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兵馬俑8 中国百度百科

西安
(Xi'an、中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月
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 次は中国西安市(長安市)の兵馬俑の中国百度百科版8です。

◆兵馬俑8 中国百度百科

<車馬:車を引く馬の俑>


兵馬俑展示  出典:中国百度百科

 兵馬俑坑の中には各戦車の前にすべて四頭の陶製馬が設置されています。陶製の馬の大きさは本物の馬に近いもので、身長が約2.1メートル、高さが1.72メートルとなっています。四頭の馬の造形は基本的に同じで、尻尾は短く切って縛ってあります。首は上げていて、口を開けていなないています。中間の二頭の馬は、両耳を立てて、目は光って前を見据えています。両側の副馬(四頭立ての馬車で外側の二頭の馬)は、首を僅かに外側に向け、飛び跳ねながら前進したがっている非常に優れた馬です。

 秦の俑坑から出土した陶製の馬の俑は、秦の始皇帝陵園内の馬屋坑から出土したもので、本物の馬の体長、背丈、体の各部分は基本的に同じとなっており、これらの馬は本物の馬をモデルに作られたことがわかります。馬の主な特徴は、頭が比較的小さく、首は短く、頭部は広く、河曲(現在の甘粛洮河一帯)の馬の種類に属します。


<鞍馬:鞍を着けた馬の俑>


兵馬俑展示  出典:中国百度百科

 鞍をつけた馬の俑は、二号俑坑から出土しています。首の高さ(馬の背丈)は1.72メートル、尻尾の付け根までは1.33メートルとなっています。馬の体型から見ると、俑坑から出土した陶製の馬の頭は大きくなく、頭部は比較的重く、鼻骨は隆起しており、首は比較的短く、尾を切って縛った髻は低く、背中は広く、やや下にくぼんでいます。胸は広く、四肢はよく発達し、早さとともに、挽馬型の特徴を兼ね備えており、騎乗にも優れた馬となっています。

 雲夢秦簡(うんしんぼうかん)に関連する文献に寄れば、鞍をつけた馬は主に、官庁の馬苑で見られたといいます。県の長官が馬を管理し県の馬苑において、軍馬の調教を行い馬を選んでいました。そのため、軍馬の優劣は、県の長官と密接に関係していました。秦は、それ以降、馬の養育で有名になり、秦王朝時代には馬の養成が産業としても盛んになりました。そのため、中央と地方の各地で馬の養成のための馬苑がつくられ騎兵用と車兵用の馬の供給が行われました。

 注)雲夢秦簡(うんしんぼうかん) コトバンクより
  従来,秦帝国は法家思想に基づき厳刑主義を採用したとされているが,秦の法律の内容について
  残されている史料はほとんどなかった。ところが1975年に湖北省雲夢県睡虎地から統一秦直前の
  時期のものと推定される竹簡〈雲夢(うんぼう)
  秦簡〉が1000枚以上発見され,秦律の実態の一部が明らかとなった(睡虎地秦墓)。たとえば,これ
  まで秦の法律は,商鞅が魏の李悝(りかい)が作った《法経》6編を基にして〈六律〉を作り,それ
  が漢の〈九章律〉に吸収されたといわれてきたが,雲夢秦簡には二十数種の律名が明記されており,
  六
律のほかに付加法としての律の存在を認めねばならなくなった。


兵馬俑(百度百科9)へつづく