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兵馬俑 百度百科4

西安
(Xi'an、中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月
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 次は中国西安市(長安市)の兵馬俑の百度百科版の4です。

◆兵馬俑 百度百科4

・二号坑

 一号坑は農民が井戸を掘っている時に発見されたのに対し、二号坑は考古学者らによる科学的な調査で発見されました。1976年4月~5月、考古学者チームは第一号坑北側の東端を目的を持って掘削していました。そして4月23日、もうひとつの兵馬俑が発見されました。

 1994年3月1日、二号坑保護のための大規模建屋が竣工した後、第二号坑の公開セレモニーが大々的に行われ、その際、国家文物局局長の張德勤氏は現場を訪れ、第二号坑の掘削作業を正式に開始することを宣言しました。この考古学的な発掘プロジェクトを科学的かつきちんと行うため、国家文物局は、第二号坑発掘専門家チームを設置し、考古学的発掘を指導することとしました。


隔梁旁等距离分布着立柱,起加固隔梁的作用
兵馬俑展示  出典:中国百度百科

 秦の始皇帝二号俑坑は曲線的な形をしており、第一号坑の北側、かつ三号坑の東側に位置しています。東西の長さは96メートル、南北の幅は84メートル、総面積は約6,000㎡となっています。坑内の建物は第一号坑と同様ですが、列と武器などはより複雑なものとなっています。

 第二号坑は3つの坑の中でも、最も見応えのある軍の隊列となっています。これらは、騎兵隊、戦車、特殊部隊(歩兵を含む)など様々な部隊から構成されています。二号坑の陶製の俑馬の数は1300を超え、また、戦車は80両余り、青銅の兵器は数万件に及びます。その中でも将軍の俑や鞍付きの馬の俑、膝を突いて矢を射る姿の俑などは、初めて発見されました。第二号坑の東、西の両端には四箇所のスロープをつけた入り口(門)があり、北側にも二つのスロープをつけた門道があります。俑坑は東向きに設置され、正門は東側となります。

 坑内のレイアウトは4つユニットに区分されています。第一ユニットは、俑坑の東端で、四面を取り囲んでいる長い廊下には、立って弓を持つ兵の俑が60体設置されています。また、陣構えは広がった編成を採用し、立って跪きまた立ち上がるというように順番に弓を射るという形を取り、兵がゆっくり交代しながら攻撃する様子を表しています。

 第二ユニットは俑坑の右側にあり、64台の戦車の編成で構成されています(車は木質で、残骸のみが残っています)。列ごとに、8人が乗り込み、全部で8列あります。車の前には本物の馬の大きさの陶製の馬の俑が4頭います。各車は、後列に兵隊の俑が3体、中央は馬の轡をもつ騎手がいて、その他両側には馬車の左右に長い柄の兵器を手に持った兵隊が立っています。


俑坑中被大火烧过的铺地砖
兵馬俑展示  出典:中国百度百科

 第三ユニットは、中央に位置しており、19両の戦車、264体の歩兵の俑と8体の騎士の俑で構成され3列に別れています。各列ごとに、馬の前には騎士の俑兵が一人立ち、一方の手で馬を引き、もう一方の手で弓を引いています。それぞれの車の後ろには3名の騎手とは別に、8人から36人の歩兵の俑が配置されています。

 第四ユニットは、軍の隊列の左側に位置しており、108人の騎士の俑と180頭の陶製の鞍をつけた馬の俑で11列の横隊を編成し、騎兵隊は長方形に配置されています。その中で、第一と第三の列には戦車が6両あります。いずれも馬が前にいて、胡服(こふく:中国北方民族の服装)を着た騎士の俑が1体、右手で馬を牽き、左手に弓を持っています。

 俑坑内部には108体の騎兵の俑があり、これは中国考古学史上、量的に最も多い発見で、古代騎兵の形を表す試料となっています。特殊な装束は騎兵は、騎兵隊の戦術的な特徴と密接に関係しています。秦俑坑2号から出土したのは、弓を射る人、車に乗る軽い兵、騎兵の俑で、2200年前の古代騎兵、軽い車兵と弓を引く箭手の形を示す貴重な資料の初めての展示となりました。これらは、古代軍事史の歴史的研究にあって非常に重要な意味を持っていました。


・三号坑

 第三号坑の発見は第二号坑と同様に、考古学探索チームによる発見でした。第一、第二俑坑の発見に引き続き、1976年5月11日、一号坑北側の西端25メートルの所で掘削によって発見された陪葬坑の一つでした。発見の順番から、此の坑を第三号坑と名付けました。

 秦の始皇帝兵馬俑三号坑は,一号坑の西端北側、二号坑の西面した所にあり、一号坑から南に25メートル、二号坑の東に120メートルに位置しています。面積は520平方メートルで、凹型の形をしており、南北に中庭を囲む建物と、車両と馬用の建物で構成されています。車用の馬の部屋には、四頭馬の戦車と4体の兵馬俑がありました。三号坑から出土した兵馬俑は68体に及びます。


兵馬俑展示  出典:中国百度百科

 三号坑の内部のレイアウトをみると、第一、二号坑の司令部のようになっています。三号坑は三つの坑の中でも唯一、火災による被害を受けなかったため、出土した俑の体には色彩が比較的多く残されており、顔色も鮮やかです。春秋戦国時代の前の戦争において、指揮を執った高官の多くはいち早く戦地に赴く必要があり、正義のために勇猛果敢に闘うために、五人一組の兵の前に立って戦いました。

 春秋戦国時代は次第に戦争の規模が大きくなり、作戦方式も変化し指揮者の位置は中軍(左右または前後の部隊の中央に位置する部隊)へと移動していきました。秦の時代戦争の指揮部隊は中軍の中で独立し、そのことによって軍事戦術的にも大きく進歩しました。指揮部が独立したことににより、指揮官は作戦案についてより緻密に研究できるようになり、さらに、重要な指揮者である将軍の身の安全を守ることにもなりました。

 これは古代の軍事戦術的発展と成熟の観点から非常に重要なシンボルでもあります。三号秦坑は世界の考古学史上最も早く軍事司令部を形作った資料の発見と言えます。建築構造、陶製俑の配列、兵器の配置、出土文物などすべて一定の特色を持っています。これらは、古代司令部の形や、占いや戦闘儀式、命令システムや衣服、装備その他の問題を研究するための貴重な資料を提供しています。

・四号坑

 四号坑は俑がありません。ただ、掘り出した土を埋め戻すための泥が積まれており、それは、秦の末期に農民の蜂起がおきたことが原因で完成できなかったものと推察されます。


兵馬俑(百度百科5)へつづく