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第二次三陸津波被災地 現地調査

J岩手県大船渡市(再訪)

青山貞一 東京都市大学大学院
池田こみち 環境総合研究所(東京都目黒区)
掲載月日:2011年12月3日
 独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁

第二次岩手県・宮城県北部津波被災地現地調査(目次)
@調査の前提・概要   J岩手県大船渡市(再訪) 
A岩手県宮古市田老 K岩手県陸前高田市(再訪) 
B岩手県岩泉町 L宮城県気仙沼市(再訪) 
C岩手県田野畑村・普代村 M岩手県一関市「猊鼻渓」
D岩手県野田村・久慈市 N宮城県南三陸町
E岩手県北部リアス海岸 O宮城県石巻市大川小学校
F岩手県宮古市 P宮城県石巻市雄勝
G岩手県山田町 Q宮城県石巻市長面
H岩手県大槌町(再訪) Rまとめと提言 英文版
I岩手県釜石市(再訪) S補遺:宮沢賢治
◆参考:第一次岩手県南部・宮城県北部津波被災地現地調査
◆参考:宮城県・福島県北部被災地調査(速報)

●岩手県大船渡市(再調査)





















←大船渡市
 11/20
出典:マピオンをベースに作成


調査対象となった三陸海岸   作成:青山貞一


●大船渡市(前回調査実施地)

 2011年11月20日日曜日、私たちは前回の岩手県現地調査では瓦礫処理の作業中で現地への立ち入りが禁止されていた地域に入ることができた。

 釜石市唐丹小白浜漁港と唐丹小学校を現地調査した私たちは、国道45号線を南下し、大船渡市に向かった。私たちはその後、三陸集落で国道45号線から離れ、海沿いを綾里(ゆうり)集落沿いに県道9号線を南下した。


大船渡市綾里地区

 この道路は、南リアス線(鉄道)沿いにグルーと走っている。国道45号線を使うと一切見えない沿岸が見えることもあり、遠回りになることを承知で綾里地区をまわってみた。

大船渡市綾里地区の被災地 
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20


大船渡市綾里地区の被災地 
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20

大船渡市綾里地区の被災地 
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20

 実はこの大船渡市綾里集落は、明治三陸津波のとき三陸海岸で最悪の被害を受けていたことが分かった。

 以下は綾里地区で見つけた「明治三陸大津波伝承碑」である。この碑は平成10年6月15日に、綾里地区消防100周年記念事業実行委員会が建立したものであり、碑には次のように書かれている。



綾里地区で見つけた「明治三陸大津波伝承碑」

 明治29年6月15日(旧暦5月5日)午後8時7分頃来襲。綾里村は被害個数296戸、死者1350人を数え、この地にて本州津波市場最高の38.2mの波高を記録する。
 
 「白浜は真口の太平洋に直面せるを持って水勢を遮る何物もなきによるべく、野を越え山を走りて道合に至り両湾の海水連絡せるに至る。所詮水合か」(「綾里村詩」)

 「綾里村の惨状」
 「綾里村のごときは死者は頭脳を下し、あるいは手を抜き、足を折り実に名状すべからず、村役場は村長一名を残すのみ、尋常小学校、駐在所みな流出して片影を留めず」(岩手県知事より内大臣への報告)

(後略)などとあり、明治三陸津波がいかにすさまじいものであったかが分かる。


◆大船渡市とは

 大船渡市は岩手県陸前高田市や宮城県気仙沼市とともに三陸海岸南部(陸前海岸)の代表的な都市のひとつである。

 旧・陸前国気仙郡域に属する。市の一帯は典型的なリアス式海岸となっており、市域は陸中海岸国立公園のほぼ中央に含まれている。

 主要な産業のひとつは水産業であり、市の沖合いには、「世界三大漁場」ともいわれる北西太平洋海域(三陸漁場)となっている。

 
大船渡港は、岩手県内の最大かつ最重要港湾であり、岩手県内初の外国定期航路として韓国の釜山とも結ばれている。また、市内各地に石灰石鉱山があり、大船渡湾奥には太平洋セメント大船渡工場がある


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20

 2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本太平洋沖地震では市域に大津波が襲来、各所に甚大な被害が生じた。

    大船渡市の歴史

 1889年(明治22年)4月1日:
     町村制が施行される。
     大船渡村(おおふなとむら)が単独で村制を施行し、気仙郡に
     新生の大船渡村が成立。盛村(さかりむら)が2分立して
     それぞれ町制・村制を施行し、気仙郡に盛町と猪川村が成立。
     ・赤崎村が単独で村制を施行し、気仙郡に赤崎村が成立。
     ・立根村が単独で村制を施行し、気仙郡に立根村が成立。
     ・末崎村が単独で村制を施行し、気仙郡に末崎村が成立。
     ・日頃市村が単独で村制を施行し、気仙郡に日頃市村が成立。
 1932年(昭和7年)4月1日:
     大船渡村が町制を施行し、気仙郡 大船渡町となる。
 1952年(昭和27年)4月1日:
     大船渡町・盛町・赤崎村・猪川村・立根村・日頃市村・末崎村
     の合併により、大船渡市が誕生する。
 2001年(平成13年)11月15日:

     気仙郡三陸町を編入。

出典:Wikipedia

 以下はグーグルマップで見た大船渡市と陸前高田市である。マウスを使用することで拡大、縮小、移動などが自由に行えるとともに、衛星画像、通常の地図、3次元立体地図、地形図などを切り替えてみることができる。



 大船渡市は東日本大震災・津波で下の衛星写真にあるように、甫嶺と三陸町(越喜来)の海側は明治三陸津波同様、壊滅的な被害を受けた。


大船渡市内にあるチリ津波水位看板

 その大船渡市では、前回の岩手県南部調査時には瓦礫処理中で立ち入り禁止となっていた大船渡市西側臨港部への立ち入りが認められ、全面的に調査を行うことができた。



自動車のナビで見る大船渡市の現在地
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20


大船渡市沿岸域の被災状況
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20

 下の動画は大船渡市の被災状況である。

大船渡市沿岸の被災状況
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20


大船渡市臨海主要部地図  出典:マピオン


大船渡市沿岸域の被災状況
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20

 大船渡湾臨港部でひっくり返っている燃料タンクを発見。このタンクの背後に、2つの大きな石油タンクがあったが、こちらは無事だった。



大船渡市沿岸域の被災状況
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20

 サン・アンドレス公園にある港を一望できる塔。ここには整備された公園があったが、津波により公園は消え去ってしまった。


サン・アンドレス公園にある港を一望できる塔
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20

 下の動画はサン・アンドレス公園にある塔から一望した大船渡市の被災状況である。


サン・アンドレス公園の塔から一望した大船渡市沿岸の被災状況
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.21

サン・アンドレス公園の塔から一望した大船渡市沿岸の被災状況
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.21


大船渡湾臨港部でひっくり返っている燃料タンクを発見
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20


誰かがおいていったのか偶然に流れ着いたのか、
ひな祭りの雛人形が大船渡市被災地の道路脇擁壁の階段にあった
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20


誰かがおいていったのか偶然に流れ着いたのか、
ひな祭りの雛人形が大船渡市被災地の道路脇擁壁の階段にあった
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20

焦点/津波記念碑、倒壊・流失相次ぐ/気仙沼
河北新報 2011年09月29日

気仙沼市唐桑町大沢地区の津波記念碑。津波の威力で10メートルほど流され、上部が折れた


 明治三陸大津波(1896年)や昭和三陸津波(1933年)の教訓、痕跡を後世に伝えるため、気仙沼市内に建てられた津波記念碑33基のうち、22基に東日本大震災の津波が到達していたことが、市教委の調査で分かった。22基のうち13基は流失したり、倒壊したりした。碑は過去の津波の到達地点周辺などに建てられたとみられており、専門家は「今回の津波がいかに大きかったかを物語る」と指摘している。
(田柳暁)

◎過去の大津波、教訓伝承/「風化防止へ工夫必要」

<標語など記す>


 津波記念碑は津波災害の風化を防ぎ、注意を促すのが狙いとされる。33基の地域別は、唐桑地区が12基、気仙沼14基、本吉7基。約20基は昭和三陸津波の数年後、民間企業が募った義援金で建立され、標語や被災状況が記されていた。
 海から約800メートル内陸にある気仙沼市波路上の地福寺は、明治三陸大津波で被害を免れた。今回の津波では、墓地にあった石碑2基が流失し、境内の2基が倒れた。

 昭和三陸津波の後、墓地に建てられた「大震嘯災(しょうさい=津波による災害)記念碑」の表には「地震があったら津浪(つなみ)の用心」と刻まれていた。裏面には「明治三陸大津波で集落は全滅したが、高台へ集団移転したため昭和三陸津波の被害は少なかった」と、集団移転の効果を伝えていたという。

 境内で倒れた「海嘯(かいしょう=津波)紀念碑」も、明治三陸大津波について「未曽有の海嘯あり。三陸沿海の地はことごとく被害を受け、流失家屋は91、溺死者は437。一世の惨事だ」と記していた。


「役割大きい」>
 気仙沼市教委によると、津波で流失した石碑は地福寺の2基や同市本吉町の大谷漁港の2基、本吉町小泉地区の浄福寺、小泉大橋の石碑など計7基。倒れたり、壊れたりした石碑は地福寺や同市唐桑町大沢地区などにあった6基だった。
 首藤伸夫東北大名誉教授(津波工学)は「何十年もすると記憶は薄れてしまう。震災を語り継ぐ石碑の役割は大きい」と指摘した上で「今後、記念碑を建てたり直したりする際は、教訓を後世に必ず残せるよう、設置の方法や場所に工夫が必要だ」と強調している。

◎住職ら「じくじたる思い」/戒め生かせず肩落とす

 境内と墓地にあった石碑4基が流失したり、倒れたりした気仙沼市波路上の地福寺。 「先代の教訓を広めてきたのに生かせず、じくじたる思いだ」。住職の片山秀光さん(71)はうなだれる。

 片山さんは檀家(だんか)らに過去の津波の恐ろしさを常に説いて回った。明治三陸大津波から100年目となる1995年には、犠牲者を悼む供養法要を営み、将来の災害への備えるよう呼び掛けた。

 今回の大津波で、沿岸部の集落は再び壊滅状態となった。明治三陸大津波で被害を免れた寺は、本堂の壁が突き破られた。周辺の住宅が全半壊し、犠牲者が出た。

 片山さんは「明治三陸大津波で被害がなかったため、ここまでは大きな津波が来ないだろうという固定概念があった。ちゃんと戒めがあったのに無念だ」と語る。
 倒壊した石碑の一つ、気仙沼市唐桑町大沢地区の「大震嘯災(しょうさい=津波による災害)記念碑」は津波で10メートルほど流され、上部が折れた。破損部分は修復されず、そのままになっている。

 昭和三陸津波後に建てられ、裏面には「溺死者5人、住宅や船が流失した」と、当時の大沢村の被害状況を伝えていた。

 石碑が脇にあった加茂神社の宮司小原真朝彦さん(56)は「明治の教訓は平成の世にも通じる教えだった。孫子の代まで伝えるのが生き延びた私たちの務めだ」と話す。

 気仙沼市教育長で、津波記念碑の研究に取り組んでいる白幡勝美さん(66)は「倒れた石碑をどう保存するかが、課題となる。過去の教訓を残せなけ
れば、今回の震災で学んだわれわれの教訓も残すことができない」と話している。

2011年09月29日木曜日


●参考データ(岩手県大船渡市)

■大船渡市の死者数と行方不明者数

市町村名 死者数A 行方不明者数B 死者+行方不明者数A+B=C
大船渡市 331 118 449

 
以下は岩手県大槌町における過去の津波被害
●大船渡市

 同資料によれば、現在、大船渡市が市町村合併する前の各町村では、明治三陸津波で3,143人と膨大な数の住民が亡くなっていることが分かった。

 とりわけ重要なのは、本郷地区にて明治三陸津波によって波高が最高26.13m、昭和三陸津波の波高でも13.25mもあったことである。おそらくこの波高は地形に原因があったと推察されるが、我が国の過去の津波の波高にこのような大きな値があったことは、直視する必要があると思う。

 今回の東日本大震災・津波では、陸前高田全体で449人の甚大な被害者を出している。



大船渡市臨海主要部地図  出典:マピオン

本郷(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:26.13m*  *26.13m(C1934)
死者:194人(吉浜村)
流失倒壊戸数:73戸(同上)
再生形態:分散移動
  波高:1.41m*   *14.30m(C1934)
死者:3人
流失倒壊戸数:431戸
家屋流失倒壊区域(坪):52700坪* 
  *50.50ha(C1934)
浸水家屋:19戸
再生形態:分散移動
移動戸数:11戸
達成面積(坪):549坪
★甫嶺(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高 13.25m*  *13.25m(C1934)
死者 430人(越喜来村)
流失倒壊戸数 118戸
  (同上)
再生形態:分散移動
  波高:8.63m*   *8.63m(C1934)
死者:6人*   *6人(C1934)
流失倒壊戸数:23戸* 
   *21戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):1808坪*  
   *0.59ha(C1934)
浸水家屋:33戸 *  *2戸(C1934)
再生形態:分散移動
移動戸数:21戸
達成面積(坪):1252坪
泊(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:430人(越喜来村)
流失倒壊戸数:118戸(同上)
  死者:*  *1人(C1934)
流失倒壊戸数:29戸*
家屋流失倒壊区域(坪):*   
  *0.94ha(C1934)
浸水家屋:29戸*
再生形態:分散移動
浦浜(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:9.28m*   *9.28m(C1934)
死者:430人(越喜来村)
流失倒壊戸数:118戸(同上)
再生形態:分散移動
  波高:6.72m*   *6.72m(C1934)
死者:19人
流失倒壊戸数:58戸
家屋流失倒壊区域(坪):24899坪*  
  *8.22ha(C1934)
浸水家屋:66戸
再生形態:分散移動
移動戸数:70戸
達成面積(坪):3494坪
★崎浜(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:11.63m*  *11.63m(C1934)
死者:430人(越喜来村)
流失倒壊戸数:118戸(同上)
再生形態:地区改正
  波高:7.8m*   *7.80m(C1934)
死者:31人
流失倒壊戸数:49戸
家屋流失倒壊区域(坪):7526坪*  
  *2.49ha(C1934)
浸水家屋:47戸
再生形態:分散移動
移動戸数:25戸
達成面積(坪): 780坪
小石浜(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上)
  死者:4人*   
流失倒壊戸数:
家屋流失倒壊区域(坪):
浸水家屋:13戸*
再生形態:分散移動
砂子浜(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上)
  死者:1人
浸水家屋:2戸
白浜(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:25.6m*  
  *25.60m(C1934)
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸
  (同上)
  波高: 18.6m*   *18.60m(C1934)
死者: 18人
流失倒壊戸数:34戸
家屋流失倒壊区域(坪):7983坪*   
  *2.64ha(C1934)
浸水家屋:34戸
再生形態:集団移動
移動戸数: 15戸
達成面積(坪): 842坪
野々浦(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:*   *8.0m(C1934)
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上)
再生形態:
  浸水家屋:6戸 *
岩崎(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上)
  死者:1人 *   *1人(C1934)
流失倒壊戸数:*   *19戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*  
  *0.47ha(C1934)
浸水家屋:31戸 *   *12戸(C1934)
★湊(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:12.57m*  
  *12.57m(C1934)
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上)
  波高:9m*   *9.00m(C1934)
死者:62人
流失倒壊戸数:117戸
家屋流失倒壊区域(坪):14016坪*  
   *4.66ha(C1934)
浸水家屋:117戸
再生形態:集団移動
移動戸数:146戸
達成面積(坪): 7287坪
★石浜(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上)
  波高:9.0m*   *9.0m(C1934)
死者:7人 *   *7人(C1934)
流失倒壊戸数:29戸*   *27戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):2744坪* 
   *0.91ha(C1934)
浸水家屋:29戸 *   *2戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:20戸
達成面積(坪):1130坪
田浜(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:11.0m*  *11.0m(C1934)
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上)
  波高:7.7m*  *7.7m(C1934)
死者:1人*  *1人(C1934)
流失倒壊戸数:37戸*  *31戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):2448坪*  
  *0.81ha(C1934)
浸水家屋:37戸 *  *6戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:18戸
達成面積(坪):898坪
★佐野(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上)
  家屋流失倒壊区域(坪):*   
  *13.87ha(C1934)
浸水家屋:1戸
★宿(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:2.7m*  *2.70m(C1934)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上)
  波高:1.8m*   *1.80m(C1934)
死者:0人*   *1人(C1934)
流失倒壊戸数:33戸*  *28戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):4370坪*
   *1.44ha(C1934)
浸水家屋:33戸*   *5戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:20戸
達成面積(坪):1313坪
★生形(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上)
  死者:3人*   *2人(C1934)
流失倒壊戸数:*   *13戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*  
   *1.02ha(C1934)
浸水家屋:26戸 *   *13戸(C1934)
★山口(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上)
  流失倒壊戸数:*   *10戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*  
  *1.16ha(C1934)
浸水家屋:19戸 *   *9戸(C1934)
★永浜(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:5.45m*  *5.45m(C1934)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上)
  波高:3.09m*   *3.09m(C1934)
死者:10人*   *8人(C1934)
流失倒壊戸数:*   *33戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):* 
   *1.90ha(C1934)
浸水家屋:40戸 *   *7戸(C1934)
★清水
(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上)
  死者:16人*   *8人(C1934)
流失倒壊戸数:*   *16戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*  
   *2.41ha(C1934)
浸水家屋:25戸*   *9戸(C1934)
★蛸ノ浦(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:6.1m* 
  *6.10m(C1934)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上)
  波高:4.3m*   *4.30m(C1934)
死者:32人*   *32人(C1934)
流失倒壊戸数:*   *40戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):* 
   *3.66ha(C1934)
浸水家屋:53戸*   *13戸(C1934)
長崎(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上)
  死者:*   *1人(C1934)
流失倒壊戸数:*  *2戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):* 
   *30.33ha(C1934)
浸水家屋:5戸*  *3戸(C1934)
★合足(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:18m* 
  *18.00m(C1934)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上)
  波高:13m*  *13.00m(C1934)
死者:20人*   *13人(C1934)
流失倒壊戸数:*  *8戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):* 
   *4.27ha(C1934)
浸水家屋:11戸 *   *3戸(C1934)
★碁石(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上)
  家屋流失倒壊区域(坪):* 
   *0.05ha(C1934)
★泊里(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:8m * 
  *8.00m(C1934)
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上)
  波高:6.5m*   *6.50m(C1934)
死者:9人 *   *8人(C1934)
流出倒壊戸数:42戸*  *29戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):7300坪* 
   *2.41ha(C1934)
浸水家屋:42戸 *   *13戸(C1934)
再生形態:分散移動
移動戸数:19戸
達成面積(坪):136坪
★門ノ浦(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:8.9m
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上)
  波高:6.5m
流失倒壊戸数:*   *8戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*  
  *0.31ha(C1934)
浸水家屋:12戸 *   *4戸(C1934)
★小河原(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上)
  流失倒壊戸数:*   
  *1戸(梅神・小河原)(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪)*
  *0.02ha(梅神・小河原)(C1934)
浸水家屋:1戸
★梅神(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上)
  流失倒壊戸数: *  
   *1戸(梅神・小河原)(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪)*
   *0.02ha(梅神・小河原)(C1934)
★小細浦(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上)
  死者:*   *4人(C1934)
流失倒壊戸数:*  *13戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):* 
  *0.66ha(C1934)
浸水家屋:*  *2戸(C1934)
細浦(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:5m*   *5.0m(C1934)
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上)
  波高:3m *   *3.0m(C1934)
死者:*   *1人(C1934)
流失倒壊戸数:33戸* 
  *32戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):3200坪*  
  *1.06ha(C1934)
浸水家屋:*   *1戸(C1934)
再生形態:
移動戸数:35戸
達成面積(坪):1863坪
★舟河原(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上
  死者:*   *15人(C1934)
流出倒壊戸数:*   *9戸(C1934)
家屋流出倒壌区域(坪):*  
  *0.26ha(C1934)
★下平渡平(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
波高:7m
死者:97人(大船渡町)
流失倒壊戸数:67戸(同上)
波高:6m
死者:2人
流失倒壊戸数:
家屋流失倒壊区域(坪):
浸水家屋:113戸
再生形態:分散移動
★永沢(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:97人(大船渡町)
流失倒壊戸数:67戸(同上)
浸水家屋:21戸
★笹崎(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:97人(大船渡町)
流失倒壊戸数:67戸(同上)
流失倒壊戸数:*   *3戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):* 
   *1.19ha(C1934)
浸水家屋:10戸
★赤沢茶屋前(現在、大船渡市)
明治三陸津波(1896)   昭和三陸津波(1933)
死者:97人(大船渡町)
流失倒壊戸数:67戸(同上)
波高:1.8m
流失倒壊戸数:
家屋流失倒壊区域(坪):
浸水家屋:100戸
参照・引用文献の出典:
 ・明治大学 建築史・建築論研究室著の「三陸海岸の集落 災害と再生」
 ・青山・池田:三陸海岸 津波被災地現地調査 過去の津波被害(詳細)

■津波の高さ(推定値)

 今回現地調査した大船渡市地区は、水門、道路、堤防などの破壊状況、沿岸背後地の樹木、土壌、地層などへの影響などからTPから15m以上の津波高及び28m以上の遡上高が生じたと推定される。とりわけ釜石市から大船渡市に向かう途中、立ち寄った綾里地区では、津波高が20m以上に達していたと推定される。



出典:東京大学地震研究所 都司嘉宣氏らによる「三陸南部の調査結果」

 
以下は関連記事。

◆岩手県大船渡市の綾里地区で最大23m以上
2011年03月21日01:55 読売新聞

 東日本巨大地震で、岩手県大船渡市三陸町の綾里地区を襲った津波は
最大23メートル以上だったことが18日、港湾空港技術研究所の現地調査でわかった。

 観測場所は、1896年の明治三陸地震津波で、これまでの国内最高となる38・2メートルを記録しているが、 同研究所の高橋重雄研究主監は「明治の津波の後に造られた防潮堤がなければ、 国内最高を記録していた可能性が高い」とみている。

 高橋さんらは18日、現地入りし、全地球測位システム(GPS)計やメジャーなどで
津波の高さを計測した。その結果、綾里地区では、湾を取り囲むように立つ防潮堤が大破し、 波は家屋などをのみ込
みながら山をせり上がって、高さ23メートルまで達していた。

 参考・東北地方太平洋沖地震津波情報
     東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ 
     グラフィックスで見る日本沿岸の津波高
     津波現地調査結果/岩手県 
     過去の津波情報


つづく