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●宮城県石巻市雄勝集落(新規調査)
●石巻市雄勝町 私たちは、石巻市の大川小学校にお参りに来ていた地元住民夫妻から、雄勝地域が甚大な影響を受けていることを知らされ、車で雄勝集落に向かった。 雄勝町は、2005年4月1日、石巻市、桃生町、河南町、河北町、北上町、牡鹿町と合併し、新制「石巻市」となった。 雄勝町は、宮城県北東部、太平洋に面する石巻市の一集落であるり面積の80%以上を山林が占めている。東日本大震災前は残りのわずかな平地に4300人ほどが住んでいた。 以下はグーグルマップで見た石巻市雄勝地域である。マウスを使用することで拡大、縮小、移動などが自由に行えるとともに、衛星画像、通常の地図、3次元立体地図、地形図などを切り替えてみることができる。 雄勝半島は南三陸金華山国定公園に指定されている。気候は海洋性気候で、平均気温は約13℃であるが私たちが雄勝に入った11月21日は小雪が降る寒い天気だった。 下の動画は石巻市の大川小学校から雄勝集落に入ったところを写している。 石巻市大川小学校から雄勝集落に入ったところの被災状況 動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.21 津波被害との関連では、雄勝地区は3.11の東日本大震災により平成23年2月末に4 300人いた人口のうち、7月現在で死亡者が123名、行方不明者が113名と大きな犠牲者を出している。 以下は大川小学校から雄勝集落に入った直後の橋の上から雄勝病院を写したところ。この雄勝病院では患者の大部分が犠牲となっている。 大川小学校から雄勝集落に入った直後の橋の上から 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.11.21 雄勝漁港の堤防は見るも無惨に破壊されていた 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.21 さらに、自宅を流されたなどで雄勝集落外へ転出している住民が多い。現在。雄勝集落で生活する住民は2月末の人口の約1/4の1000名である。 このように石巻市雄勝地域は、学校、病院などの公共施設はじめ住宅、商店が破壊されている。まさに津波によりコミュニティそのものが崩壊した状態にあった。 東京に帰宅した後、石巻市の津波被害に関連し、雄勝病院9割、大川小7割死亡・不明という記事を見つけた。 記事によれば石巻市雄勝町では、何と石巻市立雄勝病院に入院していた患者40人の全員が死亡あるいは行方不明となり、医師、看護師24人の全員が死亡・行方不明となっていたというのである。さらに生存者は70人中、わずか6人、裏山の高台へ逃げた事務員だけだったという。 雄勝病院では外来患者はなく40人の入院患者が全員、病室のある3階にいたという。患者の多くは寝たっきりの高齢者、自力でベットから動けず亡くなった。看護師に付き添われ病院の屋上へ逃げた者も繰り返し押し寄せる津波で、最終的に屋上にいた全員が津波に飲み込まれている。 石巻市の雄勝町は集落全体が津波によって壊滅していた。雄勝町では今なお大型路線バスがビルの屋上に乗っていたが、これを残すか除去するかについて住民の意見が二分しているとのことだった。 石巻市雄勝町では大型路線バスがビルの屋上に乗っていた! 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.21 石巻市雄勝町では大型路線バスがビルの屋上に乗っていた! 動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.21 津波で集落全体が崩壊した石巻市雄勝町 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.11.21 以下は動画で見た石巻市雄勝町の壊滅的な被災状況である。 石巻市雄勝町の壊滅的な被災状況 動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 2011.11.21 ●津波の高さ(推定値) 今回現地調査した雄勝地区は、水門、道路、堤防、公共施設などの破壊状況、沿岸背後地の樹木、土壌、地層などへの影響などからTPから12m以上の津波高及び18m以上の遡上高が生じたと推定される。 以下は関連記事。同じ雄勝地区でも水浜集落では被害が最少となっている。
●参考データ(宮城県石巻市) ■宮城県石巻市の死者数と行方不明者数
■宮城県雄勝地区における過去の津波の被害 雄勝(宮城県石巻市雄勝町)地区では、明治三陸津波(1896) では波高3.6mの津波が押し寄せ死者31人、流失倒壊戸数142戸、また昭和三陸津波(1933)でも、波高3.85mの津波が押し寄せ死者7人、流失倒壊戸数195戸の被害が出ている。 なお、当時の資料には、「本部落は雄勝灣に臨み、高なる山崖を背ひたる狭隘なる地に位し、縣道を挟み細長き帶状街衢をなす。明治29年津浪高滿潮面上3.6m、流失倒壞戸數119戸、死傷226人に達せしも、津浪災害豫防に關する全面的對策の講ぜられしものなく」(内務大臣官房都市計画課『三陸津浪に因る被害町村の復興計画報告』)、また「雄勝町は2m以下の低地に位置していたため、明治29年波高3.9m、流失倒壊119戸、死者32人に達した。」(建設省国土地理院『チリ地震津波調査報告書』)とある。 ■津波の高さ(推定値) 参考・東北地方太平洋沖地震津波情報 東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ グラフィックスで見る日本沿岸の津波高 津波現地調査結果/岩手県 過去の津波情報 つづく |