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妙本妙寺の蛇苦止堂寺の蛇苦止堂 出典:孝氏、グーグルストリートビュー はじめに 安国論寺1 安国論寺2 安国論寺 南面窟 妙法寺1 妙法寺2 妙本寺1 妙本寺2 妙本寺3 比企一族供養塔 蛇苦止堂 本覚寺 えびす堂 日蓮辻説法跡 光則寺 日朗土牢 雨乞伝説・霊光寺 ◆蛇苦止堂(じゃくしどう) 以下は総門を入り方丈門手前を左折し階段を上った奥にある蛇苦止堂である。 妙本妙寺の蛇苦止堂寺の蛇苦止堂 出典:以下の文を含め妙法寺公式Web ◆蛇苦止堂(じゃくしどう)の解説 蛇苦止堂は比企谷妙本寺の守り神(鎮守)蛇苦止明神(じゃくしみょうじん)を祀るお堂である。 比企能員の娘、讃岐局が2代将軍 頼家公の側室となり、一幡(いちまん)之君を授かり、将軍家の外戚関係になった時から北条一族は比企一族を最大のライバルとして敵視し、ついに建仁3年9月2日、党首能員をはじめ、一族郎党は北条家の手にかかって討ち滅ぼされた。 讃岐局、一幡之君もこの比企谷の地で火攻めに遭い、讃岐局は池(一説には井戸)に身を投げ、一幡之君もまた六歳の幼さをもって焼死しました。 妙本寺の境内にひっそりとたつ五輪の塔は一幡之君の着衣の袖を供養したものと伝えられている(一幡之君袖塚)。そして、この乱より50年ほど後、北条政村の娘が何かに取憑かれて座敷をのたうち回り苦しみ、「北条家に恨みがある。わらわは讃岐局。今は蛇身を受け、比企谷の土中で苦しみを受けている」と語った。 讃岐局の弟にあたる比企能本は日蓮聖人に救いを求め、日蓮聖人は、讃岐局の怨霊を法華経の功徳を以て成仏せしめ、蛇苦止明神と名付けて祀った。それ以来、今も毎月1日(正月は2日)に例祭をつとめ、信徒と共に法華経読誦唱題が続けられている。 出典:妙法寺公式Web 本覚寺へつづく |