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●宮古市市街地の被災地(新規調査)
●岩手県宮古市 以下はグーグルマップで見た宮古市市街地である。マウスを使用することで拡大、縮小、移動などが自由に行えるとともに、衛星画像、通常の地図、3次元立体地図、地形図などを切り替えてみることができる。 以下は岩手県内で2泊した休暇村陸中宮古である。いわゆる昔の国民休暇宿泊所であり環境省が所管している。 浄土ヶ浜に近い宮古市崎山地区にある宿泊先の休暇村陸中宮古 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 休暇村がある一帯は陸中海岸国立公園となっている。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 休暇村の食堂からは美しい海と紅葉がみれる。 宿泊先の休暇村陸中宮古食堂からみた近くの海と紅葉 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 休暇村の駐車場には、被災地をパトロールする青森県警のパトカーなどが多数駐車していた。現地では、津々浦々パトロールカーが岩手県内被災地をパトロールしているのが目撃された。 休暇村陸中宮古の駐車場に駐車する青森県警のパトカー 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 2011年11月19日(土)午前、北部被災地に向かう前と、翌20日(日)の午前中、岩手県南部に向かう前に、宮古中心市街地と山田町を視察した。 以下は宿泊先の宮古市崎山地区から坂を下り、宮古市の中心市街地に入るところの動画である。東日本大震災では、この辺り一帯が津波をかぶり、浸水していたが、現在はかなり復旧していた。 宮古市の中心市街地の復旧、復興状況 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 上の動画に写されている宮古市中心市街地は、私たちが休暇村陸中宮古で購入した岩手日報社の「平成の三陸大津波」の表紙になっていた。この冊子はフルカラーで1000円、貴重な写真が数多く収録されている! さすが地元の新聞である。 岩手日報社の「平成の三陸大津波」の表紙 宮古市中心市街地(上の津波近く)の現状 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 下は浄土ヶ浜上から見た宮古市臨港部の鍬ヶ崎。宮古市でも最も被害が大きかった沿岸地域のひとつである。 浄土ヶ浜上から見た宮古市臨港部の鍬ヶ崎 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 下は動画による宮古港の背後にある住宅地の被災、復興状況である。 宮古港被災地の復興状況 動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 以下は宮古港沿岸域の住宅被災地の現状。瓦礫は撤去されているが再建の見通しがついていないことが分かる。 宮古港沿岸域の住宅被災地の現状 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 宮古港沿岸域の住宅被災地の現状 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 宮古港堤防直下の被災状況 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 以下は、津波によって壊滅した宮古市港町地区。陸に打ち揚げられたフェリー1隻と漁船2隻も見える。アメリカ合衆国海兵隊による3月20日の航空写真である。 津波によって壊滅した宮古市港町地区 出典:Wikipedia 宮古港の背後にある住宅地の被災、復興状況 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19
宮古市中心市街地に閉伊川という大きな川が流れている。その閉伊川に流れ込む小さな山口川という川がある。その河畔にある山口町には、「一本柳の跡」という石碑(以下の写真参照)がある。 海岸から約5Kmの岩手県宮古市山口にある石碑 その石碑には、「古い伝えによれば、この場所に柳の大木があり、一本柳とよんだ。江戸時代(年代不詳)三陸沿岸を襲ったヨダ(津波)は宮古にも大被害を与えた。津波により山口川を逆流せる波に乗って北ダンベ(船)を一本柳に繋留したと伝えられている」とある。 江戸時代の年代不詳の津波は、推定で慶長(1611年)の三陸大地震津波(M8.1)と推定されている。慶長津波は、東日本大震災津波、明治三陸津波、昭和津波とともに、江戸時代以降現在まで、三陸海岸を襲った津波の4大津波のひとつと推定される。 以下は、産経新聞に掲載された宮古市における津波の教訓《高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想え惨禍の大津浪 此処より下に家を建てるな》に関する碑の話である。
●参考データ(岩手県宮古市鍬ヶ崎地区) ■宮古市鍬ヶ崎地区における死亡者及び行方不明者
■宮古市鍬ヶ崎地区における過去の津波被害 上記の鍬ヶ崎地区では、 明治三陸津波(1896)で波高が8.42mの津波が押し寄せ 死者100人、流失倒壊戸数を250戸だし、昭和三陸津波(1933)では波高3.36mが押し寄せ死者を15人出している。 参考:内務大臣官房都市計画課『三陸津浪に因る被害町村の復興計画報告』 ◆青山・池田:三陸海岸 津波被災地現地調査 E過去の津波被害(詳細) ■津波の高さ(推定値) 今回現地調査した宮古市沿岸域は、堤防、道路、水門、住宅などの破壊状況、沿岸域の樹木、土壌、地層などへの影響から最低でもTPから12mの津波高、最高で30mを超す遡上高が生じていたと推定される。 出典:東京大学地震研究所 都司嘉宣氏らによる「三陸南部の調査結果」 参考・東北地方太平洋沖地震津波情報 東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ グラフィックスで見る日本沿岸の津波高 津波現地調査結果/岩手県 過去の津波情報 つづく |