エントランスへはここをクリック   


足尾銅山現地視察
(9)「通洞地区」から「本山地区」


青山貞一 池田こみち
掲載月日:2014年5月9日
 独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁

  
 ここでは、下のマップにある足尾銅山の@通洞から本山、A本山から松木、またB本山から
小滝
に車で移動しながら現地視察した内容を紹介する。


足尾銅山の3つの坑口の位置図
出典:足尾テラス http://ashio.org/

 下の地図は足尾銅山の3つの主要坑口と坑道をイメージ化したものである。ここではおもに本山と小滝に着目し現地視察した内容を紹介する。


グーグルマップの地形図から青山が作成
 
 下の地図は一般社団法人日光観光協会、足尾散策ガイドマップ である。2014年5月7日の
足尾銅山現地調査は、この地図をもとに行ったので、以下の地図をベースに以下の現地視察を
展開する。


出典:一般社団法人日光観光協会、足尾散策ガイドマップ  


@通洞から本山へ


出典:一般社団法人日光観光協会、足尾散策ガイドマップ をもとに青山が作製

 まず「通洞地区」だが、通洞地区の中心に国道122号線沿いに「足尾銅山観光」がある。「足尾銅山観光」については、すでに詳細を紹介した。足尾銅山のジオラマ、テーマパークである。わたらせ鐵道を挟んで 「足尾銅山観光」の反対側(北側)に「足尾歴史館」がある。
今回、「足尾歴史館」は休館していた。

 「通洞地区」に最も近いわたらせ鐵道の駅は通洞駅である。さらに国道122号線を「足尾銅山観光」から北東側に行くと、沿道に専念寺、本妙寺、呑龍寺などの寺がある。

 呑龍寺の北にわたらせ鐵道の足尾駅がある。足尾銅山が稼働した往事には、おそらく足尾駅周辺は非常に活況を呈していたであろう。しかし、現在は非常にひっそり閑散とした住宅地となっていた。


足尾駅にて
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

◆足尾駅本屋
 足尾駅は、大正元年に足尾銅山を経営する古河鉱業の事務所や古河掛水倶楽部があった足尾銅山の中枢部に大正元年に設けられた。当時の本屋は、現在の大間々駅と同じく入母屋造で、切妻造であった他小規模な駅とは異なっていた。本屋は昭和13年に改修されたが、特に外部は大きな改造もなく、今も現役で使用されている木造平屋建ての素朴な建物である。


通洞地区から本山地区へ    出典:グーグルアース

 わたらせ渓谷鐵道の通洞駅と足尾駅との間に足尾キリスト教会がある。この教会は日光市の解説板にあるように、鉱山労働者とキリスト教伝道との関連において歴史上重要なものである。


出典:グーグルマップ




出典:グーグルストリートビュー

 国道122号線を足尾駅の少し北側で左折し(栃木)県道250号線を北上すると「本山地区」に入る。「本山地区」の入り口にわたらせ鐵道の間藤駅(まとう)がある。桐生駅を起点とするわたらせ鐵道は、この間藤駅が終点となる。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 松木川沿いに県道250号線を北上すると、県道250号から「本山地区」に渡る橋梁がある。これが有名な古河橋である。下の写真は、左の橋が旧古河橋、右の橋が新古河橋である。下を流れる川は渡良瀬川に流れ込む松木川である。ただし下の写真2枚はいずれも県道250号線から松木川を渡った位置から県道250号線を写している。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


旧古河橋前にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

◆古河橋

 古河鉱業(現・古河機械金属)足尾銅山の専用電気軌道(後の足尾銅山馬車鉄道の一部となる)を施設した際、1891年(明治24年)1月1日に開通した、松木川に架かる全長48.5mのアーチ橋である。

 旧足尾本山駅があった本山地区は、足尾銅山の操業の中心地であった。その本山地区と社宅などが立ち並んでいる赤倉地区の間には松木川が流れているため、両区を結ぶために1884年(明治17年)に木造の直利橋(なおりばし)が架設されたが、1887年(明治20年)4月8日に松木村の大火で消失してしまった。そのため、足尾銅山から足尾製錬の製錬所までの鉱石運搬用として、直利橋の跡にドイツ人の設計により本橋梁が架設されている。

 本橋梁は1890年(明治23年)6月に着工したが、同年8月22日に松木川が大洪水になり足場が流失するという事故に遭った。同年10月26日に再開後は、突貫工事を行い同年12月28日に竣功した。翌年の1891年(明治24年)には、鉄道道路併用橋として日本初となる実用化された単線の電気鉄道が施設されている。

 その後は、道路橋にそのまま転用されており補強工事も行われていたが、本橋梁の老朽化に伴い、南側に新古河橋が1993年(平成5年)に架設されたため、現在は歩道橋として整備・保存されている。なお、時期は不明であるが、橋の入り口に柵が設けられ立ち入り禁止となっている。
本橋梁は日光市指定文化財に指定されている[3]。また、土木学会による「近代土木遺産2800選Bランク」にも選出されている。

出典:Wikipedia

◆古河橋(ふるかわばし)

 この橋は、赤倉と本山(ほんざん)を結び、明治23年(1890)12月に完成した日本でも初期の道路用鉄橋として記念すべきものである。

 当時本山は足尾銅山の中心をなし、鉱業所、有木坑、選鉱場、社宅などがあり交通量も多大であったため、明治18年に木造の直利橋が架設されたが、明治20年4月8日、松木からの火災で焼失したのでこの跡にドイツ人の設計によりこの古河橋(形式、ボーストリング、ワーレントラス方式、長さ50m、巾4.6m)が架設されたものである。

 現在は老朽化も著しく歩道用として利用されており、隣に新古河橋が平成5年(1993)に架設された。

                                 昭和58年12月   日光市教育委員会


出典:グーグルストリートビュー

 下の写真2枚は、古河橋を渡り「本山地区」に入ってすぐのところにある古河鉱業の足尾製錬所の一部である。


古河鉱業の足尾製錬所の一部
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


古河鉱業の足尾製錬所の一部
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 一方、橋を渡らず県道250号をさらに北上すると渡良瀬川の対岸に、足尾鉱山製錬工場の大きな煙突(高さ50m、直径5m)が見える。煙突の手前は松木川である。


現在の足尾銅山、古河鉱業 足尾製錬所(跡) 前を流れる川は松木川
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 以下はグーグルマップのストリートビューで見た古河鉱業 足尾製錬所(跡) である。2010年に大部分の工場設備を撤去した跡には写真にあるおおきな煙突など、ごく一部の施設のみが残されている。


出典:グーグルストリートビュー

 下は往事の足尾銅山、古河鉱業 足尾製錬所の工場群の配置イメージである。


古河鉱業足尾製錬所の施設配置図イメージ 方位は上が西 

 下の3枚の写真は、往事の「本山地区」の足尾銅山の工場群である。これらの工場は2010年に大部分が解体されており残っているのは上の写真など一部となっている。


足尾銅山、古河鉱業 足尾製錬所
出典:足尾環境学習センター 


1895年頃の古河鉱業、足尾製錬所 
出典:Wikipedia


足尾銅山 古河鉱業、足尾製錬所 
出典:足尾環境学習センター

 なお、足尾銅山、古河鉱業、足尾製錬所は2010年に大部分(おそらく90%以上)の施設、設備を解体、撤去した。したがって、現在見える施設はおおきな煙突などごく一部だけである。

 2010年より前に、現地に入り写真を撮影してきたひとがいて、写真をホームページ上で公開している。非常に貴重な写真場であるので、ぜひご覧いただきたい!



 ◆
廃墟探索報告写真集

  呼称・足尾銅山・本山製錬所 硫酸工場 沈殿湖場所・栃木県
 
最後のコーナーを過ぎるとそこには地上からは見渡せなかった工場施設が。1956年にこの施設が稼動するまでは、1日に約100トンもの濃硫酸が製錬所付近に撒き散らされていた。足尾銅山と言うと「田中正造」、「鉱毒事件」が良く知られているが、煙害の被害はその以前から発生していた。硫酸工場稼動後も大煙突から排出された鉱煙が「松木村」を直撃し 農作物が育たなくなったその村は消滅した。  

 

 


 
 
  出典:<廃墟探索報告>
 芝公園公太郎ブログ 「廃墟デフレスパイラル」


 2010年に大煙突など、ごく一部の施設、設備を残し、足尾銅山、古河製錬所は、解体、撤去されている。したがって誰も当時の足尾銅山、古河製錬所を誰もみることはできない。

 本来、すべきは2010年前の足尾銅山、古河製錬所のすべてを世界遺産として登録し、誰でもが歴史の負の遺産を見られることであったはずである。

 これではまさにナチス・ドイツがポーランドのアウシュビッツ、マイダネクなどの強制収容所を戦争終結時に破壊し、歴史上から隠ぺい工作したことと同じことを、古河側が行い、それを国や県がそれらを認めたことになりかねない。現地を視察し、つくづくそれを感じた。


◆古河鉱業についての解説

【足尾[町]】より
…わたらせ渓谷鉄道線が通じる。1610年(慶長15)に発見され,江戸幕府直轄の銅山として栄えた足尾鉱山を中心に発達した鉱山町で,鉱山は明治初期に古河鉱業(現,古河機械金属)の経営に移ったが,大正中期の最盛期には人口3万8000人を数え,県内では宇都宮市に次いだ。明治中期には足尾鉱毒事件が起こり,大正期にかけて労働争議が頻発した。…

【足尾鉱山】より
…渡良瀬川の源流地帯,栃木県上都賀郡足尾町にある江戸時代以来の日本の代表的銅山。鉱業権者は古河鉱業(現,古河機械金属)で,古河グループ発祥の地である。鉱床は,足尾山地を構成する秩父古生層の砂岩,粘板岩およびチャートを貫いて噴出した足尾流紋岩に伴うもので,銅を主とする多鉱種の鉱石を産する。…

【古河機械金属[株]】より
…銅など非鉄金属の製錬と建設機械製造を主力とする名門企業。1989年10月に,社名を古河鉱業(株)から古河機械金属(株)に改称。その前身は1875年(明治8)に古河市兵衛が東京・深川に設立した古河本店で,同年渋沢栄一の助力を得て草倉銅山(新潟県),77年足尾銅山(栃木県)の経営を開始した。…

出典:コトバンク

 下の写真は、足尾銅山製錬所と県道250線の位置関係を示したものである。


出典:グーグルマップ ストリートビュー

 さらに県道250号線を北上すると、道路に右側に龍蔵寺がある。 この龍蔵寺には、「本山地区」にあった墓石などが移設されているとともに、鉱毒で倒れていった渡抗夫と呼ばれる全国を渡り歩く抗夫たちの慰霊碑も設置されている。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

◆龍蔵寺(りゅうぞうじ)

 大宝元年(701)に役の行者が創立し、後に慈覚大師が再興したと言われている。以後勝道上人の縁をもって日光山と関係を深めながら輪王寺の末となった。

 明治20年の大火で焼失したが同28年に再建した。境内には明治政府打倒を企てた大忍坊、桜正坊の墓がある他、廃村松木村無縁塔や親分子分の坑夫の墓がある。 
                                       日光市

 下の写真は、、「本山地区」にあった無縁仏や墓石などを移設してつくられプラミッド型の石塔。よく見ると、一つ一つの墓石が見える。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下の写真は、県道250号線と龍蔵寺との位置関係を示している。


出典:グーグルマップ ストリートビュー


◆旧松木村の無縁石塔

 この地に足尾製錬所が建てられたのは、明治17年(1884)である。製錬所で鉱石を溶かす時に出る煙の中には、有害な亜硫酸ガスが含まれ、付近の草木を枯らす、いわゆる煙害が出始めた。

 松木村の記録によれば、明治21年には桑の木が全滅し、22年には養蚕を廃止した。20町歩(約20ヘクタール)の農作物(大麦、小麦、大豆、小豆、ヒエ、キビ、大根、人参)は、33年までに次々と無収穫となった。

 明治25年まで40戸、人口270名だったものが、33年に戸数30戸、人口174名に減り、34年には1戸を残して全員松木を去り、廃村となった。この煙害問題はその後も50年間解決されなかった。

 しかし、昭和31年(1956)自溶製錬法が採用され、硫酸工場が建設され、煙からの濃硫酸を採るようになって、やっとその根源を断つことに成功し、問題は砂防、造林事業に移った。

 たまたま昭和31年、足尾ダム(三川合流ダム)が完成し、日本一の砂防ダムとなった。その折、松木川に添った旧松木村の無縁仏をこの龍蔵寺境内に合祀した。なお、久蔵川に添った旧久蔵村の無縁石塔、仁田元川に添った仁田元村の無縁墓(昭和56年12月建設)もこの境内にある。

                                        昭和57年3月   龍 蔵 寺


つづく