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中山道、信州 宿場探訪

中山道と宿場

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

May 15, 2015
Alternative Media E-wave Tokyo
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信州 宿場探訪 (中山道 和田宿編)
 中山道とは  中山道と宿場  中山道の全体像  信定寺
 和田宿本陣(概要)   和田宿本陣(建物)  和田宿本陣(什器など)   山木屋・大黒屋
 かわちや・歴史の道資料館(建物)  かわちや・歴史の道資料館(什器など) 
 旅籠の全体総括  羽田野・脇本陣  八幡神社、菩薩寺  米屋鐵五郎本舗

◆宿場とは

 宿場(しゅくば)とは、主に江戸時代、中山道、東海道、甲州街道などの五街道や脇往還において駅逓事務を取扱う為設定された町場をいいます。

 宿駅ともいい、古代、奈良時代・平安時代から駅馬・伝馬の制度によって整備されてきました。また、宿場を中心に形成された町を宿場町(しゅくばまち)と呼びます。

◆近世の宿場

 近世の宿場の整備は徳川家康によって関ヶ原の合戦後に始められました。

 まず東海道、続いて中山道と順次進められてゆきます。東海道では、1601年(慶長6年)に品川から大津迄を53駅と定め、ここに東海道五十三次が始まりました。しかし、全部が一度に設置された訳ではなく、順次整備されて最後に庄野宿が出来たのは、1624年(寛文元)でした。

 宿場では公用人馬継立ての為定められた人馬を常備し、不足の時には助郷を徴するようになりました。また、公武の宿泊、休憩の為問屋場、本陣、脇本陣などが置かれました。

 これらの公用のための労役、業務については利益を上げるのは難しかったのですが、幕府は地子免許、各種給米の支給、拝借金貸与等種々の特典を与えることで、宿場の保護育成に努めました。

 他に一般旅行者を対象とする旅籠、木賃宿、茶屋、商店等が建ち並び、その宿泊、通行、荷物輸送等で利益を上げました。また、高札場も設けられていました。

 伝令・輸送については、宿ごとに置かれた飛脚が宿から隣の宿までを走り(時には早馬を使うこともありました)、そこで次の飛脚にバトンタッチすることで、当時としては脅威のスピードで伝書などを渡すことが行われていました。

◆宿場の諸施設

@問屋場 - 人馬の継立、助郷賦課等の業務を行っていました。

A本陣 - 武士や公家が宿泊・休憩をした場所です。商業的な宿泊施設ではなく、その地の
   有力旧家の邸宅が本陣として指定される事が多かったようです。

C脇本陣 - 本陣に次ぐ武士や公家の宿泊施設ですが、空いている時は一般旅行者も泊めました。

D旅籠 - 一般旅行者用の食事付き宿泊施設です。

E木賃宿 - 一般旅行者用の自炊宿泊施設です。

F茶屋 - 旅人向けの休憩場で、お茶、一膳飯、お酒などを売っている店です。

G商店 - 旅人向けに商いをする店です。

H高札場 - 幕府からの禁制や通達事項などを標した高札を掲げた場所です。

I枡形(ますがた) - 宿場の両端の街道をクランク状に曲げた場所。もともとは有事の際に
   敵を迎え撃つための設備でした。

J木戸 - 宿場の端(見附付近)に設けられ、木戸と木戸の間(見附と見附の間)が
   宿場町とされました。木戸の他に常夜灯が設置されている場合もありました。
   また殆どの場合、夜間は防犯等の目的で閉鎖されていました。

 以下に主な用語について詳しく説明します。

◆本陣とは

 本陣は、 江戸時代以降の宿場で大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家を指します。原則として一般の者を泊めることは許されておらず、営業的な意味での「宿屋の一種」とはいえません。宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が指定されることが多かったようです。また、本陣に次ぐ格式の宿としては脇本陣がありました。

 本陣の由来については、南北朝時代や戦国時代に遡らせる説もあるが、明確なものとしては、寛永11年(1634年)の将軍徳川家光の上洛の際に宿泊予定の邸宅の主人を本陣役・本陣職に任命したのが起源とされ、翌年の参勤交代導入とともに制度化されました。


東海道 草津宿 本陣

 本陣は、行程の都合などを勘案して指定された。そのため、宿泊に応じられる本陣のほか、小休止などに使われる原則として宿泊はしない本陣が指定されることもありました。宿場町であっても、前後の宿間距離が短い場合などには、本陣が置かれない場合もありました。

 また、その街道筋を使う大名家などが懇意としている有力者の家を独自に指定することや、宿泊する大名が多い場合には複数の本陣が指定されることもありました。

 本陣には宿泊者から謝礼が支払われたが、それは対価ではなくあくまでも謝礼であり、必ずしも対価として十分なものとは言えなかったとされています。そのため、本陣の指定に伴い、そこの主人には苗字帯刀、門や玄関、上段の間を設けることができるなどの特権が認められました。一方で、それらを名誉なこととして受け止め歓迎する向きもあったものの、出費がかさんだことで没落する家もあったそうです。

 特に江戸時代後期になると、藩財政の悪化に伴う謝礼の減額や本陣である問屋や庄屋としての家業(商業や農業など)の不振による経営難によって破綻する例もありました。そのため、時期によって本陣が指定変えされたケースも少なくないようです。

 文久の改革以後、参勤交代の形骸化が進み、明治維新によって参勤交代が行われなくなると本陣は有名無実となり、明治3年(1870年)に明治政府より本陣名目の廃止が通達されて制度としての本陣は消滅しました。


出典:Wikipedia


旅籠(はたご)とは

 旅籠は江戸時代、旅人を宿泊させ、食事を提供することを業とする家のことです。旅籠屋(はたごや)の略となっています。

 旅籠という言葉はもともとは旅の時、馬の飼料を入れる籠(かご)のことでした。それが、旅人の食糧等を入れる器、転じて宿屋で出される食事の意味になり、食事を提供する宿屋のことを旅籠屋、略して旅籠と呼ぶようになったのです。


東海道 赤坂宿 大橋屋(2007年)


歌川広重『東海道五十三次 赤坂』

 江戸時代の街道には宿場ごとに多くの旅籠があって武士や一般庶民の泊まり客で賑わっていました。次第に接客用の飯盛女を置く飯盛旅籠と、飯盛女を置かない平旅籠に別れてゆきました。

 然し、明治時代になって旧街道が廃れ、鉄道網が発達してくると、徒歩や牛馬による交通が減少し、旅籠も廃業に追い込まれたり、駅前に移転するところが相次ぐようになりました。現在でも、旧宿場町の同じ場所で昔のままに旅館を営んでいるものは数えるほどしかありません。

 混雑時には相部屋が求められ、女性の旅客は難儀をしたとされています。旅籠の宿泊代は概ね一泊200〜300文(現在の貨幣価値で3000〜5000円程度に相当)程度が一般的だったようです。


出典:Wikipedia


◆高札場(制札場)とは

 江戸幕府は人々の往来の激しい地点や関所や港、大きな橋の袂、更には町や村の入り口や中心部などの目立つ場所に高札場(制札場)と呼ばれる設置場所を設け、諸藩に対してもこれに倣うように厳しく命じました。
 
 これに従って諸藩でも同様の措置を取ると同時に自藩の法令を併せて掲示して自藩の法令の公示に用いていました(代表的な高札場としては江戸日本橋、京都三条大橋、大坂高麗橋、金沢橋場町、仙台芭蕉辻などが挙げられる)。


復元された台の高札場跡(埼玉県日高市)

 また、宿場においても多く設置され、各宿村間の里程測定の拠点ともされました。このため、移転はもとより、高札の文字が不明になったときでも、領主の許可なくしては墨入れ(高札は墨で書かれていたため、風雨には大変弱かった)もできなかったそうです。

 その代わりに幕府や諸藩では「高札番」という役職を設けて常時、高札場の整備・管理に務めさせ、高札の修繕や新設にあたらせました。

 また、この民衆への周知徹底のために高札の文面には、一般の法令では使われない簡易な仮名交じり文や仮名文が用いられました。更には当時の幕府は法律に関する出版を厳しく禁じる方針を採っていたにも拘らず、高札に掲示された法令に関しては「万民に周知の事」と言う理由で簡単に出版が許されたばかりでなく、高札の文章は寺子屋の書き取りの教科書としても推奨されていました。


出典:Wikipedia

 下は和田宿本陣(長野県長和町)前の池田こみちです。


和田宿本陣(長野県長和町)前の池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4


つづく

下は中山道の信州(長野県)、上州(群馬県)における宿場の位置です。


上州、信州の中山道宿場  出典:グーグルマップ


信州の中山道宿場  出典:グーグルマップ


以下が中山道六十九次の宿場リストです。小豆色の部分は、今回現地視察した宿場です。

中山道六十九次の宿場
宿場 令制国 現在の自治体 特記事項
都道府県 市区町村
日本橋 武蔵国 豊島郡 東京都 中央区 甲州街道、日光街道、奥州街道、矢倉沢往還(青山通り大山道)と結ぶ。
発って1里の本郷追分(文京区弥生1丁目)で日光御成街道と結ぶ。
1.板橋宿 板橋区 川越街道と結ぶ。
2.蕨宿 足立郡 埼玉県 蕨市
3.浦和宿 さいたま市 浦和区 府中通り大山道と結ぶ。
4.大宮宿 大宮区
5.上尾宿 上尾市
6.桶川宿 桶川市
7.鴻巣宿 鴻巣市 熊谷宿との間に、間の宿であり千人同心街道との交点でもある吹上宿あり。
8.熊谷宿 大里郡 熊谷市 秩父往還、八王子通り大山道と結ぶ。
9.深谷宿 榛沢郡 深谷市
10.本庄宿 児玉郡 本庄市 下仁田道(上州姫街道)と結ぶ。
11.新町宿 上野国 緑野郡 群馬県 高崎市
12.倉賀野宿 群馬郡 日光例幣使街道と結ぶ。
13.高崎宿 三国街道と結ぶ。
14.板鼻宿 碓氷郡 安中市
15.安中宿
16.松井田宿
17.坂本宿
18.軽井沢宿 信濃国 佐久郡 長野県 北佐久郡 軽井沢町
19.沓掛宿 長野県 北佐久郡 軽井沢町
20.追分宿 長野県 北佐久郡 軽井沢町 信濃追分。北国脇往還(北国街道、善光寺街道)と結ぶ。
21.小田井宿 長野県 北佐久郡 御代田町
22.岩村田宿 長野県 佐久市
23.塩名田宿 長野県 佐久市
24.八幡宿 長野県 佐久市
25.望月宿 長野県 佐久市 芦田宿との間に間の宿・茂田井宿あり。
  茂田井宿 長野県 北佐久郡 立科 番外
26.芦田宿 長野県 北佐久郡 立科町
27.長久保宿 小県郡 長野県 小県郡 長和町
28.和田宿 長野県
29.下諏訪宿 諏訪郡 諏訪郡 下諏訪町 甲州街道と結ぶ。
30.塩尻宿 筑摩郡 塩尻市 三州街道(塩の道)と結ぶ。
31.洗馬宿 北国西脇往還(北国西街道、善光寺街道、善光寺西街道)と結ぶ。
32.本山宿
33.贄川宿
34.奈良井宿
35.藪原宿 木曽郡 木祖村
36.宮ノ越宿 木曽町
37.福島宿
38.上松宿 上松町
39.須原宿 大桑村
40.野尻宿
41.三留野宿 南木曽町
42.妻籠宿 馬籠宿との間に間の宿・大妻籠あり。
43.馬籠宿 岐阜県 中津川市
44.落合宿 美濃国 恵那郡
45.中津川宿
46.大井宿 恵那市 下街道(善光寺道)と結ぶ。
47.大湫宿 土岐郡 瑞浪市
48.細久手宿
49.御嶽宿 可児郡 可児郡 御嵩町
50.伏見宿 上街道(木曽街道)と結ぶ。
51.太田宿 加茂郡 美濃加茂市
52.鵜沼宿 各務郡 各務原市 加納宿との間に間の宿・新加納宿あり。
53.加納宿 厚見郡 岐阜市
54.河渡宿 本巣郡
55.美江寺宿 瑞穂市
56.赤坂宿 不破郡 大垣市
57.垂井宿 不破郡 垂井町 美濃路と結ぶ(美濃路追分)。
58.関ヶ原宿 関ケ原町
59.今須宿
60.柏原宿 近江国 坂田郡 滋賀県 米原市
61.醒井宿
62.番場宿 北陸道と結ぶ。
63.鳥居本宿 彦根市 北陸道、朝鮮人街道と結ぶ。
64.高宮宿 犬上郡
65.愛知川宿 愛知郡 愛知郡 愛知川町
66.武佐宿 蒲生郡 近江八幡市
67.守山宿 野洲郡 守山市
68.草津宿 栗太郡 草津市 東海道と共有(草津追分)。
69.大津宿 滋賀郡 大津市 東海道と共有。北陸道と結ぶ。
三条大橋 山城国 愛宕郡 京都府 京都市 東山区 京街道と結ぶ。
出典:Wikipedia


つづく