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●宮城県南三陸町(新規調査)
一方、宮城県では前回調査で唯一調査未了となっていた北部の南三陸町に11月21日、朝、宿泊先の一関から登米町経由で南三陸町に入った。 ●南三陸町 南三陸町は宮城県の北東部、本吉郡の南端に位置し、気仙沼市の南、志津川湾の湾奥にある町である。東は太平洋に面し、三方を標高300〜500mの山に囲まれており、海山が一体となって豊かな自然環境を形成している。 以下はグーグルマップで見た南三陸町である。南三陸町は三方を標高300〜500mの山に囲まれており、3つの河川の沖積低地が海山が一体となって豊かな自然環境を形成しているマウスを使用することで拡大、縮小、移動などが自由に行えるとともに、衛星画像、通常の地図、3次元立体地図、地形図などを切り替えてみることができる。 また、沿岸部はリアス式海岸特有の豊かな景観を有し、南三陸金華山国定公園の一角を形成している。 私たちは、最終日、一関から国道398号(本吉街道)を通って、八幡川添いに南三陸町中心部に入った。津波は港から3kmほども奥まで川に沿って遡上していた様子が枯死した杉の木や瓦礫を処理した跡から見て取れた。 動画で見る宮城県南三陸町の被災状況1 動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 2011.11.21 南三陸町の被害のすさまじさは陸前高田市、大槌町に並ぶものであった。上記2地域では瓦礫処理がほぼ終了しているのに対し、南三陸町では津波で破壊された防波堤の処理が遅れており、津波来襲時に近い状況が残っている地域も多かった。 下は動画で見た南三陸町の被災状況である。 動画で見る宮城県南三陸町の被災状況2 動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 2011.11.21 一方、南三陸町の住宅地では、土台を残し瓦礫の撤去が進んでいた。 中心部は病院など一部の鉄筋コンクリートの建物を除いてすべて破壊され尽くしていた。しかし、幸いなことに、南三陸町では、志津川小、志津川中、志津川高校ともに、いずれも高台にあって被災を免れていたようだ。 この町は志津川湾に注ぐ3本の川(新井田川・八幡川・水尻川)の河口、低地に広がる町なのだ。各河川に沿って津波は奥へ奥へと遡上し多くの犠牲者を出したことがわかる。 陸前高田市に比べて規模が小さいとはいえ、ほぼ中心市街地が全滅しており人口17,000人余のうち、987名が犠牲となっている。 がれき処理が一段落した南三陸町は陸前高田市、同様市街地は壊滅状態 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 動画で見る宮城県南三陸町の被災状況3 動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 2011.11.21 市内を回っていると、海から1kmちょっと離れた南三陸高校の南側に3階建ての瀟洒なマンションが一見無傷のように残っていた。 しかし、その外観とは別に、中は3Fの部屋はもとより屋上まで津波を被ったことが見て取れた。ここには、どんな家族が住んでいたのだろうと思いを巡らせた。若い夫婦や単身の働き盛りの人々が被災しただろうことは容易に想像できた。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 以下は南三陸町に押し寄せた津波の動画である。動画の中にもマンションが写っている。 ◆参考:南三陸の大津波 10分で壊滅 〜 Japan earthquake,tsunami hit Minamisanriku City http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=pkuFw5BWz6o#! 以下は南三陸町を襲う津波に関する別の動画である。 ◆参考:迫りくる津波の恐怖 宮城・南三陸町 earthquake and Tsunami March 11, 2011 Japan http://www.youtube.com/watch?v=_zb9JS55yfY また、臨海部は地盤沈下が著しく、倒壊した家屋の土台に波が打ち付けている状況だった。湾岸域を走る国道45号添いに建つ組合総合病院は、4階まで津波が直撃しており、さぞ多くの犠牲者を出しただろうと想像できた。 南三陸町の中心部の津波被災状況 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 湾口には松原公園や町立図書館もあって人々の憩いの場となっていたことがうかがえるが、今は見る影もなく海と一体化してしまっていた。 ◆参考:南三陸町役場が撮影した津波の写真 http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/uploads/photos1/2064.pdf 中心部をはずれると、南三陸町の沿岸部は自然が作り出した神秘的な景観に恵まれ、多くの観光客や子どもたちのキャンプなどで賑わっていた。そのひとつ、神割崎を訪れた。その周辺はキャンプ場もあり、仮設住宅が建てられ被災者の静かな暮らしがようやく取り戻されているようだった。 ●南三陸町志津川湾沿岸地域 南三陸町中心部の現地調査を終えた私たちは、石巻市北部に向かうため、志津川湾に沿って南下した。その途中、いくつかの津波の被災地に出会った。 以下はグーグルマップでみた南三陸町志津川湾に面する戸倉地域である。マウスを使用することで拡大、縮小、移動などが自由に行えるとともに、衛星画像、通常の地図、3次元立体地図、地形図などを切り替えてみることができる。 下の写真は南三陸町の志津川湾に面する戸倉地域である。堤防があちこちで破壊され、湾に面する住宅はことごとく壊滅されていた。 南三陸町の志津川湾に面する戸倉地域。堤防があちこちで破壊されていた 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 建物の土台だけが残る南三陸町の志津川湾に面する戸倉地域 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 風光明媚な志津川湾戸倉地区は、見る影もなく津波の直撃を受けていた! 風光明媚な志津川湾戸倉地区は、見る影もなく津波の直撃を受けていた! 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 ●神割崎(南三陸町戸倉寺浜) 昔、漂着したクジラをめぐって村民が争い、見かねた神様が岬の岩をまっぷたつに割ったという伝説が残る。活断層によってできた景観かもしれないが、その美しさと迫力には圧倒される。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 神割崎の自然景観 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 この日は天気はよかったが気温は低かった。 神割崎にて 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 以下は動画で見た神割崎の自然景観である。 神割崎の自然景観 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 この神割崎近くで、散歩をしている地元の方とお話しすることができた。 「今日は暖かいし、少しは身体を動かさないと。今は綺麗な青い海だけど、津波は真っ黒で、この道路を越えて田んぼにまで押し寄せた。」と当時の様子を話してくれた。町役場は、今、仮設住宅で暮らす被災者が「生活不活発病」に陥ることを心配しているとのことだ。賑わいのあった海辺のキャンプ場が仮設住宅になっているが、まったく訪れる人もなく、これからの寒い季節には家から出ることも少なくなって寂しい日々を送ることになるだろう。どうすれば、こうした被災者に寄り添い支援することができるのか、8ヶ月を過ぎた今から、私たち東京や被災地以外の人は改めて考えてみる必要がありそうだ。 ●参考データ(宮城県南三陸町) ■南三陸町の死者数と行方不明者数
■南三陸町志津川地区の過去における津波被害 志津川地域では、 明治三陸津波(1896)では波高1.2mの津波が押し寄せ、死者34人、流失倒壊戸数250戸をだしている 参考:内務大臣官房都市計画課『三陸津浪に因る被害町村の復興計画報告』 ■津波の高さ(推定値) 今回現地調査した南三陸地区は、水門、道路、堤防、公共施設などの破壊状況、沿岸背後地の樹木、土壌、地層などへの影響などからTPから14m以上の津波高及び161m以上の遡上高が生じたと推定される。 出典:東京大学地震研究所 都司嘉宣氏らによる「三陸南部の調査結果」 参考・東北地方太平洋沖地震津波情報 東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ グラフィックスで見る日本沿岸の津波高 津波現地調査結果/岩手県 過去の津波情報 つづく |