真田の里、上州沼田 沼田公園 沼田城跡 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda September 25 2015 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁 |
ここでは、沼田公園@の沼田城跡から現地視察をはじめます! 出典:真田の里 上州沼田 沼田市役所発行 ◆沼田公園@の沼田城跡 出典:真田の里 上州沼田 沼田市役所発行 沼田公園には、下の図にあるように、沼田城跡およびそれに関連する鐘楼などの史蹟、文化財に加え、旧生方家住宅(国指定重要文化財)、生方記念資料館、旧土岐家住宅洋館(国登録有形文化財)さらに市民のスポーツ、リクレーション施設として、野球グラウンド・ゲートボール場・テニスコート・・沼小講堂記念体育館・武道場・天狗堂・動物舎・東屋・遊具・花壇・駐車場(大型バス)・多目的トイレ等があります。 沼田公園案内図 ここでは沼田城跡に関連する史蹟などを見て回ります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 下の絵は、真田氏時代、沼田蔵内城の絵です。絵の一番上、中央に5層の沼田城本丸を見ることが出来ます。またその下に二の丸、三の丸が、さらに石垣や堀、土塁をみることができます。 真田氏時代、沼田蔵内城の絵 出典:沼田市観光協会 ◆沼田城の石垣・石段 下は沼田城跡に見る石垣と石段です。 沼田城跡に見る石垣と石段 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 沼田城跡に見る石垣と石段 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 下は沼田城関連の西櫓台あるいは土塁のようです。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 沼田城跡 西櫓台の石垣、石段についての解説 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 天正元年(1532)頃に沼田顕泰によって築かれた沼田(倉内)城は、上杉、武田(真田)、北条氏などの有力大名の狭間にあり、その属城として幾多の変遷を辿ってきました。 天正18年(1590)の北条氏滅亡以降は、正式に真田氏の所有する城となりました。 真田昌幸の嫡男信幸は、初代城主として城郭の大改造を手がけ、慶長年間(1591〜1614)には五層の天守を始め各種の櫓や門などを建造して近世城郭として整備を行いました。 しかし、天和元年(1681)に真田氏が改易になると城は滅ぼされました。 その後、本多、黒田、土岐氏と城主は変わり、明治を迎えますが、城の本格的な復興はなされませんでした。 発掘調査により発見されたこの石垣や石段は、西櫓台(前方の小高い部分)に伴うものであり、出土した瓦などから真田氏時代の遺構と考えられています。 五代城主信利(信澄)の改易により、翌年城は跡形もなく破却されたと言われてきましたが、壊されずに地中に埋められていた部分が300年井所を経て再び往事の姿を現しています。 発掘部分の石垣・石段は前兆27.5m、石垣の高さ0.8から2.0mとなっています。 出典:沼田市、沼田市教育委員会 以下は沼田市による沼田城発掘調査のホームページです。 沼田市による沼田城発掘調査 8月27日(木)、沼田公園内のテニスコート北側に位置する場所で、沼田城発掘調査が始まりました。この場所は、徳川幕府が全国の城持ち大名に提出させ、現存する「沼田城絵図」に描かれた沼田城の「本丸」付近にあたる場所で、今回、およそ300uの土地を発掘し、当時3間(約5.4m)の高さがあったとされる、真田時代の石垣などが調査される予定です。調査は、来月中旬まで行われる予定(悪天候の日を除く平日)で、良好な状態で石垣などが発掘された場合、一般公開についても検討されています。 下は発掘調査の状況写真です。 出典:沼田市 発掘調査の状況写真 下は発掘調査の開始を知らせる沼田市の twitter です。 発掘調査の開始を知らせる沼田市の twitter 以下は沼田城本丸堀跡から出た瓦などです。 沼田城本丸堀跡から出た瓦など 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 下は以前発掘され沼田市のパンフレットに掲載されている城の瓦です。 発掘された瓦の数々 出典:真田の里 上州沼田 沼田市役所発行 ◆沼田城の御殿桜 残念ながら、現地に行ったのが9月だったこともあり桜は見られませんでしたが、この近くに、沼田城の御殿桜があります。 沼田城御殿桜の解説 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 御殿桜は、慶長12年(1607)、真田信幸(信之)がここに五層の天守閣を築造した頃に植えられたと考えられているようです。この御殿桜ですが、位置は公園の西端。高い石垣の上であります。ここには三層の隅櫓があったようです。 以下は群馬県のホームページにある御殿桜についての記述です。 御殿桜は沼田公園内にあり、沼田城の天守閣が5層の雄志を誇っていたころに植えられ、今にのこっている沼田城形見の名木である。樹種はヒガンザクラで、沼田城跡のシンボル的な樹である。樹高は17メートル。樹勢は良好で幹は地上1.7メートルから2.5メートルの間で分岐している。中央と西と南西の大枝は途中から失われている。 この御殿桜は推定樹齢400年といわれ、根は古塁の石垣をしっかり抱き、春ごとに寂寥の色をたたえた花を開き、興亡の歴史を語りつづけている。 以下は沼田市役所のホームページにある御殿桜の一部です。 沼田公園内にあり、沼田城の天守閣が5層の雄志を誇っていたころに植えられ、今に残る沼田城形見の名木であり、沼田城跡のシンボル的な樹といえる。推定樹齢400年といわれ、根は古塁の石垣をしっかり抱き、春ごとに寂寥の色をたたえた花を開いて興亡の歴史を語り続けている。 とあります。 出典:沼田市役所のホームページ ◆沼田公園から見た河岸段丘 なお、以下の写真は沼田公園から見た河岸段丘です。 沼田公園から見た河岸段丘 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 沼田公園から見た河岸段丘 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 沼田公園から見た河岸段丘 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 つづく |