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目眩く歴史の要所で「茶の湯」など稀有な文化が偲ばれる


龍寶山 大徳寺 (京都市北区)
江岑宗左三百五十年忌 記念大徳寺茶会について

池田こみち(宗蹊) Komichi Ikeda監修  青山貞一 Teiichi Aoyama編集
 立系メディア
E-wave Tokyo 2023年9月1日公開
 

茶会の広間にて   撮影:池田宗蹊(池田こみち)

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江岑宗左三百五十年忌記念 大徳寺茶会について

   執筆 池田こみち(池田宗蹊)


江岑宗左三百五十年忌記念茶会の会記  出典:池田宗蹊(池田こみち)
 
 以下は、2022年10月6日に大徳寺で行われた江岑宗左(こうしんそうさ)350年忌記念茶会に参加したときに、社中に送ったメールです。先日の2022年の写真はすべてこのときにとったものです。添付は、そのときの会記の表紙と最後の頁についていた大徳寺境内のマップです。

 マップは、どの塔頭でお茶席が開かれたかがわかるようになっています。

例えば、
 聚光院 家元席      総見院 薄茶席
 芳春院 静岡席      興臨院 薄茶席
 三玄院 大阪席      徳禅寺 薄茶席
 
瑞峯院 東京席      龍源院 点心席
 玉林院 京都席      瑞雲軒 点心席


出典:大徳寺山内概図

 私は各席を拝見して、興臨院で薄茶をいただき、龍源院で点心をいただき帰りました。

■江岑宗左三百五十年忌記念茶会について

みなさま

 今晩は。木曜日のお稽古では、天然忌のお稽古でバタバタしてお話しする時間がありませんでした。

 6日に日帰りで京都に行ってきました。6日、7日の二日間、全国から700人の社中(教授者以上)を集めてのお茶会でした。

 私は朝4時前に起きて、5時に家を出て6時の新幹線で日帰りしましたが、一通り拝見し呈茶席2席と点心を頂いて帰りました。最後に、表千家北山会館での特別展示も拝見し、4時半の新幹線に乗り、8時前に帰宅しました。

 関心のある方はお会記を頂いてきましたので,お茶会の後にゆっくりご覧下さい。

 一つだけ覚えてきたことは「左右逢源」という言葉です。

 江岑宗左(逢源斎:ほうげんさい)という方は、利休のひ孫にあたります。逢源斎という号は、大徳寺の僧、玉舟宗播(1600~1668)から頂いたということで、玉舟によるお軸も寄り付きに掛けられていました。



茶会の広間にて   撮影:池田宗蹊(池田こみち)



軸  撮影:池田宗蹊(池田こみち)


■江岑宗左 逢源斎(こうしんそうさ ほうげんさい,1613~1672年)は

 表千家4代千宗左。家元。千宗旦の三男で、後妻宗見の子。

 30歳の時、紀州徳川家に出仕、以後代々表千家では茶頭として紀州家 へ出資することとなった。
 宗旦が不審庵を江岑宗左に譲り、江岑宗左は晩年北の隣接地に今日庵、

 寒雲亭さらに又隠(ゆういん)を建てて移り住み、それが末子仙叟に 譲られたことにより裏千家が成立した。多くの弟子を養成し60歳で没。

■逢源斎
https://sadou-waden.com/user_data/omotesenke_4_hougensai_koushinsousa.php

 千家三代宗旦の後妻の三男、四代目を継ぎ、表千家を確立させた。

 茶道の師は父、千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658) 参禅は、大徳寺百八十五世/玉舟宗璠(1600-1668)
 父、千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』は出仕を嫌ったが表千家四代逢源斎江岑宗左(1613-1672)】は【千家】の生末を暗示し出仕することで、【千家】の地位を確立。

 以後、【表千家】が江戸時代を通じて『紀州/徳川家』に【茶頭】として庇護を受ける基礎を築いた。また『紀州/徳川家』に仕えていたため【武家茶】にも親しみ、『紀伊国和歌山藩主/徳川頼宣(1602-1671)』に随行して江戸にもかなりの期間滞在していたという。

 ということで、お茶席に展示されていたお道具の数々はいずれも400年近くの時代を経たものばかりで素晴らしいものでした。

■記念品として、猶有斎宗匠による「左右逢源」と書かれた丸香合をいただ けるのですが、まだ出来上がっておらず、後日郵送となっていました。

■左右逢源(さゆうほうげん)の意味 
 あちこちのお席にこの禅語四文字のお軸や額、茶杓、香合などさまざまなお道具がありました。意味は以下の通りです。

 考察を深く左に右におこなえば淵源にあるものを自得できるという。わかりやすくいえば、左岸を行っても右岸を行っても最後は同じ水源へたどり着けるというのが「左右逢源」である。めざす水源(目標)がひとつであれば、途中での手法の違いなどから生じる左右対立があっても、信頼の筋を失わずに経過するうちに、ともに最終目標に到達することが可能となる。http://jojin.jp/105

 同じ最終目標さえしっかりしていれば、意見や手法の違いから生じる左右の対立があっても、どんな激論をかわしても、ともに最終目標に達する成果が得られるというのが「左右逢源」(『孟子「離婁章句」』など)の考え方です。川の左岸をいっても右岸をいっても、いずれ同じ水源へ到達できるというのです。http://ensuisha.jugem.jp/?eid=67

 三千家をつくられた方の言葉として重いですね。覚えて置いてください。

 以下は、2018年11月の襲名披露の記念品の扇子です。


2018年11月の襲名披露の記念品の扇子  撮影:池田宗蹊(池田こみち)



 以下2枚はは茶会開催時に池田宗蹊(池田こみち)が撮影した写真。


    撮影:池田宗蹊(池田こみち)


    撮影:池田宗蹊(池田こみち)


江岑宗左三百五十年忌記念大徳寺茶会 終了

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