寺社仏閣の「明治村」? 狭山山不動寺(所沢市) 17.台徳院霊廟 詳細1 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda December 8 2014 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁
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撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12 ◆台徳院霊廟 詳細 台徳院霊廟(たいとくいんれいびょう)は、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の霊廟建築。芝増上寺に造営されました。江戸時代初期を代表するの豪華な彫刻で飾られ東京を代表する観光地として知られていましたが、東京大空襲で焼失しています。 江戸幕府第2代将軍徳川秀忠は寛永9年(1632年)正月24日に死去。霊廟は増上寺境内南側に設けられました。 霊廟の建立は同年2月から開始され、7月に本殿の上棟式が行われました。霊廟は1930年5月23日、当時の国宝保存法に基づき国宝(現行法の「重要文化財」に相当)に指定されました。 1945年、太平洋戦争の空襲で大部分の建物が焼失しました。秀忠の墓所は1958年に発掘調査が行われた後、改葬されており、現在は増上寺安国殿裏の徳川家墓所に墓塔が建てられています。 なお、台徳院霊廟については、以下の建造物が国宝保存法に基づく国宝(現行法の「重要文化財」に相当)に指定されています。 台徳院霊廟の建築物 ・本殿・相之間・拝殿 ・渡廊 ・中門 ・透塀 ・水盤舎 2棟 ・奥院宝塔(木造) ・奥院覆屋 ・奥院中門 ・奥院玉垣 ・奥院拝殿 ・惣門 ......増上寺に隣接し存在 ・勅額門 ......狭山山不動寺に移築 ・丁子門 ......狭山山不動寺に移築 ・御成門 ......狭山山不動寺に移築 ・附:銅燈籠12基 註:黄色部分は今回の一連の現地調査で確認したものです。 台徳院霊廟は増上寺本堂南側の南御霊屋に東を正面として営まれていました。 上記は何と、海外文献にも以下のように紹介されていました。
所在地は現在の港区芝公園、ザ・プリンスパークタワー東京の敷地にあたります。霊廟の北には隣接して崇源院(秀忠夫人)霊牌所がありました。 台徳院霊廟建物群の配置はおおよそ次のようであったと推定されています(以下、太字は旧国宝建造物)。 霊廟の入口には惣門があり、これを入って参道を進むと勅額門があります。勅額門を入って右方には丁子門があり、北隣の崇源院霊牌所との間の仕切門となっていました。 勅額門をくぐってさらに参道を進むと、左右に1棟ずつの水盤舎があり、正面が中門です。中門左右から発する透塀が御霊屋を囲んでいます。 御霊屋は本殿・相之間・拝殿が一体となった権現造です。 本殿の右(北側)に渡廊が接続する。これらの建物群の左方(南方)の小高い場所に奥院(墓所)があり、奥院へ向かう参道の途中に御成門があります。 奥院には拝殿、中門、玉垣があり、玉垣で囲まれた内側に、覆屋内に建つ宝塔(墓塔)があります。『江戸図屏風』にはこれらの建築物が位置関係も含めて正確に描写されており、また五重塔もあったことが見て取れます。 以下が『江戸図屏風』に描かれた台徳院霊廟です。中央から下にかけて御成門、勅額門が見えます。この絵の右側に増上寺が位置することになります。 『江戸図屏風』に描かれた台徳院霊廟 出典:Wikipddia 上記『江戸図屏風の説明図 出典:http://markystar.wordpress.com/2013/05/29/daitokuin/ 以下は部分拡大図です。勅額門、御成門、丁子門の位置がよく分かります。 江戸図屏風』に描かれた台徳院霊廟 部分拡大図 出典:http://markystar.wordpress.com/2013/05/29/daitokuin/ 作成:青山貞一 つづく |