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●2010年2月18日(木) シャウレイからリーガへ
リトアニアのシャウレイからラトヴィアのリーガは、直線距離で130km程度だが、車で2時間半ほどかかった。
出典:グーグルマップ
すでにバルト3国は、EUに加盟しているので、パスポートコントロール、税関などはないものの、下は国境にある検問所。今回は素通りできた。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010
以下はラトヴィア国境に入ったことを示すサイン。ただし、国境からリーガは100km以上ある。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010
まずはラトヴィア共和国とはから。
■ラトヴィア共和国(Latvia) 主な訪問地:リーガ(Riga) 古くは先住民族としてフィン・ウゴル系民族のリーヴ人が居住していたため、リヴォニアと呼ばれた(ドイツ風にリヴラントとも言われる)。 13世紀にドイツ騎士団の一組織リヴォニア帯剣騎士団によって征服される。 この騎士団は、常軌を逸した侵略行為を行ったため、民族はほぼ浄化され、後発のバルト人に同化された。これ以降、リヴォニアは、ドイツ騎士団、リトアニア、ポーランド王国によって支配を受ける。 16世紀、リヴォニア戦争の後にこの地は分断され、南部はクールラント公国となった。 17世紀に北部リヴォニアは、スウェーデン領となり、バルト帝国の一州となった。この地も大北方戦争やポーランド分割の後、18世紀に南北ともロシア帝国に帰することとなった。 |
ラトヴィアに入ったまではよいが、そのあとやっとのことでラトヴィアの首都リーガに到着する。
宿泊地のエアーバルティック(バルト航空)が経営するホテルに向かう。分かりやすい場所にあるが、一方通行や巨大な橋梁をどう降りればよいかが分からず、手間取る。
次に、ラトヴィアの首都、リーガ旧市街の全貌である。宿泊先ホテルは左上の橋を渡ってすぐのところにある。
リーガの旧市街全貌
宿泊先ホテルは左上の端を渡ってすぐのところ。
出典:Wikipedia
ホテルはその巨大な斜張橋を旧市街から渡ったすぐの島の中にある。リーガの旧市街は橋を渡ればすぐ右にある。
出典:グーグルマップ
ここでリーガについて少し勉強しておこう。
■リーガ(またはリガ)とは 日本の神戸市とは姉妹都市である。神戸市は2001年のリーガ市建都800年祭などにも参加している。 「バルト海の真珠」と讃えられる風光明媚な港と神戸港は、相通じる部分が多い。 |