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目眩く歴史の要所で「茶の湯」など稀有な文化が偲ばれる


龍寶山 大徳寺 (京都市北区)
文化財① 

池田こみち(宗蹊) Komichi Ikeda監修  青山貞一 Teiichi Aoyama編集
立系メディア
E-wave Tokyo 2023年9月1日公開
 

・四季松図 狩野探幽筆      出典:Wikimedia Commons

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文化財①

観音猿鶴図

観音猿鶴図 南宋時代 牧谿筆      出典:Wikimedia Commons


国宝

・唐門 - 1952年(昭和27年)3月指定。

・方丈及び玄関 2棟(附 玄関棟札2枚) - 1956年(昭和31年)6月指定。

・絹本墨画淡彩観音図・猿鶴図 - 中国南宋時代(13世紀)の絵画。牧谿筆。「観音図」の左右に「猿図」「鶴図」を配する三幅対で、寸法は「観音図」が縦171.9センチメートル、横98.4センチメートル、「猿図」は縦173.3センチメートル、横99.4センチメートル、「鶴図」は173.1センチメートル、横99.3センチメートル。足利将軍家の美術コレクションである東山御物に含まれ、駿河国今川氏の太原雪斎により大徳寺に寄進されたという。足利義満の旧蔵を示す「道有」印(観音図)、「天山」印(猿図・鶴図)が捺されている。1951年(昭和26年)6月指定。

・絹本著色大燈国師像 - 開祖宗峰妙超の頂相。建武元年(1334年)の作。寸法は縦115.5センチメートル、横56.7センチメートル。宗峰妙超の頂相は数多く存在し多くは像容は共通するが、当像は中でも根本像として評価されている。1953年(昭和28年)3月指定。

・虚堂智愚墨蹟(きどうちぐ ぼくせき)- 中国南宋時代(13世紀)の墨跡。寸法は縦41.7センチメートル、横120センチメートル。虚堂智愚が達磨忌に際して記した香語で、虚堂智愚は大徳寺開山宗峰妙超の師である南浦紹明のさらに師である中国僧。年代は虚堂の晩年にあたる径山興聖万寿禅寺住職時代の咸淳3年(1267年)から死去する咸淳5年までの間と推定されている。千利休高弟の山上宗二から豊臣秀長家臣桑山重晴に伝授され、大徳寺に寄進されたという。1952年(昭和27年)3月指定。

・後醍醐天皇宸翰御置文 元弘三年八月廿四日 - 後醍醐天皇の宸翰。寸法は縦48.8センチメートル、横87.9センチメートル。元弘3年(1333年)8月24日の筆。内容は後醍醐天皇が大徳寺には開山宗峰妙超の門流のみを止住させる「一流相承」を認めた置文である。元弘3年5月には後醍醐天皇の倒幕運動により鎌倉幕府が滅亡し、天皇が京都に入り論功行賞を行っていた時期にあたる。大徳寺に対してはこれに前後して荘園の寄進が行われており、後醍醐天皇の宗教政策の一環であると考えられている。1951年(昭和26年)6月指定。


重要文化財


・四季松図 狩野探幽筆      出典:Wikimedia Commons


・楊柳観音像 高麗時代      出典:Wikimedia Commons


・後醍醐天皇像      出典:Wikimedia Commons


・芙蓉図 伝牧谿筆      出典:Wikimedia Commons


・千利休筆 芙蓉図添文[6](建造物)      出典:Wikimedia Commons


文化財①終わり

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