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寺社仏閣の「明治村」?

狭山山不動寺(所沢市)

10.第一多宝塔

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


December 8 2014
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@調査の背景と目的 E第二多宝塔、康信寺 J桂昌院宝塔 O御成門
A狭山不動寺全体 F大黒天 K本殿、書院晴明閣 P台徳院霊廟詳細1
B桜井門・石灯籠 G羅漢堂 L徳川霊廟門 Q台徳院霊廟詳細2
C石灯籠の全国移築1 H鐘楼・総門 M丁子門 R崇源院霊廟詳細
D石灯籠の全国移築2 I第一多宝塔 N勅額門
歴代徳川将軍家家系  徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間

◆第一多宝塔

 第一多宝塔は、弘治元年(1555)大阪府高槻市梶原にある畠山神社に建てられていたものです。美濃国の林丹波守が建立したと伝えられています。慶長2年(1607)の墨書があり桃山時代の建物です。埼玉県の有形文化財に指定されています。昭和36年に、狭山寺に移築されたとありますが、その具体的経緯と方法は不明です。


第一多宝塔
  撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24


第一多宝塔
  撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24


第一多宝塔の解説板
  撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24

◆畑山神社と多宝塔

所在地 大阪府高槻市梶原1丁目5-12
主祭神 天児屋根命・菅原道真
例祭 10月第1日曜日

畑山神社は、大阪府高槻市梶原に鎮座する神社。

歴史
元亀年中(1570年代)丹波守が金仙寺の鎮守三十番神を合祀し、新たに殿舎を造営して、二重宝塔を建て、精舎に改めて立源山永福寺と号した。 三十番神は郷士理元入道、社職高兵衛介が日蓮上人を迎えて開眼したという。 慶長年中の火災で焼失。村民協議して再建したのが現在の社殿で、多宝塔の棟札に宝永3年(1706年)7月13日大工喜右営門の名がある。明治元年(1868年)の神仏分離令により、明治5年(1872年)畑山神社に改める。

境内
五輪塔 寛永13年10月7日妙法蓮華経龍源院宗雲霊  林丹波守供養塔。
多宝塔跡 多宝塔は昭和35年に埼玉県のユネスコ村に移築され、その後に多宝殿が造られた。
楠 高槻市保護樹木(平成2年6月11日指定)

 出典:Wikipdeia

つづく