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前半 後半 全体 ■2009年3月8日 終日ワルシャワ視察 ●再びワルシャワ歴史地区へ 北ワルシャワ10号棟博物館の視察を終え、再びワルシャワ歴史地区経由で宿泊先ホテル近くにあるワルシャワ蜂起博物館に行く。 とはいえ帰り道は行きと同じではもったいない。そこでクラシスキ公園の横を通る。 ◆クラシンスキ宮殿 公園の前にクラシンスキ宮殿を見る。 クラシスキ宮殿 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 ◆ポーランド最高裁判所 途中下の写真の巨大な立派な建築物が目に入る。 このリッパな建物は、ポーランドの最高裁判所である。規模と言い、デザインと言いなかなか奇抜、希有の建築物だ。 ポーランド最高裁判所 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 ポーランド最高裁判所 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 ◆ワルシャワ蜂起記念碑 この巨大な建築物(最高裁判所)の南端に、ワルシャワでは知らない人がいないワルシャワ蜂起記念碑がある(下の写真)。 ワルシャワ蜂起記念碑 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 ワルシャワに関連して歴史にも場所にも「蜂起(Uprising あるいは Rising)」という言葉が沢山出てくる。 映画「戦場のピアニスト」にも、このワルシャワ蜂起がたびたびでてくる。主人公のピアニストは、映画の中では、このワルシャワ蜂起を支援している。 ワルシャワでは、歴史的に見てたびたび蜂起が起こっているが、とくに重要な蜂起は第2次世界大戦中ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで起こった武装蜂起が重要である。 ワルシャワ蜂起は要約すれば次のようになる。 「第2次世界大戦末期、各地でドイツ軍をソ連軍がワルシャワに迫った。解放間近と見たポーランド軍とワルシャワ市民は1944年8月1日、ドイツ軍に対し一斉蜂起する。ポーランド軍は、一時優勢となるが、ポーランド軍が政治的に反ソ蜂起である実態を見たソ連軍がヴィスワ川の対岸まで到達しながら、そこで停止。援軍をたたれたポーランド軍は弱体化し、最終的に20万人近い犠牲者を出した。さらにこれによるワルシャワの市街地は85%破壊され10月2日にポーランドはドイツに降伏した」 長くなるが、ポーランド、ワルシャワを研究する上できわめて重要となる歴史的事実でもあるので、以下にワルシャワ蜂起について詳説したい。
最高裁と蜂起記念碑の反対側に2つの塔をもった建築物がある。 ワルシャワ蜂起記念碑の前にある 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 ◆バルバカン再訪 このあと蜂起記念像からほど近くにあるバルカバンを再訪する。 バルカバンの外側 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 とバルカバンには少年の彫像があった、実はこれもワルシャワ蜂起に関係している。 ワルシャワ蜂起では、10代以下の子どもたちも手に手に武器を取り、ポーランド軍とともにドイツ軍に立ち向かった。何とも悲しく涙が出る。 ソウルの西大門刑務所でも福島県二本松にある青年白虎隊でもそうだが、子どもたちのこの種の行動は本当にいたたまれないものがある。痛々しい。 ワルシャワ蜂起、とりわけ市民が一斉に立ち上がったワルシャワ市民蜂起については、映画「地下水道」(アンジェイ・ワイダ監督)に描かれている。 ワルシャワ蜂起に立ち上がった子どもの銅像 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 ワルシャワ蜂起に立ち上がった子どもの銅像 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 つづく |