|
18日の午後は、かやぶきの郷を視察した後、北軽井沢の別荘に戻る途中、群馬県から第二次世界大戦中に満蒙開拓団員として中国大陸に渡り帰らぬ人となった人々を奉る「群馬満蒙拓魂之塔」、その隣にある大きな牛舎、そして浅間牧場に立ち寄った。 ●群馬県満蒙開拓団碑 満蒙開拓団 ( まんもうかいたくだん)とは、満州国(中国東北区)の開拓を目的とした移民団のことであり、 試験移民 (自衛移民)の段階を経て集団移民 となる。ほかに 分村移民 、 満蒙開拓青少年義勇軍 などがある。
以下は長野原町の長野原牧場近くにある群馬県満蒙開拓団碑である。 群馬県満蒙開拓団碑 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 2009.5.2 群馬県満蒙開拓団碑 出典:満蒙開拓団 殉難者拓魂 北関東 以下は、2009年に来たときに撮影した写真。このときは、坂本博之弁護士が参加された。 坂本博之弁護士は中国の遼寧省に同僚の弁護士と行き日本軍が満州で中国人に炭坑の強制労働を行ったり、虐殺したことに関連し、この20年、賠償責任を日本政府に迫る活動をしており、その一環だそうだ。今回で20回目とか、すごい! 長野原町にある群馬県満毛開拓団祈念碑 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 2009.5.2 群馬県からは、高崎、桐生、長野原など各地から満蒙開拓で大陸に渡っている。以下は長野原町にある満蒙開拓記念碑の碑文である。 なお、■部分は読み取り不明カ所である(青山)。
実は私(青山貞一)が住んでいる東京都品川区小山(旧荏原村)、通称、武蔵小山地域からも多くの住民が満蒙開拓団として旧満州地域に渡り、その多くは帰らぬ人となっている。 これについてはNHKが青山の95歳になる母親に聞き取り調査をしている。 ●長野原牧場と浅間牧場 群馬県満蒙開拓団の碑にお参りした後、隣にある酪農家の牛舎でたくさんのホルスタイン(乳牛)を見学した。 撮影:鷹取敦 Digital Camera CASIO EX-H20G 群馬県満蒙開拓団碑や牛舎がある長野原牧場は、好天の時には浅間山系、白根山系が360度のパノラマ場に見える絶好のビスタポイントであるが、この日は夕方から雲と霧があり、まったく浅間山も白根山も見えなかった! この後、国道146号線を南下し、浅間牧場に行った。しかし、ここでも雲と霧で眼前の浅間山さえ、裾の稜線が見える程度でいつもの勇姿は見えなかった。 浅間牧場にて 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 浅間牧場にて 撮影:奈須りえ Nikon CoolPix S8
つづく |