エントランスへはここをクリック   文化茶道徳川

寺社仏閣の「明治村」?

狭山山不動寺(所沢市)

16.御成門


青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


December 8 2014
Alternative Media E-wave Tokyo
無断転載禁
@調査の背景と目的 E第二多宝塔、康信寺 J桂昌院宝塔 O御成門
A狭山不動寺全体 F大黒天 K本殿、書院晴明閣 P台徳院霊廟詳細1
B桜井門・石灯籠 G羅漢堂 L徳川霊廟門 Q台徳院霊廟詳細2
C石灯籠の全国移築1 H鐘楼・総門 M丁子門 R崇源院霊廟詳細
D石灯籠の全国移築2 I第一多宝塔 N勅額門
歴代徳川将軍家家系 徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12

◆台徳院霊廟 御成門


狭山山不動寺にある旧台徳院霊廟の御成門(重要文化財)

◆徳川秀忠の 墓所・遺骸について

 法名は台徳院殿興蓮社徳譽入西大居士。墓所は東京都港区の一角にあった台徳院霊廟であったが戦災で焼失し、昭和33年(1958年)に台徳院霊廟が増上寺本堂近くに移転改築された際、土葬されていた秀忠の遺骸も桐ヶ谷斎場で荼毘に付されて改葬されました。

 この際に秀忠の遺体の調査が行われたが、その遺体は、棺の蓋や地中の小石等の重みにより、座した姿勢のままその衣服等とともに縦に圧縮され、畳んだ提灯の如くつぶれていました。

 圧縮により変形が激しく、また骨が著しく分解され軟化していたため、詳細な調査は不可能であった。毛髪等の調査の結果、秀忠の血液型はO型で、四肢骨から推定した身長は157.6cmでした。

  また、かつての霊廟室内には宝塔が祀られていたが、こちらも戦災で焼失した。現在は内室崇源院(江)と共に合祀されています。

 出典:Wikipdeia


狭山山不動寺にある旧台徳院霊廟の御成門(重要文化財)  
出典:所沢市


狭山山不動寺にある旧台徳院霊廟の御成門(重要文化財)  
  撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24


狭山山不動寺にある旧台徳院霊廟の御成門(重要文化財)  
  撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24


狭山山不動寺にある旧台徳院霊廟の御成門(重要文化財)の天井絵  
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-24


狭山山不動寺にある旧台徳院霊廟の御成門(重要文化財)  
  撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24

つづく