|
||||||||||||||
一方、勿来に近いいわき市岩間地区は、3.11の津波で壊滅的な被害を受けた。2011年4月上旬に視察したときは自衛隊も出動し瓦礫処理をしていた。 いわき市岩間地区 出典:グーグルマップ 下は2011年4月16日にいわき市の広田次男弁護士の先導で現地調査したときの動画である。 津波で壊滅したいわき市岩間地区の住宅地の実態 動画撮影:青山貞一、2011年4月16日 今回の現地視察(2011年12月25日)では、瓦礫はほとんどすべて撤去され、家屋の土台だけが残っていた。しかし、まちそのものの復旧、復興の兆しは見えていなかった。 いわき市岩間地区の住宅地復旧状況(12月25日の現地視察) 動画撮影:青山貞一、2011年4月16日 下の写真は、いわき市岩間地区の被災地に高く積まれた瓦礫とその前にある家畜や動物たちの慰霊碑。 なお、4月時点で近くにある墓地の墓石はことごとく倒れたり壊れていたが、それらはすべて修復されていた。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.12.25 下は、勿来関から岩間の被災地に降りてゆく途中にであった岩間楫取(かじとり)神社の入り口とその由来である。この神社も高台に登る途中にあり被災は免れていた。さすがである! 岩間楫取大神(かじとり)神社の入り口 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.12.25 下は、岩間楫取津神社由来」である。 寛文四年、御嵯峨天皇の丙午の年、岩間次郎敬隆重、領内の海産業興隆を祈願し摂津の国津ノ宮の分霊を勧請一社を建立したに始まる。古来、大字岩間字輪山弐拾八番地に鎮座の折、土砂崩れの為社殿倒壊により昭和拾参年四月八日現在地に遷宮。旧稱。津明神一名楫取津神社とある。 祭神(表筒男命 中筒男命 底筒男命)付記、境内にある通稱八坂神社は正確には北野天神で祭神は菅原道真公であると書かれている。 岩間楫取大神(かじとり)神社の由来 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.12.25 つづく |