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ローマ歴史地区 Nフォロ・ロマーノ
Rome Histric District in ItalyN

青山貞一 Teiichi Aoyama
2008年4月26日 2009年1月20日 転載禁

       青山貞一 ローマ短紀行 内容目次
@ローマ歴史地区とその魅力 Jサン・ピエトロ広場・大聖堂
A1日で回るローマ歴史地区ガイド Kサンタンジェロ城、イタリア最高裁
Bローマ歴史地区1日コース Lポポロ広場・ピンチョの丘
C共和国広場とオペラ座 Mコロッセオ
Dサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂 Nフォロ・ロマーノ
Eサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会 Oマルケス劇場
Fバチカン博物館(美術館) Pアンジェンティーナ遺跡広場
Gバチカン博物館(ラファエロ) Qパンテオン
Hバチカン博物館(フォルリのフラスコ画) Rトレビの泉
Iバチカン博物館(システィーナ礼拝堂) Sスペイン広場





コロッセオ(Colosseo)
フォロ・ロマーノ(Foro Romano)
チルコ・マッシモ(Circo Massimo)
サンタマリア・イン・コスメディン教会(Santa Maria di Cosmedin)


フォロ・ロマーノ 昼過ぎ

 コロッセオを見ながら古代ローマの政治、経済の中心地、フォロ・ロマーノに向かう。



 途中、壁にローマの領土のへ変遷を示す地図がある。イタリア半島の小さな都市国家に過ぎなかったローマは、その後、西はスペイン、北はイングランド西はシリア、南はエジプトに至る大ローマ帝国となる。


都市国家ローマの領土
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


最盛期のローマ帝国の領土
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 フォロ・ロマーノ(伊:Foro Romano)は、ローマにある古代ローマ時代の遺跡。観光地として有名である。フォロ・ロマーノは、ラテン語の古名フォルム・ロマヌム(Forum Romanum)のイタリア語読み。

 紀元前6世紀頃からローマ帝国がテトラルキアを採用する293年にかけて、国家の政治・経済の中心地であったが、ローマ帝国が東西に分裂し、首都機能がラヴェンナに移されると異民族の略奪に曝されるようになり、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまった。

 フォロ・ロマーノの発掘は、19世紀から本格的に行われるようになったが、帝政時代初期までに開発が繰り返されており、遺構も様々な時代のものが混在しているので、発掘調査は難しい。現在の遺跡は、大部分が帝政時代以降のものである。


フォロ・ロマーノの古代ローマ遺跡の発掘、修復現場
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
 
 ※フォロ・ロマーノ全体地図 右上にコロッセオがある

 フォロ・ロマーノは、東西約300m、南北約100mに渡って存在する古代ローマの中心部「フォルム・ロマヌム」の遺跡である。古代ローマでは、たいていの都市に政治・宗教の中心としてフォルム(英:フォーラムの語源)と呼ばれる広場が置かれていたが、このフォロ・ロマーノは首都に開設された最初のフォルムであり、最も重要な存在であった。


フォロ・ロマーノの古代ローマ遺跡
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 ローマでは、後に諸皇帝によっていくつかのフォルムが建設されたが、3基のバシリカと元老院議事堂を備えたフォロ・ロマーノは、そのなかでも中心的存在として機能し続けた。


フォロ・ロマーノの古代ローマ遺跡の発掘、修復現場
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 現在、敷地の北東にはフォーリ・インペリアーリ通りが通るが、古代には諸皇帝のフォルムのうち、フォロ・ジュリアーノ(フォルム・ユリウム)、フォルム・ネルウァエ(フォルム・トランシトリウム)、テンプル・パキス(フォルム・ヴェスパシアヌム)が隣接していた。現在は、フォルム・ユリウム、フォルム・ネルウァエの遺構の一部が発掘され、公開されている。


ローマ帝国の政治・宗教の中心地、フォロ・ロマーノ
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 南側にはパラティーノ(古名パラティヌス)の丘が聳え、その頂きに皇帝宮殿(ドムス・アウグスタナ)がある。北西部はカピトリーノ(古名カピトリヌス)の丘に通じる。かつてローマの凱旋式は、フォロ・ロマーノのウィア・サクラ(聖なる道)を通って、公文書館(タブラリウム)の脇を抜け、カピトリーノにあったユピテル・オプティムス・マキシムス神殿に奉献するのが習わしであった。東に進むと、有名なコロッセオに、西に進むとテヴィレ川に至る。

 下の写真にある神殿は、141年、アントニヌス・ピヌス皇帝が皇后、ファウスディーナの死後に、皇后を偲んで建築したもの。階段と基盤の上に高さが17mもあるコリント式の6本の列柱が並んでいる。


アントニヌス・ファウスディーナの神殿、フォロ・ロマーノ
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 

 下はローマ帝国時代の中東シリアのパルミラ遺跡のひとつ、ベル神殿である。上のフォロ・ロマーノのアントニヌス・ファウスディーナの神殿と建築様式や構造が酷似していることが分かる。


シリア・パルミラ遺跡のベル神殿


ローマの元老院遠景、フォロ・ロマーノ
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


ローマの元老院内部、フォロ・ロマーノ
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 下の凱旋門は、ローマで最大規模の凱旋門である。高さは28mある。315年、ミルヴィオ橋の戦いで勝利した記念としてローマ市民と元老院からの寄付によって建造された。表面に数々のレリーフがあるが、これらはトラヤヌス帝、ハドリアヌス帝などから送られたもの。


コンタンチィヌス帝の凱旋門
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10



撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


つづく