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ローマ歴史地区
 
Qパンテオン、ミネルバ教会
Rome Histric District in ItalyQ -Panteon-

青山貞一 Teiichi Aoyama
2008年5月1日 2009年1月20日  転載禁

       青山貞一 ローマ短紀行 内容目次
@ローマ歴史地区とその魅力 Jサン・ピエトロ広場・大聖堂
A1日で回るローマ歴史地区ガイド Kサンタンジェロ城、イタリア最高裁
Bローマ歴史地区1日コース Lポポロ広場・ピンチョの丘
C共和国広場とオペラ座 Mコロッセオ
Dサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂 Nフォロ・ロマーノ
Eサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会 Oマルケス劇場
Fバチカン博物館(美術館) Pアンジェンティーナ遺跡広場
Gバチカン博物館(ラファエロ) Qパンテオン
Hバチカン博物館(フォルリのフラスコ画) Rトレビの泉
Iバチカン博物館(システィーナ礼拝堂) Sスペイン広場





ラルゴ・アルジェンティーナの遺跡広場
パンテオン

 真実の口があるサンタマリア・イン・コスメディン教会からテヴェレ川に沿って道路を北上し、のマルケス劇場があるある地点でテヴェレ川の中州に出会う。中州にある大きな病院にあるトイレを借りる。ローマ市内にはいわゆる公衆トイレがないので大変だ(笑い)。

パンテオン(Pantheon)

 猫が沢山いるアルジェンティーナ遺跡広場を後に、一路、パンテオン(Pantheon)を目指す。


パンテオンに通ずる裏道を行く。
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 下は上空から見たパンテオン。驚くなかれパンテオンは市街地のど真ん中に立地している。


ドーム状の白い建造物がパンテオン。出典:NHK BS Hi


Source: Google Earth

 距離はそれほどないのだが、疲れているので足取りも重い。

 教会関係の衣服を売る店が多い裏道を行くこと5−6分でパンテオンに到着した。


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


パンテオンの背後
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


パンテオンの背後
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


パンテオンがあるロトンダ広場
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


パンテオンからロトンダ広場をみる
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 パンテオンはかのミケランジェロが「天使の設計」と賞賛した万神殿である。Panは汎、すなわちすべて、Theonは神だ。それはすべての神に捧げられるべくつくられた。

 建立は当初、紀元前27世紀から紀元25年にかけアグリッパがつくり、118年にあのハドリアヌス帝が再建している。それにしてもハドリアヌス帝はローマのあちこちで再建や修復などにその名前が出てくる。


パンテオン 正面
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 パンテオンの正面には古代ギリシャの神殿を思わせるような堂々とした柱が並んでおり、ローマ時代を最も象徴する建築物のひとつとされている。


パンテオン 正面
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

パンテオン(Pantheon)

 ローマ市内のパラティヌスの丘に建造された神殿。元々はさまざまなローマ神を奉る万神殿であった。最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された。

 ローマ市内の建築物についてアウグストゥスとアグリッパは明確な役割分担を持っており、アグリッパが建造した神殿はこのパンテオンのみである。このためパンテオンはもともとアウグストゥスを奉ることを予定していたが市民の反発を避けるため万神殿に変更されたとの説もある。このパンテオンは後に火事で焼失している。

 2代目のパンテオンは118年から128年にかけて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建された。現在ローマで見ることができるのはこの再建されたパンテオンであるが、正面にはアグリッパに敬意を表し M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT(ルキウスの息子マルクス・アグリッパが三度目のコンスルのとき建造)と記されている。

 建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2m の円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは6mに達するが、高さによって材質を使い分けており、ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mに減じる。

 床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、頂上部分にはオクルス(oculus, ラテン語で「目」の意) と呼ばれる採光のための開口部 があり、ドームの質量を感じさせない。ローマ神が信じられなくなったあとも、この象徴的な空間性によって、608年頃にはキリスト教の聖堂となり、破壊を免れた。建物自体が非常に改築されにくいものだったので、この荘厳な空間は、今日でも見ることができる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


パンテオンの内部にはいる観光客ら
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


ローマのパンテオン内部
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 そして内部の天井には直径9mの天窓が開き、床を照らしている。


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 下はドーム状のパンテオンの天井の一部。この一番上に天窓がある。


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


ローマのパンテオン内部にある掲示板
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 パンテオンには以前は神々が祀られていたが、今はラファエロやイタリア統一に尽くしたエマヌエーレ2世やウンベルト1世らの墓がある。

 下はパンテオンの立面図、側面図、平面図及びパースである。パンテオンのクープラは約43mある。鉄の柱を用いない石造りの建築物としては世界最大規模である。

パンテオンの設計図とパース
Source:From the 1897 Encyclopaedia Britannica

 ここでひとつの疑問が生ずる。

 なぜ、かくも巨大な建造物が古代ローマで可能となったのか?

 それを解く鍵は、コンクリート、それも古代コンクリート(またはローマン・コンクリートRoman concrete)と呼ばれるコンクリートの存在にあったようだ。

 古代コンクリートは、ローマ帝国の時代に使用された建築材料であり、セメントおよびポッツオーリ(イタリア・ナポリの北にある町)の塵と呼ばれる火山灰を主成分とした。古代ローマ人は火山灰に粘りがあり、セメントの混和を促進することを知っていたと思われる。強度も現代コンクリートの倍以上はあったとされる。

 ちなみに、ローマ帝国滅亡後は使用された痕跡がないとされるが、ローマのコロッセオが現在も存在しているのはこの古代コンクリートの賜物と言えるという。近年、古代コンクリートは徐々に見直されつつある。

 
下の写真はマリア像
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10



サンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会
  (Chiesa di Santa Maria Sopra Minerva)


 パンテオンがあるロトンダ広場の一角に、ロマーノ作の「受胎告知」を収蔵しているサンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会(Chiesa di Santa Maria Sopra Minerva)がある。

 これは知恵の女神であるミネルバの神殿跡に建てられたドミニコ派教会である。ローマで唯一のゴシック様式による教会である。その建設には2世紀もかかったとされる。教会の前には象のオベリスクがある。


サンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会(Chiesa di Santa Maria Sopra Minerva)
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


 上の写真にあるオベリスク(尖塔)ローマにある11のエジプトのオベリスクのひとつで有名なベルニーニの象の彫刻が塔の基盤に下についている。。

 この教会は、簡素な外観とは裏腹に内部は下の写真にあるように美術館と見間違えるほどである。また15世紀カラファ枢機卿の命によって作られた「カラファ家の礼拝堂」もあり、聖トマス・アクィナスに関連する膨大な量のフレスコ画など、ミネルバ教会内には多くの美術品が収蔵されている。


サンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会の内部
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

受胎告知じゅたいこくち

 キリスト教の聖典である新約聖書に書かれているエピソードの1つ。聖告(せいこく)、童貞聖マリアのお告げ生神女福音とも言う。一般に、処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってイエスを身ごもることを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる出来事。

マリア崇敬の思想を背景として、キリスト教文化圏の芸術作品の中で繰り返し用いられるモチーフでもある。

....

 受胎告知が記述されているのは、「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」だが、それぞれ詳細が異なる。マタイ福音書では(1:18-25)、ナザレではない地(2:22-23、おそらくベツレヘム)で、ヨセフの夢に天使が現れる。

 マリアに関しては、天使による告知の記述はなく、聖霊による受胎をすでに知っていたことのみ書かれている。一方、ルカ福音書(1:26-38)では、ナザレにて、天使ガブリエルがマリアの前に現れ、受胎を告げる。ヨセフの方に対する言及はない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



ロマーノの「受胎告知」
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 下はパンテオンそしてサンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会の近くにあるビラーレ教会(Chiesa Gie Bilare)。


ビラーレ教会(Chiesa Gie Bilare)
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 この後、トレヴィの泉に向かう。

つづく