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前半 後半 全体 ■現地調査の目的 ここ10年、青山研究室では大学で「公共政策論:研究の一環として、戦争がもたらす人間社会、環境、歴史文化への影響、被害について継続的に研究を行っており、その一環として欧州に散在する強制収容所の調査を行ってきた。それら現地調査をもとに青山が担当する公共政策論、環境政策論などの授業で若い学生に伝えてきた。 今回の現地調査の主目的は第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人などの強制収容実態にあるが、それに関連した地域、また戦争により破壊された町並みを市民の手で修復し希有な景観を形成しているワルシャワはじめ中小都市の現地視察も調査目的となっている。 具体的な目的は以下の通りである。 (1)ポーランド南部と南東部に集中するナチス・ドイツが設置し ユダヤ人などを強制収容し虐殺した収容所、 (2)ナチス・ドイツにより徹底的に破壊されたワルシャワはじめ 各地の歴史的町並み、 (3)市民の手による町並みの修復・復旧・保存、 (4)ナチス・ドイツの侵攻に対して各地で起きた市民蜂起、 (5)市民蜂起に対するナチス・ドイツの対応、 を視察すること。 そのため2009年3月7日から3月15日にかけ、私達は厳寒のポーランドへの現地調査を敢行した。 ■現地調査訪問先の概要(強制収容所・監獄) ●強制収容施設 ポーランドには南部から南東部にかけアウシュビッツ、アウシュビッツU(ビルケナウ)はじめアウシュビッツV(モノビッツ)、ルブリン・マイダネク、ソビボール、ベルゼック、トレブリンカなど巨大な強制収容所がある。私の文献資料、著作、写真などによる調査では、これらポーランド南部から南東部にナチス・ドイツが設置した強制収容施設だけでも、私の推計では、330万人〜最大390万人がガス室送り、飢え、病気などで帰らぬ人となっている。 当初の調査計画では、アウシュビッツ、アウシュビッツU(ビルケナウ)はじめアウシュビッツV(モノビッツ)、ルブリン・マイダネク、ソビボール、ベルゼック、トレブリンカのすべてについて現地実態調査を敢行する予定であった。 しかし、実質5日間のポーランド滞在で上記のすべてを視察・調査するには移動距離が長いため、今回は@アウシュビッツ(Auschwitz ポーランド語でオシフィエンチムOswiecim)、AアウシュビッツUビルケナウ(Birkenau ポーランド語で ブジェジンカBrzezinka)、Bマイダネク(Majdanek)の3大施設に限定した。 私の推計では、これら3大強制収容施設だけで158万人〜230万人が帰らぬ人となっている。いずれもガス室、人体焼却施設(炉)などが設置されている。マイダネクの面積は270ヘクタールであり、ビルケナウよりも大きい。 ●アウシュビッツ強制収容所 有名なアウシュビッツ強制収容所の入り口 働けば解放されるとドイツ語で書いてある(世界遺産) 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10 アウシュビッツ強制収容所に残る人体を焼いた焼却炉(世界遺産) 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10 アウシュビッツ強制収容所の全体図 ●ビルケナウ強制収容所 世界的に有名なアウシュビッツU、ビルケナウ強制収容所の死の門 この引き込み線によって100万人以上の人々が強制収容所に 連れ込まれ大部分は帰らぬひととなった(世界遺産) 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10 ビルケナウ強制収容所の全体図 ●マイダネク強制収容所 マイダネク強制収容所の死体から金歯等を抜き取った処置室 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.12 マイダネクの人体焼却炉。ここでナチス・ドイツが 最初に人体を焼却したとされる 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.12 ルブリンに近いマイダネクの巨大強制収容所。イスラエルから 来た高校生のグループが右に見える。ホテルで一緒となる。 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.12 ●要塞・監獄施設 なお、北ワルシャワでは、ナチス・ドイツとは関連しないが、第一次大戦以前に帝政ロシアによってツタディラ(Citadel、要塞)として作られ、その後、帝政ロシアだけでなくドイツ軍によって収容監獄所として使われた第10号棟監獄跡も視察した。 北ワルシャワのツタディラ(要塞監獄)の死の門 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 10号棟監獄博物館にはこの種の絵が多数展示されている 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 さらに西部の世界遺産都市であり要塞都市であるザモシチ(Zamosc)も視察した。ザモチチは、南部のクラクフ(Krakow)同様ポーランドの大部分の旧市街が第一次、第二次世界大戦などで破壊されたが、奇跡的に戦災、戦禍を免れた町であり、中世の町並みがそのまま見られる。 中世の町並みがそのまま残る要塞都市、ザモシチ(世界遺産) 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.11 ザモシチの要塞(世界遺産) 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.11 そのザモシチ郊外には1939年にナチス・ドイツが侵攻し処刑場として使った場所がある。資料によると8000人以上のポーランド人、ユダヤ人、ソ連兵が犠牲になったとされる。 ●市民蜂起 歴史的に見てワルシャワほどナチス・ドイツだけでなく隣国に翻弄された国はない。国そのものが喪失したこともある。市民はその都度、為政者に対し蜂起を繰り返してきた。最大の蜂起ではワルシャワ市民約20万人が命を落としている。 ワルシャワでは、その記念が多数ある。記念碑だけでなく、ワルシャワ蜂起博物館(Warsaw Uprising Museum)までできており、博物館を訪問した。 ワルシャワ蜂起博物館の外観。宿泊先ホテルに近い 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 ワルシャワ蜂起博物館にはこの種の写真も多数展示されてる 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 |