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<奧会津>
いつもと変わらない南会津

青山貞一
 
池田こみち
掲載月日:2011年1月5日
 独立系メディア E−wave 無断転載禁

第5次福島県内現地調査〜歴史文化編〜(2011.12.25-27)
@<北茨城>六角堂と岡倉天心 F<会津若松市>蒲生氏郷と鶴ヶ城
A<いわき市>勿来の関 G<会津若松市>蒲生氏郷と茶室・麟閣
B<いわき市>勿来火力の復旧状況   H<奧会津>西会津の冬景色
C<いわき市>岩間の復旧状況 I<奧会津>下郷町の雪風景と大内宿
D<いわき市>漁港の復旧・復興状況 J<奧会津>いつもと変わらない南会津
E<いわき市>豊間海岸と薄磯海岸

 3日目(12月27日)は調査の最終日、会津若松市を南下し、南会津に向かい、その後、那須塩原、矢板を経由して帰京する予定だ。


今回の調査対象地区となった会津若松地区
出典:マピオン
 
 下郷町を後に私たちは南会津町に向かった。下郷町から南会津まではそれほど時間がかからなかった。

 下の写真は、南会津町の市街地に入ってすぐのものだ。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 民家の軒のツララを撮影してみた。


民家の軒のツララ
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 走行しているうちに南会津町の役場に到着。


福島県南会津町役場前にて
撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10  2011.12.27

 この後、南会津町の中心駅、会津田島駅に到着した。


南会津の東武会津田島駅
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27


南会津の東武会津田島駅
撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10  2011.12.27

 南会津駅で昼食をとる。

 幸い駅舎の2階にイタリア料理店、レストラン・ヴォーノがある。

 早速二階に上る。頼んだのは、何とトマト・ラーメン。これが何と絶品だ。こればかりは、食べていただかないと分からない。機会があったらぜひ食べてみて欲しい!麺にはアスパラが練り込まれていて緑色をしている。イタリアンらしくニョッキも入っていた(白い部分)。見るほどに濃厚ではなく、塩味でさっぱりしていて、超ヘルシーだ。


駅舎2階にあったイタリア料理店、レストラン・ヴォーノのトマト・ラーメン



 会津田島駅は、JRではなく東武電鉄の駅だ。駅舎の中に入ると、下の電子掲示板があった。この駅から東京の浅草まで一本でつながっているではないか!

 駅員に聞けば、一番線の電車が浅草に着くのは、午後4時14分、約4時間半もかかる。


東武会津田島駅にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

  下の掲示板は南会津町駅にあったものだが、南会津町の中心地田島地区に田島祇園祭が描かれている。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 祇園と言えば京都八坂神社だが、なぜ南会津か?

 下は田島祇園祭の由来である。

◆田島祇園祭の由来

 今から約800年以上の昔、鎌倉時代の 文治年間に、この地方を治めることになった長沼五郎宗政が、旧地で信仰の厚かった 牛頭天王・須佐之男、命を奉斎し、天王社として祭ったことが始まりで、その後、今から400年前の慶長8年に、領主長沼盛実が京都八坂神社に準じた祭礼格礼を取り入れ、「祭の決まり」を定めて、現在の祇園祭に至ったとされています。 

  祇園信仰は疫病から守ってもらう祈りや、自分たちの元にこないように祓ってもらう信仰です。

 伊達政宗が会津を支配した時代に、一時、祭は出来なくなりましたが、祭礼を定めた慶長8年に住民が当時の城代小倉作左衛門にお願いして、祭が再興されました。当時は、天王祭と呼んで6月15日に行われていたようです。

  明治4年、天王社は田出宇賀神社に合祀となり、田出宇賀神社例祭が祇園祭と合併の祭日となりました。

 更には熊野神社の例祭日が明治12年に同一日になるなど、様々な改変を重ねてきましたが、祇園祭の伝統は、牛頭天王奉鎮以来の社家である現宮司室井家により、脈々と今に伝わり、その礼式が保持されています。

  このように、現在の祭礼の形態は幾多の変遷を重ねてきていますが、慶長の復興願いの「しきたり」が基本となっているといわれています。

出典:http://www.minamiaizu.org/gion/index.html


出典:ポスターより

 実際、南会津町からの帰途、まちのあちこちに山車の格納庫を見た。ただし、この田島祇園祭は、6月に開催されるということだ。

 ところで、下のポスターは南会津の田島駅でみたものだ。「いつもと変わらない南会津」というキャッチコピーがある。なかなかおつなフレーズだが、いまどき、「いつもと変わらない」ためには、それなりの相当の努力がなければならない。

 ビスコンティ監督によるイタリア映画、「山猫」にあるあの有名なフレーズ、すなわち 「変わらずに残るためには変わらなければならない」 だ。

 3.11で地震、津波、福島第一原発事故という3重苦の福島県が。「いつもと変わらない福島県」であるためには、自分たちが変わらなければならないのだ!!



いつも変わらない南会津のポスター
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 南会津町も多くの町村が合併して出来た町である。田島町が中心となり・舘岩村・伊南村・南郷村が合併し平成18年3月20日に誕生している。

 南会津町は会津若松市から約45km の位置にあり、関東から見て東北地方の南の玄関口となる地域となっている。

 地形は、越後山系から連なる帝釈山(標高2,059.6m)を最高峰に、山に囲まれており南会津町庁舎の標高は550mである。

 河川は、荒海山を源とする阿賀川水系と伊南川水系の2つを有し、水系とその支流沿いに5本の国道が走り集落が点在している。

 気候は、夏は朝夕しのぎやすく、冬は厳しい日本海型に属し、特に西部地区は特別豪雪地帯に指定されている。

 本町の歴史は鎌倉時代に長沼氏の所領として田島地域に鴫山城が築かれ、江戸時代には、舘岩・伊南・南郷地域ともに幕府直轄「天領御蔵入」となり、その後も会津西街道の主要宿場町として栄えてきたという。

 私たちは南会津町を後に一路東京を目指し、車を飛ばす。通過した自治体は、日光市、那須塩原市、矢板市、栃木市、佐野市、足利市、太田市、伊勢原市、高崎市、藤岡市、上里町、本庄町、東松山市、嵐山町、坂戸町、鶴ヶ島市、川越市、狭山市、入間市、三芳町、所沢市とたくさんあった。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27
 
 下は南会津から栃木県日光市に向かう途中の風景だ。雪で道路が埋もれていることが分かる。 
  


栃木県塩原にて。南会津から塩原に向かう道路はこの通り雪で
路面が見えなく危なかった
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27


南会津町から那須塩原市に向かう途中の風景。
雪で行く手が見えないほどだった!
動画撮影:青山貞一 YashikaHD  2011.12.27
 
 やっとのことで那須塩原市に入る。


那須塩原には0.8マイクロシーベルト/hなどの
ホットスポットがたくさんあった
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27


撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10  2011.12.27

 放射線測定の結果は以下を見てもらうと分かるが、那須塩原地区の放射線量は非常に高い。そして、多くのホットスポットが存在していた。これは前回調査でも同じだ。  

福島県会津若松〜下郷〜南会津
栃木県那須塩原〜矢板〜足利
群馬県大田桐生〜高崎〜東京

↑走行方向
図   市町村別平均値 単位:μSv/h
     前回調査(第4次) 期日:2011年10月16日
     今回調査(第5次) 期日:2011年12月25日〜27日

 那須塩原市を通過し、矢板に到着した。下は道の駅やいた から撮影した南会津の山々だ。


栃木県矢板市の道の駅矢板にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

この論考、これで終了