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中山道、信州 宿場探訪

米屋鐵五郎本舗

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

May 15, 2015
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信州 宿場探訪 (中山道 和田宿編)
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 かわちや・歴史の道資料館(建物)  かわちや・歴史の道資料館(什器など) 
 旅籠の全体総括  羽田野・脇本陣  八幡神社、菩薩寺  米屋鐵五郎本舗

 以上、紹介してきましたように皇女和宮が京都から江戸に中山道で降嫁することに関連し、和田宿では大火にもかかわらず、本陣、脇本陣はじめ宿場の諸施設を再造築しました。そのこともあり、現在に至るまで諸施設が中山道の長野県内の他の宿に比べ、原形をとどめており、観光客にまた私達のような研究者にとって貴重な存在となっていると感じました。

 ところで、一通り現地視察を終えた後、一服しようと中山道沿いで飲食できる店を探しましたが、羽田野(かあちゃん家)が閉まっていました。そうこうしているうちに、中山道沿いに本陣から西に少し行ったところに、米屋鐵五郎本舗というお休みどころ(茶屋)を見つけました。
 

 出典:中山道和田宿 長和町教育委員会、長和町産業振興課

 下がその米屋鐵五郎本舗です。


 出典:中山道和田宿 長和町教育委員会、長和町産業振興課
 
 何でも、米屋鐵五郎本舗は、和田宿再開発計画の一環として問屋「米屋家」跡を改築し、歴史資料館と休憩所を兼ねた和田宿の新スポットとということで、せっかくなので、米屋鐵五郎本舗に寄ってみました。

 下はその米屋鐵五郎本舗のパンフレットの表紙にあった写真です。おそらく大黒屋から羽田野側を撮影した写真に江戸時代の中山道を行く人々を重ねたものですが、非常にすばらしい写真です。 

 中山道には皇女和宮の一行から参勤交代の一行だけでなく、士農工商を問わず多くの人々が往来したに違いなく、その風景が以下の写真によく表現されています。


 出典:中山道和田宿 長和町教育委員会、長和町産業振興課

 この「米屋鐵五郎」では下記の3つの事業を柱として、事業展開しているそうですが、たとえば「田舎暮らしをお考えのお客様に確かな情報を提供し、快適な暮らしをご提案します」とあります。

・別荘暮らし支援
別荘をお探しですか?
長和町にはたくさんの別荘地があります。条件の合うところが必ず見つかります。

・田舎暮らし支援
古民家をお探しですか?
田舎暮らしにちょうどいい、中山道和田宿周辺・田園地域の田舎景観地・菜園付き古民家等をご案内いたします。

 下の写真は「米屋鐵五郎本舗」前で撮影した池田こみちです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4

 店は和田宿のインフォメーションセンターとなっており、さまざまな情報がパンフレットなどとしておいてあります。また下の写真にあるように写真や文物の展示、掲示もあります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4

 また喫茶コーナーがあり、「そばがき」や「そばクレープ」「ガレット」などこの地方ならではの食べ物もいただくことができます。なかなかの珍味で美味です。そばがきは、その昔、長野県庁に特別公務員で毎週通っていたとき、戸隠のそば屋でよく食べました!

 下の「そばがき」や「そばクレープ」は、お塩、味噌、マスタード、ネギなどをつけていただきます。・


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4

◆蕎麦がき(そばがき、蕎麦掻き)

 蕎麦粉を使った初期の料理であり、蕎麦が広がっている現在でも、蕎麦屋で酒のつまみとするなど広く食されています。蕎麦切り・蕎麦のように細長い麺とはせず、塊状で食する点が特徴です。

 蕎麦がきは5世紀の文献にあらわれますが、縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されている程、日本では古くから蕎麦が食べられていました。

 江戸時代半ばまではこの蕎麦がきとして蕎麦料理を食べられていましたが、江戸中期には麺状にした「蕎麦切り」が庶民の生活に広がり[3]、日本全国に広がっていた。

 蕎麦粉に湯を加えるか水に入れてから加熱し、箸などで手早く混ぜて粘りを出し、塊状にして食します。水分が多かったり、加熱しすぎると上手に出来ない事があります。特別な事が無い限り蕎麦粉100%の粉が使用されます。

 そばの産地では子供でも作れるので、かつてはおやつの定番であった。箸で少しずつちぎりながら、そばつゆや醤油をつけて食べます。

 調理方法として、蕎麦粉に熱湯をかけて混ぜ、粘りがでた状態のものを食べる「椀がき」と、小鍋に蕎麦粉と水を合せコンロで加熱しながら練る「鍋がき」があります。鍋がきはおやきを作るときの皮と似ていますが、より柔らかくしてご飯を混ぜ込んだり、手でちぎってすいとんのように出汁に落として煮たりと、家庭によって調理は様々です。

 水を加えて加熱することで、蕎麦粉のでんぷんを糊化(アルファ化)させることにより、消化吸収がよく蕎麦の栄養を効率よくとることができるため、健康食としても見直されています。

出典:Wikipedia


 私達は「米屋鐵五郎本舗」で一服した後、中山道を少し探索した後、次の宿に向かいました。

 下は和田中学校です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4

 下は上和田のバス停です。一時間に一本バスがあるかないかです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4

 以下はバスの待合です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4

 下は中町などでのスナップ写真です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4


長久保宿に つづく