在継続中)。
1897年 鉱毒被害民、大挙押出し。東京鉱山監督署長、足尾銅山に対して鉱毒除防工事命令。
1897年 足尾銅山に関する第1回鉱毒調査会を組織(会長は農相の榎本武揚)。
1898年 大蔵省、鉱毒被害民に対して地祖条例による普通荒地免租処分を通達。該当者は公民権喪失。
1900年 川俣事件発生。
1901年 田中正造、衆議院議員辞職。
1901年 田中正造、議会開院式より帰途の明治天皇に直訴状を提出しようとしてさえぎられる。
     麹町警察署にて取り調べ、夕刻釈放。
1901年 田中正造、巣鴨監獄に服役。銅山、松木村全域を買収。
1902年 足尾台風直撃。降水量315mm。被害甚大。
1903年 古河市兵衛死去、養子の古河潤吉(実父陸奥宗光)が足尾銅山の経営を担うようになる。
1904年 待矢場両堰普通水利組合との示談延長を停止。
1905年 経営会社を古河鉱業と改称。古河潤吉死去、古河市兵衛の実子である古河虎之助が後継者となる。
1906年 谷中村、廃村。日光精銅所操業開始。
1907年 足尾暴動事件。銅山施設の大部分が焼失。
1907年 足尾分署、足尾警察署として独立。
1907年 谷中堤内地権者、東京救済会の勧告に従い土地収用補償金額裁決不服訴訟を提起。
1911年 谷中村民16戸137人、北海道サロマベツ原野に移住(第1次)。
1912年 足尾鉄道(桐生 - 間藤間)(現在のわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線)開通。
1913年 田中正造死去。
1921年 古河商事破綻し、古河鉱業に合併される。
1926年 馬車鉄道廃止。ガソリンカーに転換。
1934年 沈殿池が溢れ渡良瀬川沿岸で鉱毒被害発生。待矢場両堰普通水利組合が派遣した監視員、銅山が故意に廃石などを河川に捨てるのを目撃、古河鉱業に厳重抗議。
1934年 北海道移住した旧谷中村民、帰郷請願書を栃木県知事に提出。
1944年 足尾銅山が軍需会社に指定(※1941年 - 1945年 第二次世界大戦)。

戦後
1950年 三栗谷用水、鉱毒沈砂池を設置。総工費3,200万円のうち100万円を古河鉱業の寄付金でまかなう。
1953年 待矢場両堰土地改良区と和解成立。土地改良資金800万円を寄付する。
1954年 小滝坑、廃止。
1956年 自溶製錬設備が完成し、亜硫酸ガスの排出が減少。
1958年 源五郎沢堆積場決壊。待矢場両堰に鉱毒が流入。毛里田村鉱毒根絶期成同盟会成立。
1961年 銅・鉛・亜鉛の貿易自由化決定 これ以降、国内鉱山は次第に経営難となる。
1966年 天狗沢堆積場が決壊。毛里田村鉱毒根絶期成同盟会、古河鉱業に抗議。
1968年 政府の水質審議会、渡良瀬川の銅濃度基準を0.06ppmで決定。
1970年 桐生市水道局、渡良瀬川から基準値を超える砒素を検出。
1971年 太田市毛里田地区の米からカドミウムが検出される。
1972年 太田市毛里田地区の米、土壌のカドミウム汚染は、足尾銅山が原因と群馬県が断定(古河鉱業は否認)。
1973年 足尾銅山閉山、製錬事業は継続される。

閉山後
1974年 毛里田鉱毒根絶期成同盟会と、15億5,000万円で和解が成立。
1976年 草木ダム竣工。
1980年 足尾町・足尾銅山観光がオープン。
1989年 JR足尾線がわたらせ渓谷鐵道への転換に伴い貨物廃止。足尾での製錬事業が事実上休止状態
     になった。
2002年 環境基準の強化により、本山製錬所での廃棄物焼却事業を休止。
2006年 足尾警察署廃止。足尾交番に。
2007年 足尾銅山を「負の遺産」として世界遺産暫定リスト記載に向け文化庁に要望書を提出。
     日本の地質百選に選定。経済産業省が取りまとめた近代化産業遺産群33に「足尾銅山関連遺産」
     として認定される。
2008年 通洞坑と宇都野火薬庫跡が国の史跡に指定。
2010年 製錬場が一部の施設を残して解体される。
2011年3月11日、1958年に決壊した源五郎沢堆積場が再び決壊。鉱毒汚染物質が渡良瀬川に
     流下し、下流の農業用水取水地点で基準値を超える鉛が検出される。また、決壊により
     わたらせ渓谷鉄道の線路が破損。同鉄道は運休を余儀なくされた。
2012年6月15日、「足尾銅山写真データベース」が正式公開される。


 後半の渡良瀬遊水池へつづく