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寺社仏閣の「明治村」?

狭山山不動寺(所沢市)

15.勅額門

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


December 8 2014
Alternative Media E-wave Tokyo
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@調査の背景と目的 E第二多宝塔、康信寺 J桂昌院宝塔 O御成門
A狭山不動寺全体 F大黒天 K本殿、書院晴明閣 P台徳院霊廟詳細1
B桜井門・石灯籠 G羅漢堂 L徳川霊廟門 Q台徳院霊廟詳細2
C石灯籠の全国移築1 H鐘楼・総門 M丁子門 R崇源院霊廟詳細
D石灯籠の全国移築2 I第一多宝塔 N勅額門
歴代徳川将軍家家系 徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12

◆台徳院霊廟 勅額門 

 台徳院霊廟は太平洋戦争前まで増上寺の一角にありましたが、台徳院霊廟の大部分の施設は焼失し、惣門を除いた三棟が徳川家墓所の改葬を機に、狭山山不動寺に移築されています。

 以下はその台徳院霊廟の勅額門です。現在、狭山山不動寺の正規の正面玄関門となっていました。

 勅額(ちょくがく)とは、皇帝・天皇などの為政者が国内の寺院に特に与える直筆の書で記された寺社額を意味します。


狭山山不動寺にある台徳院霊廟の勅額門


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24

 以下は『江戸図屏風』に描かれた台徳院霊廟です。中央から下にかけて御成門、勅額門が見えます。この絵の右側に増上寺が位置することになります。


『江戸図屏風』に描かれた台徳院霊廟   出典:Wikipddia


狭山山不動寺にある旧台徳院霊廟
出典:所沢市

◆徳川秀忠の 墓所・遺骸について

 法名は台徳院殿興蓮社徳譽入西大居士。墓所は東京都港区の一角にあった台徳院霊廟であったが戦災で焼失し、昭和33年(1958年)に台徳院霊廟が増上寺本堂近くに移転改築された際、土葬されていた秀忠の遺骸も桐ヶ谷斎場で荼毘に付されて改葬されました。

 この際に秀忠の遺体の調査が行われたが、その遺体は、棺の蓋や地中の小石等の重みにより、座した姿勢のままその衣服等とともに縦に圧縮され、畳んだ提灯の如くつぶれていました。

 圧縮により変形が激しく、また骨が著しく分解され軟化していたため、詳細な調査は不可能であった。毛髪等の調査の結果、秀忠の血液型はO型で、四肢骨から推定した身長は157.6cmでした。

  また、かつての霊廟室内には宝塔が祀られていたが、こちらも戦災で焼失した。現在は内室崇源院(江)と共に合祀されています。

 出典:Wikipdeia


狭山山不動寺にある台徳院霊廟の勅額門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24


狭山山不動寺にある台徳院霊廟の勅額門の勅額
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24

 下の写真は 勅額門から御成門を見たところです。


御成門から勅額門からを見たところ
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24

 下の写真は、勅額門より御成門を見たところです。


勅額門から見た御成門
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-24


◆大銀杏の御神木

 勅額門のとなりに、大きなイチョウの御神木(に類する木)がありました。

 狭山山不動寺の勅額門の脇にある銀杏の大木です。この銀杏は城山城址にあったものを、区画整理に伴い移植したものだそうです。雑草を掃除していた係りの方から銀杏の実をいただきました。


御神木の大銀杏
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-24

 下はいただいた銀杏の実です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-24

つづく