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バルト3国現地調査 ラトヴィア
リーガ歴史地区:
旧市街北部からリーガ大聖堂

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

10 April 2010 無断転載禁
初出:独立系メディア「今日のコラム」

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●2010年2月18日(木) 旧市街北部からリーガ大聖堂




リーガ旧市街図
作成:青山貞一

 ひとりで1.5kmの斜張橋を渡り、市街地を相当先まで行ってから旧市街に入った。すでに夕暮れだが、何とか写真はとれそうだ。

 下は斜張橋の上から撮ったフェリー。前は氷と雪で白一色だ!


斜張橋の上から撮ったフェリー。前は氷と雪で白一色だ!
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010

 リーガ城は改修中だったので旧市街の北から南に向け歩くことにする。下の写真はホテルに戻る時に分かったのだが、この白い棒にLEDが付けてあり、夜間は綺麗な電飾となっていた!


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010


改修中のリーガ城
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010


資料写真によるリーガ城 Source:Wikipedia

 この辺からは、聖ヤコブ教会の高い塔が見える。聖ヤコブ教会は1225年に最初に登場するリーガ旧市街で最も古い教会のひとつである。

 「地球の歩き方」によれば、
この聖ヤコブ教会の80mに及ぶ高い塔の途中に、突起があり、そこに”哀れな罪人の鐘”とよばれた鐘がつるされている。市庁舎広場で罪人の処罰が行われる際には、この鐘がそれを市民に知らせる役割をになっていたからである。また、言い伝えによると、この鐘は傍らを不貞な婦人が通ると自然になり出した。それゆえ女性達に嫌われ、夫らに圧力を掛けて、この鐘をはずしてしまったという。鐘は再び2001年のリーガ800年祭を機にとりつけられている。


聖ヤコブ教会の高い塔
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010


聖ヤコブ教会の高い塔
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010

 改修中のリーガ城の横を入ってピルス通りにあるのが聖母受難教会だ。なかなかいい格好と色をしている。


聖母受難教会
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010


英国教会に向かう途中の旧市街の町並み
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010


英国教会に向かう途中の旧市街の町並み
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010


 さらにそのピルス通りを南に数10m行くと下の英国教会(St.Saviour's Church)がある。この赤煉瓦でできた教会は、1857年に英国商人によって建てられた。リーガがソ連に占領されていた時代は何とディスコとして使われていたそうだから、まさに受難である(笑い)。

 現在、この教会は英国教会派の信者がミサに訪れている。また夕方にはバッハのコンサートなどでも利用されているそうだ。


英国教会
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010

 狭い露地を通ってさらに旧市街を南に行くと、ドォゥマ広場にでる。この広場で最も目を引くのは、いうまでもなく下の写真にある威風堂々のリーガ大聖堂である


ラトヴィアの首都リーガ旧市街にあるリーガ大聖堂
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010

 リーガ大聖堂は、世界遺産として登録されている「リーガ歴史地区」の中心部にあるラトヴィア・ルーテル教会の大聖堂である。ここはリーガにおける高等教育の発端ともなった場所である。

 1211年、アルベルト司教によってダウガヴァ川の近くに建築され、その後、いくどとなく増改築が行われている。その結果、建築様式は、ロマネスク建築、バロック建築などの建築様式が混在するようになっている。

 現在の大聖堂の建築物は18世紀後半のものである。バルト3国における中世の大聖堂の中では最大規模のものとされている。


ラトヴィアの首都リーガ旧市街にあるリーガ大聖堂
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010

 下の図はグーグルアースで3次元CG展開したリーガ大聖堂とドァゥマ広場である。


グーグルアースで3次元CG展開したリーガ大聖堂とドァゥマ広場

 以下はナチスドイツのラトヴィア攻撃時に炎上するリーガ大聖堂。


ナチスドイツのラトヴィア攻撃時に炎上するリーガ大聖堂
出典:火薬塔にあるラトヴィア軍事博物館所蔵
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010

 大聖堂にあるパイプオルガンは6718本のパイプ,124本のストップを持つもので、1882年から1883年にかけて製作され、1884年1月31日に設置された。最も長いパイプは10mにも及ぶという。パイプオルガンは建造当時、世界最大級のものだったようだ。

 建築年から見ると、高さ約90mの塔は1776年に立て直されものだが、それ以前は140mもあったという。

 内部の祭壇の壁の一部には、1709年に起きた大洪水の際に達した水位が記されている。この大洪水の影響で、コレラとチフスがリーガに蔓延しリーガの人口の1/3が亡くなったという。

 現在、大聖堂はコンサート、博物館としても利用されている。

 下の写真は大聖堂前のドゥァマ広場である。


大聖堂前のドゥァマ広場
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010


つづく


【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition