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●2010年2月20日(土) エストニアの概要
日本人でエストニアを知っているひとはそういないはずだ。大相撲で奮闘努力し最近大関となった把瑠都(バルト)関は「エストニア」である。ここでは、最初にエストニアとその首都ターリンについて概要を紹介しよう。
■概要
エストニアの国旗
エストニアの紋章
エストニア共和国は、バルト3国の一つ。首都はターリン。ラトビア、ロシアと国境を接し、バルト海、フィンランド湾に面している。ソ連からの独立後、国内に残ったロシア人(残留ロシア人)の問題と国境問題を抱えている。
エストニアは13世紀以来デンマーク人、ドイツ系騎士団、スウェーデン、ロシア帝国と外国勢力に支配されてきた。
■民族構成
エストニアにはロシア人が28%、ウクライナ人が3%、ベラルーシ人が2%とロシア系民族の割合が非常に多い。これはその昔、ターリン北部の鉱山にロシア人が労働者として多数参入し、その後、エストニアに残ったという歴史的な理由がある。
民族構成(エストニア) | ||||
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エストニア人 | 65% | |||
ロシア人 | 28% | |||
ウクライナ人 | 3% | |||
ベラルーシ人 | 2% | |||
その他 | 2% |
実際、ターリンを歩いていてもホテルでもロシア人が多い。
■信仰心と宗派
バルト3国を理解する上で、宗教の知識は不可欠である。以下は、EUによるバルト3国の信仰心についての調査である。
エストニアはリトアニア、ラトヴィアに比べると「神の存在を信じる」割合が極端に少ない。「神の存在を信じる」及び「ある種の霊や生命力の存在を信じる」と考えている割合でも70%であり85%のリトアニア、86%のラトヴィア、ポーランドの95%に比べて低くなっている。
EUによる信仰に関する調査
出典:欧州連合 (EU) が行った調査
■歴史
■エストニア共和国(Estonia) 主な訪問地: ターリン(Tallinn)、パルヌ(Parnu) 近代まではドイツ語のエストラントと言う地名が主流であった。フィンランドと同じくフィン・ウゴル系民族である。 ヴァイキングに侵攻を受けた後は、ロシア人や、デーン人の侵略を受ける。ドイツ騎士団に支配された事もあるが、13世紀にデンマークが領有する。 16世紀にリヴォニア戦争が起こると、その支配はスウェーデンに帰する(エストニア公国)。この時代は、スウェーデン・バルト帝国と呼ばれた。18世紀に起きた大北方戦争の結果、ロシア帝国の支配下に入る。 |
1917年のロシア革命でロシア帝国が崩壊したのち自治獲得の動きが高まり、まもなく独立運動へと転じた。
1918年2月24日に独立を宣言、その後ソヴィエトやドイツの軍事介入を撃退して独立を確定させた。1921年には国際連盟にも参加したが、1940年ソ連に占領され、1941年から1944年まではナチス・ドイツに占領された。
第2次世界大戦末期にはソ連軍が再占領し、戦後はソ連の社会主義化政策が行われた。
ソ連崩壊後の1991年独立回復を宣言し、同年には国際連合にも加盟している。1994年8月31日にロシア軍が完全撤退した後、西欧諸国との経済的、政治的な結びつきを強固にしていった。
2004年3月29日、北大西洋条約機構 (NATO) 加盟。さらに、2004年5月1日には欧州連合(EU)に加盟した。ロシアとの間に国境問題が存在するが、EU加盟で棚上げになっている。
2007年4月27日、ターリン解放者の記念碑 (Bronze Soldier of
Tallinn) 撤去事件を機に「青銅の夜」と呼ばれるロシア系住民による暴動がターリンで起こり、ロシアとの関係が悪化した。同時にロシアから大規模なサイバー攻撃(DDoS攻撃)が行われ、国内全体で通常時の数100倍のトラフィックが氾濫し、国内のネット機能が麻痺した。
■政治
2007年2月26日から28日に世界で初めて議会選挙に関してインターネットを利用した電子投票を行った。
- ■面積
-
総計 45,226km2(129位) 水面積率 4.5% - ■人口
日本言えば川崎市一市の大きさである。ちなみに川崎市の人口密度は約9900人/km2 であるから、エストニアは川崎市の人口密度の1/30以下となる!
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総計(2008年) 1,340,000人(149位) 人口密度 30人/km2
■経済
エストニアはバルト3国中で最も経済状況は良好である。
フィンランドから高速船で1時間半という立地と、世界文化遺産に指定されたターリン歴史地区を背景に、近年は観光産業が発達している。
1年間の観光客数は500万人を超えるともいわれる。また他にIT産業が堅調で、ヨーロッパのIT市場においてオフショア開発の拠点となっており、IT技術者を多い。余談だが、ヨーロッパではハンガリーに次いでハッカー(クラッカーとは別の意なので注意)が多いとも言われる。
また、アメリカの大手シンクタンク・ヘリテージ財団による経済自由度指標では、世界第13位(2009年現在)にランク付けされており、政府による経済統制は殆どないとされる。
即ち、エストニアの経済構造は、近隣の北欧諸国のような市場調整型ではなく、アングロ・サクソン諸国(アメリカやイギリス)のような市場放任寄りである。このような構造で好調な経済成長を遂げている小国の例に、アイルランドやシンガポールがある。
現在通貨としてクローンを用いている。2007年に予定されていたユーロへの移行は延期された。
つづく
【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition