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寺社仏閣の「明治村」?

狭山山不動寺(所沢市)

13.徳川将軍霊廟門

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


December 8 2014
Alternative Media E-wave Tokyo
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@調査の背景と目的 E第二多宝塔、康信寺 J桂昌院宝塔 O御成門
A狭山不動寺全体 F大黒天 K本殿、書院晴明閣 P台徳院霊廟詳細1
B桜井門・石灯籠 G羅漢堂 L徳川霊廟門 Q台徳院霊廟詳細2
C石灯籠の全国移築1 H鐘楼・総門 M丁子門 R崇源院霊廟詳細
D石灯籠の全国移築2 I第一多宝塔 N勅額門
歴代徳川将軍家家系 徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12

◆徳川将軍家霊廟門

 狭山山不動寺には、昭和50年に増上寺からコクドによって以下の文化財が移築されていました。以下はその3つの文化財です。

1)丁子門 - 増上寺にあった崇源院(お江の方)霊廟から移築した。
2)勅額門 - 増上寺にあった徳川秀忠(台徳院)の廟から移築した。
        後水尾天皇の筆により『勅額』門とされる。
3)御成門 - 増上寺にあった徳川秀忠(台徳院)の廟から移築した。

 以下は往事の増上寺及び徳川将軍家霊廟の全体立体地図です。

 中央に増上寺があり、向かって左側(南側)に台徳院(徳川秀忠将軍霊廟)などが、また向かって右側(北側)に有章院(徳川家継霊廟)、文昭院(徳川家宣将軍霊廟)などがありました。

 以下は昭和20年以前の増上寺にあった徳川将軍家の霊廟及び石塔、宝塔の位置図です。


昭和20年の戦災以前の増上寺霊廟図  出典:増上寺配付資料

 
 下は往事の写真です。


文昭院殿(六代家宣公)霊廟 奥院唐門
 旧国宝。正徳3年(1713)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。
 本殿横の仕切り門を出て西に進むと、奥院前の石段へ至る。奥院は唐門・
 拝殿、一段上がって中門(現存)・宝塔(現存)が一直線に配されていた。


有章院殿(七代家継公)霊廟 中門・左右廊内部
 旧国宝。享保2年(1717)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。
 有章院殿霊廟主要部(拝殿・相之間・本殿)の入口である、中門・左右廊内部
 より勅額門を臨んだ写真。


 これら増上寺の左右には、全体として非常に広大な敷地に徳川家霊廟がありましたが、戦後、国土計画、後にコクドが両側に東京プリンスホテルなどホテル及び駐車場を開発しており、原型はとどめていません。

◆徳川将軍の院号一覧

将軍名    院号名             戦前における増上寺との位置関係
徳川家康  安国院(あんこくいん)
徳川秀忠  台徳院(だいとくいん)    増上寺 向かって左側
徳川家光  大猷院(たいゆういいん)
徳川家綱  厳有院(げんゆういん)
徳川綱吉  常憲院(じょうけんいん)
徳川家宣  文昭院(ぶんしょういん)   増上寺 向かって左側 
徳川家継  有章院(ゆうしょういん)    増上寺 向かって右側
徳川吉宗  有徳院 (ゆうとくいん)
徳川家重  惇信院 (じゅんしんいん)  
徳川家治  浚明院(しゅんめいいん)
徳川家斉  文恭院(ぶんきょういん)
徳川家慶  慎徳院(しんとくいん)
徳川家定  温恭院(おんきょういん)
徳川家茂  昭徳院(しょうとくいん)

 なお、上記の3つの門はいずれも増上寺に向かって左側の霊廟群の中にあったものです。


出典:増上寺 徳川霊廟特別拝観時の配付資料

 以下は現地で撮影した動画を並べたものです。なぜ、このような国民にとって国宝級の重要文化財が増上寺から所沢に移築されたのか、きわめて問題があります。何としても、もとの場所に再移築させたいものです。


◆徳川将軍家霊廟調査 狭山山不動寺 台徳院霊廟門他 E-wave Tokyo
 撮影:青山貞一  JVC GZE254 デジタルビデオカメラ 2014-11-24

つづく