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真田の里、上州沼田

正覚寺 

大連院の墓

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda

September 25 2015
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真田の里、上州沼田 2015-9-20
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21 迦葉山弥勒寺

 六番目に訪問したのは、下の地図にある正覚寺Jです。


出典:真田の里 上州沼田 沼田市役所発行

 以下に正覚寺Jについて紹介します。

正覚寺の概要

 正覚寺の創建は不詳ですが当初は現在の榛名町(旧根岸村)付近にあったとされ永禄3年(1560)に沼田万鬼斎顕泰(当時の沼田城の城主)によって現在地に移されました。

 天正17年(1589)には真田家の重臣で名胡桃城代鈴木主水が北条家の侵攻により城を奪われた事を恥じ正覚寺の境内で自刃し当寺に葬られています。

 慶長17年(1612)、初代沼田藩主真田信幸の正室である小松姫(大蓮院:本多忠勝の娘で徳川家康の養女)から改めて現在地が境内として認められ、以後、沼田藩からの庇護の対象となりました。

 元和6年(1620)、小松姫が江戸で病気となり療養する為、草津温泉に行く途中、武蔵国鴻巣で息を引き取りその地で火葬、勝願寺(埼玉県鴻巣市)に埋葬され、その後、勝願寺と正覚寺(当寺)、芳泉寺(長野県上田市)(霊廟は信之が松代藩に移封の際、松代の大英寺に移築された。)に分骨されました。

 江戸時代には百体観音の信仰が広がり縁日には数多くの参拝者が訪れ賑いました。慶応2年(1866)の火災により堂宇が焼失し、明治6年(1873)に本堂が再建されています。

 境内にある小松姫(大蓮院)の霊屋と墓(高さ271p、宝篋印塔、戒名:大蓮院殿英誉皓月大禅定尼)は昭和51年(1976)に沼田市指定重要文化財に指定されています。

 正覚寺山門は万延元年(1860)に建てられたもので入母屋、銅瓦棒葺き、一間一戸の四脚門、正面には千鳥破風付きの唐破風が設えられ格式の高い建築、細部には精巧な彫刻が施され江戸時代後期の特徴を良く留めているとして平成13年(2001)に沼田市指定重要文化財に指定されています。

 又、境内にあるコウヤマキは根元7.33m、目通り3.59m、樹高21m、枝張り東西10.7m、南北10.3mあり昭和51年(1976)に沼田市指定天然記念物に指定されています。寺宝である絹本著色地蔵十王図(寛正2年:1461年作・11幅)は小松姫が正覚寺へ寄進したと伝えるもので平成6年(1994)に群馬県指定文化財に指定されています。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。

出典:群馬県沼田市観光・旅行見所ナビ


出典:真田氏時代の沼田城下町  沼田市教育委員会

 下は正覚寺の本堂です。


正覚寺の本堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-20


正覚寺の本堂 扁額
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-20

 下は正覚寺の門です。


正覚寺の門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-20

 下は正覚寺内にある観世音です。


正覚寺の観世音
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-20


正覚寺の観世音
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-20

 下は有名な正覚寺の山門です。


正覚寺の山門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-20

◆正覚寺の山門

 正覚寺の山門は、入母屋造平入(いりもやづくりひらいり)の銅瓦葺、一間一戸(いっけんいっこ)の四脚門で、建築年代は万延元年(1860)と推測されています。

 柱部分で正面3.373m、側面3.370m、高さ約7.3mである。正面には千鳥破風(はふ)を付け、その下側を向唐破風とし、鬼板部分には「立葵紋」(本多家家紋)を飾ってあります。

 建物全体が欅の素木造で、鉄拐(てっかい)仙人、鶴仙人と亀仙人他二十四孝の一つなどと、鶴や唐獅子が彫刻されています。大工は不明ですが、彫刻部材に新田郡の彫刻師「豊琳斎」の刻銘が見られ、同寺に伝わる「豊琳斎(ほうりんさい)」銘の小彫刻に安政6年(1859)の墨書銘があります。

 沼田市内に残る数少ない建築年代が推定できる山門であり、その建築技法や彫刻に江戸時代後期の特徴を良くとどめています。

出典:沼田市教育委員会



正覚寺の鐘楼
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-20

 以下は墓地の入口にある大仏の像です。


正覚寺の大仏像
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-20


◆大連院の墓


出典:真田の里 上州沼田 沼田市役所発行


出典:真田氏時代の沼田城下町  沼田市教育委員会

 正覚寺には、真田氏初代沼田藩主、真田信幸(後に信之)の正室であった大連院殿の墓があります。

 大連院は、徳川家康の重臣、本多忠勝の娘で名は小松姫といい、家康が養女にして天正17年(158)に信之に嫁がせたのです。

 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際には、上田に戻る真田父昌幸、弟の幸村のみが沼田城を訪れたことを不審に思い、入場を拒んだことで女丈夫とうたわれました。

 元和6年(1620)に病み、療養のために江戸から、草津に来る途中の2月24日に武蔵国鴻巣で没しました。享年48歳です。

 同所で火葬にして分骨し、同所の勝願寺、沼田の正覚寺、上田の芳泉寺にそれぞれ葬られました。


大連院の墓の解説
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-20


正覚寺にある大連院の墓
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-20

 下は正覚寺の墓地の写真です。


正覚寺の墓地
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-20

 以下は正覚院の境内の外れで沼田の河岸段丘を背景にして撮影した写真です。


沼田市の河岸段丘3
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-20


つづく