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バルト3国現地調査 ラトヴィア
リーガ:シャウレイからリーガへ

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

10 April 2010 無断転載禁
初出:独立系メディア「今日のコラム」

デンマーク  リトアニア  ラトヴィア  エストニア  フィンランド  特集全体
【ラトヴィア・リーガ】 【リーガ三大博物館】
シャウレイからリーガへ ラトヴィア軍事博物館@
【リーガ旧市街・歴史地区】 ラトヴィア軍事博物館A
ハンザ同盟とは ラトヴィア占拠゙博物館@
旧市街北部・リーガ大聖堂 ラトヴィア占拠゙博物館A
市庁舎・聖ペテロ教会 ラトヴィア占拠゙博物館B
ギャラリーで見た秀逸パッチワーク ラトヴィア占拠゙博物館C
自由記念碑、科学アカデミー 1991年バリケード記念館

●2010年2月18日(木) シャウレイからリーガへ

 リトアニアのシャウレイからラトヴィアのリーガは、直線距離で130km程度だが、車で2時間半ほどかかった。


出典:グーグルマップ

 すでにバルト3国は、EUに加盟しているので、パスポートコントロール、税関などはないものの、下は国境にある検問所。今回は素通りできた。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010

 以下はラトヴィア国境に入ったことを示すサイン。ただし、国境からリーガは100km以上ある。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010

 まずはラトヴィア共和国とはから。

■ラトヴィア共和国(Latvia)
    主な訪問地:リーガ(Riga)

 古くは先住民族としてフィン・ウゴル系民族のリーヴ人が居住していたため、リヴォニアと呼ばれた(ドイツ風にリヴラントとも言われる)。

 13世紀にドイツ騎士団の一組織リヴォニア帯剣騎士団によって征服される。

 この騎士団は、常軌を逸した侵略行為を行ったため、民族はほぼ浄化され、後発のバルト人に同化された。これ以降、リヴォニアは、ドイツ騎士団、リトアニア、ポーランド王国によって支配を受ける。

 16世紀、リヴォニア戦争の後にこの地は分断され、南部はクールラント公国となった。

 17世紀に北部リヴォニアは、スウェーデン領となり、バルト帝国の一州となった。この地も大北方戦争やポーランド分割の後、18世紀に南北ともロシア帝国に帰することとなった。

 ラトヴィアに入ったまではよいが、そのあとやっとのことでラトヴィアの首都リーガに到着する。

 宿泊地のエアーバルティック(バルト航空)が経営するホテルに向かう。分かりやすい場所にあるが、一方通行や巨大な橋梁をどう降りればよいかが分からず、手間取る。

 次に、ラトヴィアの首都、リーガ旧市街の全貌である。宿泊先ホテルは左上の橋を渡ってすぐのところにある。


リーガの旧市街全貌
宿泊先ホテルは左上の端を渡ってすぐのところ。
出典:Wikipedia 

 ホテルはその巨大な斜張橋を旧市街から渡ったすぐの島の中にある。リーガの旧市街は橋を渡ればすぐ右にある。


出典:グーグルマップ

 ここでリーガについて少し勉強しておこう。

■リーガ(またはリガ)とは
(リトアニア語:Ryga 、ドイツ語:Riga)



 ラトヴィア共和国の首都で、同国最大の人口を持つ都市。人口は71万7000人(2008年現在)。

 日本語では「リガ」と表記する場合が多いが、これはドイツ語の発音に基づいたもので、ラトヴィア語では「リーガ」という。

 「バルト海の真珠」と讃えられる美しい港町で、その旧市街地はユネスコ世界文化遺産に登録されている。

 世界遺産に登録されている旧市街「リーガ歴史地区」は約300棟のアールヌーボー調の建築物の宝庫として著名である。

 新市街は官庁やオフィスが集まる。郊外には、ラトヴィア民俗博物館があり、野外博物館も兼ねている。

 また、保養地として知られる海岸、ユールマーラも西方にある。 人口約80万人のリーガ市はラトヴィア国内はもとより、バルト三国最大の都市でもある。市内で最も高い建築物はリーガラジオ&テレビタワーである。

 日本の神戸市とは姉妹都市である。神戸市は2001年のリーガ市建都800年祭などにも参加している。 「バルト海の真珠」と讃えられる風光明媚なと神戸港は、相通じる部分が多い。

出典:Wikipedia

 

河口(湾)側から見たリーガ旧市街の町並み 真ん中より少し右の高い塔がリーガ大聖堂  
出典:Wikipedia

「バルト海の真珠」リーガの歴史

 リーガの記録は既に2世紀には見られる。長くヴァリャーグによる東ローマ帝国への交易ルートとして、ダウガヴァ川は古来より利用されており、河口から15キロに広がるリーガは、天然の良港であった。リーガという名称もリヴォニア語の「円」という意味から由来する、とされる。(港の形状が円形だった。)

 12世紀までには交易だけでなく漁業や畜産の拠点となり、ドイツ人商人の入植も12世紀半ばから盛んになる。教皇インノケンティウス3世の命を受けたアルベルトが、1200年に東方十字軍を組織しリヴォニアに侵攻、23隻の軍艦と1500人の十字軍兵でリーガを制圧し、リーヴ人の服属と改宗を行った。

 1202年に、アルベルトは、刀剣騎士修道会をリーガで創立。以降、リーガはバルト海とロシアの中継貿易拠点として重きをなしてくる。

 1282年にはハンザ同盟に加盟。

 経済発展の地歩を固めるが、同時にリーガの繁栄は侵略者を招くこととなる。

 1522年には、プロテスタントを受容。1561年のドイツ騎士団の解散で、それ以後の20年間は帝国自由都市となる。

 1581年から、リーガはポーランド・リトアニア共和国の支配を、1621年からはグスタフ2世アドルフのスウェーデン王国の支配を受ける。

 リーガはスウェーデン王国最大の都市であった。大北方戦争が起こると、ロシアのピョートル1世が、リーガに侵攻、スウェーデン時代は終焉を迎える。

 ニスタット条約で、リーガはロシアに割譲され、第一次世界大戦までロシア領として、ロシアの重要な交易拠点とされた。

 20世紀まで、ロシアでモスクワ、サンクトペテルブルグに次ぐ第3の都市はリーガであった。しかし、支配者の変遷にかかわらず、リーガの住民の多くは、バルト・ドイツ人であった。

 そうした中で、19世紀後半には、ラトヴィアの民族主義が覚醒。

 1918年にはラトヴィアはブレスト=リトフスク条約でドイツに割譲されるも、第一次世界大戦の終結でラトヴィアは独立を宣言。

 第二次世界大戦までの数年間は、リーガが外交・文化的に英国に接近した時代だった。第二次世界大戦が始めると、リーガはまずソ連に、そしてナチス・ドイツの軍事占領を経験する。

 大戦中、バルト・ドイツ人はドイツ本国に脱出し、リーガのゲットーにいたユダヤ人は収容所送りとなった。

 1945年にソ連の赤軍が再度リーガに軍事侵攻。ラトヴィア人を大量に処刑、シベリア送りにしたことから、市の人口は3分の1にまで激減することになった。

 代わりに、ソ連政府はロシア人をリーガに集団移住させ、リーガ市の民族構成は一変してしまう。1991年、ラトヴィアは独立を回復、リーガも首都に返り咲いた。

出典:Wikipedia 



1650年のリーガ  出典:English Wikipedia


16世紀半ばのリーガ  出典:English Wikipedia


1900年のリーガの町並み  出典:English Wikipedia


ドイツ軍が占領中の1916年のリーガリーガ  出典:English Wikipedia

 リーガの人口719,613人(2008年)であり、バルト三国で最大である。

 しかし独立を回復した1991年以降は減少に転じている。低い出生率と(主にロシア系住民の)海外移住が原因で、このままだと2050年には現在の半分にまで減少するという調査結果もある。 住民の民族構成は以下の通りである。

  • ラトヴィア人 - 43.3%
  • ロシア人 - 41.7%
  • ベラルーシ人 - 4.3%
  • ウクライナ人 - 3.9%
  • ポーランド人- 2.0%
  • その他 - 5.8%

 リーガではなくラトヴィア全体では、 ラトヴィア人 - 59.0%、ロシア人 - 28.5%、である。

 独立回復時には、ソ連時代にラトヴィアに移住してきた者、及びその子孫で独立回復以前に出生したもの(つまり主にロシア人)にはラトヴィアの市民権は自動的に付与されなかった。

 これはリーガの人口低下の一因でもある。2008年の調査では、リーガのロシア人の比率は、1989年には47.3%であったが、2007年には42.1%に減少し、2006年にリーガ市においては、ラトヴィア人の数がロシア人を上回った。

■信仰心と宗派

 バルト3国を理解する上で、宗教の知識は不可欠である。以下は、EUによるリトアニア国民の信仰心についての調査である。

 ラトヴィアでは、リトアニア同様、ポーランドほどではないにしても、86%の国民が「神の存在を信じる」及び「ある種の霊や生命力の存在を信じる」と考えている。

             EUによる信仰に関する調査

出典:欧州連合 (EU) が行った調査


 午後4時過ぎホテルに到着。

 池田さんは雪の中の運転にめちゃくちゃ疲れて休憩。

 青山がその巨大な橋を渡り、歩いてリーガの旧市街を視察。午後6時半に戻る予定。 ホテルから旧市街に行くために渡る斜張橋は1.5kmもある。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010

 途中、橋の反対側にゴシック様式の尖塔をもった教会の先っぽが見えてくる。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010

 いよいよ夕闇が迫るリーガだが、噂に違わずなかなかどうしてすばらしい旧市街だ。


つづく


【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition