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ウィーンフィル ニューイヤーコンサート 2012 青山 貞一 Teiichi Aoyama E-wave Tokyo |
K 恒例のウィーンフィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート(以下単にNYC)が2012年1月元日にウィーンで行われた。このNYCは世界70カ国に放送されている。およそ4億人がテレビ、ラジオなどで視聴する世界最大のクラシックコンサートと言ってよいだろう。 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート 出典:NHKEテレ 私は、2004年以来、ずっとこのウィーンフィルのNYCを衛星中継などで聞き、2009年以外ずっと論考を書いてきた。私たち環境総合研究所のメンバーにとっては、オーストリア、ウィーンは「因縁の場所」だが、それもあって一時期、しょっちゅうウィーンに出かけていた。 ウィーンの友人によれば、この元旦のNYCのチケットは超高額で地元市民でも10年前から予約しないと無理、しかも高額となっており、それがちまたで世界一入手が困難なコンサートチケットと言われるゆえんだ。 このNYCだが、その開始は戦前の1936年だ。したがって、70年以上の歳月と歴史を誇っている。 視聴率などどうでもよいのだが、2012年のNYCはオーストリアのテレビで最大64%の視聴率を達成したという。これは私がNYCのブログを開始した2003年以降で最高の数字である。凄まじい数字だ!オーストリア国民の音楽、文化に対する認識、知性、感性の高さを示す数字である。 ウィーン国立バレエ団 出典:NHKEテレ 下はバレイの舞台として使われたヴェルベデーレ宮殿。かのマリア・テレーゼが夏の離宮としてつかったお城でも有名。現在は美術館となっている。ウィーン南駅から徒歩でも行ける。 ヴェルベデーレ宮殿 出典:NHKEテレ 今年の指揮者は、2006年にNYCの指揮をとったマリス・ヤンソンスさんだ。 ヤンソンスさんについては、私の2006年のNYCブログで経歴などを詳細に書いた。 指揮者のヤンソンス氏は現在、バイエルン放送交響楽団そしてコンセルトヘボウ管弦楽団とヨーロッパを代表する名門オーケストラを率いている気鋭の指揮者だ。いわば、当代随一の実力をもつ、売れっ子指揮者である。そのヤンソンス氏が今回、2006年に次いでウィーンフィルの指揮をとった。 アンコール曲、美しき青きドナウの一場面 出典:NHKEテレ 美しき青きドナウ、An der Schoenen Brauen Donaus終了時の挨拶 この曲はオーストリア国民の第二の国歌となっている ウィーン国立バレエ団 出典:NHKEテレ <参考> パソコン演奏による An der Schoenen Brauen Donaus 青山貞一:美しき青きドナウのすべて@ 序論 ドナウ川とは 青山貞一:美しき青きドナウのすべてA ドイツ(始点)からオーストリア 青山貞一:美しき青きドナウのすべてB スロバキアからクロアチア 青山貞一:美しき青きドナウのすべてC セルビアからルーマニア(終点) ヤンスソンさんとNYCとの関係は1992年4月に初めてウィーン・フィルを指揮している。以来ヤンソンスさんは、ウィーン・フィルにとり最重要な指揮者の一人となっている。 コンサルトヘボーの主席指揮者でもあるヤンソンス氏だが、2006年ブログでも書いたが日本ではあまり知られていない。そのヤンソンス氏は、聞くところによると、オーケストラの楽器をバランスとって鳴らさせることが多く、特定の楽器を強調するようなことはあまりしないところの特徴?があるようだ。これがクラッシックファンにとって、<ヤンソンスは個性が薄い>と評される所以のようだが、今年の演奏を聴いていると必ずしもそうではない。小澤征爾のように、やたら熱情に走る演奏より私は好きである。 以下が今年の曲目である。
参考のため、2006年にヤンスソンさんが指揮したNYCの曲目を示しておく。
ところで、私と池田さんは2年前の真冬、ヤンソンス氏の故郷でもあるラトビアはじめいわゆるバルト三国に現地調査ででかけた。 ●ヤンソンス氏の故郷、バルト三国の真ん中にあるラトビアのリーガ ヤンスソンス氏 出典:NHKEテレ バルト三国とは、リトアニア、ラトビア、エストニアである。いずれも人口規模は、小さいがキラリと光る北欧の真珠である。 それらバルト三国はいずれも歴史と文化を生かした個性ある独自の国づくりをしている。まさに分権的競争があり、三国は文化、宗教、政治、歴史などさまざまな分野で競っている。 バルト三国の音楽、とりわけ合唱音楽は世界的に有名だ。私もそれぞれの国で合唱音楽CDを購入した。澄み切ってピリット感じる空気がその合唱音楽から感じられる! バルト合唱音楽集のCD ラトビア編 ラトビア、リーガの詳細は以下の論考集をご覧頂きたい。
以下は上記論考集の一部である。 ■ダウガヴァ川からみた中世(15ー17世紀)のリーガの景観 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010 1650年のリーガ 出典:English Wikipedia 以下は現在のラトヴィアの首都、リーガ旧市街全貌である。私たちが宿泊したホテルは写真中、左上の橋を渡ってすぐのところにあった。 出典:Wikipedia リーガの狭い露地を通ってさらに旧市街を南に行くと、ドォゥマ広場にでる。この広場で最も目を引くのは、いうまでもなく下の写真にある威風堂々のリーガ大聖堂である ラトヴィアの首都リーガ旧市街にあるリーガ大聖堂 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010 リーガ大聖堂は、世界遺産として登録されている「リーガ歴史地区」の中心部にあるラトヴィア・ルーテル教会の大聖堂である。ここはリーガにおける高等教育の発端ともなった場所である。 1211年、アルベルト司教によってダウガヴァ川の近くに建築され、その後、いくどとなく増改築が行われている。その結果、建築様式は、ロマネスク建築、バロック建築などの建築様式が混在するようになっている。 現在の大聖堂の建築物は18世紀後半のものである。バルト3国における中世の大聖堂の中では最大規模のものとされている。 ラトヴィアの首都リーガ旧市街にあるリーガ大聖堂 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010 以下はナチスドイツのラトヴィア攻撃時に炎上するリーガ大聖堂である。 ナチスドイツのラトヴィア攻撃時に炎上するリーガ大聖堂 出典:火薬塔にあるラトヴィア軍事博物館所蔵 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010 ところでラトビアの首都リーガは、いわゆるハンザ同盟のバルト海沿岸の一大拠点である。 私たちがラトビアに入ったのは2010年の2月18日、雪はなかったが気温はマイナス3−4℃、凍てつく寒さのなかで撮影した写真をいくつかご覧いただきたい。 ハンザ同盟の一大拠点、ラトヴィア・リーガ旧市街のブラックヘッド会館 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010 ブラックヘッド開館の正面にある丸い時計の下には、4大ハンザ都市、すなわちリーガ、ハンブルグ、リューベック、ブレーメンの紋章が浮き彫りにされている。 リーガ ハンブルグ リューベック ブレーメン 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010 そしてそれぞれギリシャ神話にでてくる神々が置かれている。 ハンザ同盟の一大拠点、ラトヴィア・リーガ旧市街のブラックヘッド会館 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010 聖母受難教会。裏側から撮影 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010 これはホテルに一旦帰り帰り食事で再訪したときに撮影したもの 左側の塔はリーガ大聖堂の塔 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010 真冬のトワイライトのリーガは何か幻想的だ!本当は寒くて立っているだけで辛い(笑い)。 これもホテルに一旦帰り帰り食事で再訪したときに撮影したもの 右の建物はブラックヘッド会館の隣の建築物 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010 バルト三国は、歴史的にドイツのヒットラー、ソ連のスターリンなどの独裁者始め他国から侵略支配されてきた悲しい歴史をもった国である。そのような歴史的経路から他国からの侵略、支配を防御するための軍事は、経済的自立とともにきわめて重要なものであった。 下は、リーガにあるラトヴィア軍事博物館の入口である。 ラトヴィア軍事博物館のロゴ 下は現在、ラトヴィア軍事博物館が入っている火薬塔。 ラトヴィア軍事博物館の前で 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010 ラトヴィア軍事博物館の入り口の前で 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010 |