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 Now on the Silk Road

サマルカンド2日目

アフラシャブ考古学博物館⑦
Arxeologik Muzey Visit in Samarkand

青山貞一 Teiichi Aoyama 東京都市大学名誉教授
 
池田こみち Komichi Ikeda 環境総合研究所顧問
掲載月日:2015年3月20日  公開予定日 2020年7月31日
独立系メディア E-wave Tokyo
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アフラシャブ考古学博物館①  アフラシャブ考古学博物館②
アフラシャブ考古学博物館③  アフラシャブ考古学博物館④
アフラシャブ考古学博物館⑤  アフラシャブ考古学博物館⑥
アフラシャブ考古学博物館⑦  アフラシャブ考古学博物館⑧

アフラシャブ考古学博物館⑨  アフラシャブ考古学博物館⑩
アフラシャブ考古学博物館⑪  アフラシャブ考古学博物館⑫

 以下はおそらく時代区分が異なりそうです。着物、着付けなどから、中国の唐時代のものと推察されます。

◆唐(Tang、618年 - 690年,705年 - 907年)

 中国の王朝です。李淵が隋を滅ぼして建国しました。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えました。

 日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見で停止されるまで、積極的に交流を続けた。首都は長安に置かれました。

 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例です。

 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられました。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではありません。

出典:Wikipadia

 上の記述の中に、中国の王朝は、7世紀の最盛期、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えました、とあり、中央アジアも支配の範囲に入っていたことが分かります。

 発掘された以下の絵は、ひょっとするとマルカンド(旧サマルカンド地域)が唐の支配を受けていた頃のものかも知れません。


中国の唐時代の絵画?
出典:サマルカンド考古学博物館(Afrosiab)入手資料


中国の唐時代の絵画?          中国の唐時代の絵画?
出典:サマルカンド考古学博物館(Afrosiab)入手資料


 以下は発掘された土器類です。これらの土器は、紀元前7世紀前後のものと推察されます。日本で言えば、縄文、弥生以降の古墳時代です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1


 サマルカンドの考古学博物館の出土品の前に立つ池田こみち。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


 下も発掘現場の再現ジオラマです。右側には煉瓦がありますが、ウズベキスタンなど中央アジアではアフリカのような日干し煉瓦ではなく、焼いた煉瓦が圧倒的であると、ブハラの「私立学芸員」に聞いています。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1


 下は、ソグト人らの矢、ヤジリなどの兵器、また土器、さらにそれらを焼く窯などです。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1


 下は素焼きの器です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1


 下の絵も有名なもので、上の土器の写真の上にあるソグド人の兵士の姿があります。あちこちの博物館でみたのものです。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1


 下は地図は、(古代の各都市のなかのサマルカンドの位置)すなわち サマルカンドの古代都市とあります。地図にあります小豆色の勢力版図から判断すると、ウマイヤ朝(西暦661年 - 680年、744年 - 750年)時代のものと推察されます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1



This photo of Afrasiab is courtesy of TripAdvisor

 以下は造形、装飾、がん具の文物です。

 記述によれば、アフロシャブで発掘された以下の装飾物は、トルコ汗国とテュルク・ソグドが共生したオートクチュールの新しい民族文化の特徴をもっており、その時代の芸術として登場したと述べられています。

 New ethno-cultural characteristics of Turkic-Sogdian symbiosis, elite fasion of the Turk-Khanate appeared in the art of that era. The compositions of carved alabasterand wood sculputers and reliefs on the ossuaries with Zoroastran motifs.

 また次の写真は、ゾロアスターをモチーフにした骨壺(ossuaries)に刻まれたアラバスターと木彫刻やレリーフの組成物です。

 The compositions of carved alabaster and wood sculptures and reliefs on the ossuaries with Zoroastran motifs.


出典:サマルカンド考古学博物館(Afrosiab)入手資料


 また、象牙で作らた完全に保存されてきたチェスセットの工芸技術のレベルは古代世界にあって独特なものとして評価されます。

 The level of culture can be judged by the unique, the oldest in the world fully preserved chess set made of ivory.


出典:サマルカンド考古学博物館(Afrosiab)入手資料



考古学博物館の出土品の前の池田こみち


 以下はアブラシャブの発掘に関わった人々の写真や資料です。さぞかし神秘的でワクワクしたものと推察できます。

 エジプトなどと比べても、格段に歴史の幅、すなわち紀元前+紀元後=1720年間もあり、考古学者にとってはこれ以上無い発掘作業となったことと思います。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1

 以下2枚は再掲です。
 

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1

 サマルカンド シルクロード 交易路


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1

 考古学博物館内での視察終了後、学芸員とおぼしき女性が係にフェンスのカギを開けさせるので、発掘現場でもある「アフラシャブの丘」を見ていってくださいと言われました。

 当然、見たいと返事したところ、「セニョール」と言う男性がカギを持って私達の先を行き、フェンスにある門のカギを開けてくれました。

 下の写真で池田の先を行く男性が「セニョール」さんです(笑い)。何しろ、この日は雲一つ無い快晴、楽しみです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下はアフラシャブの丘から北東側を撮影した写真です。手前にある白色は雪などではなく、何とゴミがすれられていました。左上にあります土の壁のような物が、かつての城壁跡のはずです。
 

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下はすでにお見せしていますグーグルアースによるアフラシャブの丘の衛星写真ですが、上の城壁あるいは土塁は、下の写真の右下にある城壁であり、古代につくられた城壁は写真の上部に横一線に見えるものです。

 ちなみに博物館は赤い点として見える位置にあります。博物館の真ん前を道が走っているのが分かります。左側がシャー・ヒン・ジンダ霊廟群側であり、右上側がウルグ・ベグ天文台側となります。


衛星写真で見た現在のアフラシヤブ(Afrosiab)の丘
ほぼ旧サマルカンドがそのまま保全、保存されています
出典:グーグルアース

 下の写真もすでにお見せしていますが、アフラシャブの丘で撮影した池田こみち、青山貞一です。悠久の歴史をもつ旧サマルカンドのアブラシャブの丘に立ったのは格別でした。


現在のアフラシャブの丘。サマルカンド歴史博物館の裏手にあります
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


現在のアフラシャブの丘。サマルカンド歴史博物館の裏手にあります
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3

 上の航空写真は見ずらいので、以下の再掲しました。


衛星写真で見た現在のアフラシヤブ(Afrosiab)の丘
ほぼ旧サマルカンドがそのまま保全、保存されています
出典:グーグルアース

 ところで、丘に入ると、ネズミ、ウサギ、リスに似ていながら、どれでもない動物が穴を掘りその中に多数いました。既に発掘が終わった跡地にマーモットが穴を掘って沢山暮らしているようでしたね。可愛かったです。

 下はマーモットの巣穴です。丘の至るところに、マーモットの巣穴が点在していました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 人間がフェンス内に入るとすぐに分かるらしく、皆、その穴に入ってしまいました。私は目が悪く良く見えなかったのですが、その動物が立って(たっち)しているのを目撃しました。ひょっとしたらミーアキャットかなと思いましたが、帰ってから池田とさんざん調べて見たら、中央アジアなどに棲息するマーモットであることが分かりました。すごく可愛く,愛らしい動物です。

 下がWikipediaにあったマーモットの写真です。

マーモット (Marmota)

 マーモットは哺乳綱ネズミ目(齧歯目)リス科アラゲジリス亜科マーモット属に分類される動物の総称であり、大型のジリスです。主にアルプス山脈、カルパチア山脈、タトラ山脈、ピレネー山脈、ロッキー山脈、シェラネバダ山脈、ヒマラヤ山脈などの山岳地帯に生息しています。





 ただし、中国東北部からモンゴルにかけての草原に生息するタルバガン、北米大陸に広く生息するウッドチャックなど、平野部に生息する種もいくつか存在しています。

 一般に巣穴の中で生活しており、冬季は冬眠する。大部分のマーモットは社会性の高度に発達した動物で、危険が迫るとホイッスルのような警戒音でお互いに知らせ合います。食性は主に草食性である。草、果実、コケ、木の根、花などを食てます。

出典:Wikipedia

 マーモットは、遺跡の丘だけでなく、その後歩いて向かったウルグ・ベク天文台に通ずる広い道の中央分離帯の植栽の中にもいました。マーモットは、道路沿いの植栽の中にもおりました。

 下がその道路の外側の植栽です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下の写真は池田こみちがやっとのことで望遠で撮影したマーモットです。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1

 この後、私達はウルグ・ベグ天文台跡に徒歩で向かいます。


出典:ウズベキスタン大使館配付資料
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


ウルグベグ天文台跡へつづく