江戸の桜名所探訪 〜目黒川沿いの大崎新副都心〜 青山貞一 掲載日:2015年3月29日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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目黒川沿いに大崎駅近くまで来ました。 工場や工場跡で誰も近づけなかった大崎駅周辺は大きな変貌を遂げており、地元品川区に永年住んでいる私でもビックリです。 しかし、これに驚いてはいけません。大崎駅周辺には、大崎ニュー・シティーの隣に東京だけで無く、日本有数のハイテク新副都心が誕生しているのです。その中核はゲートシティ大崎です。しかも、目黒川のサクラはここでも健在です! 下のグーグルマップがその「大崎ハイテク新副都心」の全容です。JR大崎駅、山手通りと目黒川に挟まれた一帯に、かつては工場や工場跡地だけの地域に、ハイテク新副都心が誕生したのです。 大崎新副都心 出典:グーグルマップ ◆大崎ニューシティー 目黒川沿いにあった星製薬や日本精工の大崎工場跡地に、1987年に完成したのが大崎ニューシティです。これは東京都品川区大崎で進められた再開発地区のひとつであり、第一号でした。 当時は、前年の1986年に竣工した六本木のアークヒルズ、その後1994年に竣工した恵比寿ガーデンプレイスなどと並び、最先端の都市再開発事業であり、東京の新名所となりました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-29 出典:大崎ニューシティ
1986年に設立した私達の環境総合研究所は、当初、新宿5丁目のマンションの一室で事業を始めましたが、その後、目黒川を挟み大崎ニューシティの反対側にある「御殿山ハイツ」に移転しました。今から25年以上も前のことです。 下は2015年3月29日に撮影したその「御殿山ハイツ」の写真です。 研究所のオフィスはこの御殿山ハイツの3階と11階にあり、当時は、大崎ニューシティーが出来て間もなくであり、その後、進められるゲートシティ大崎など副都心開発計画はまったく存在していませんでした。 大崎ニューシティーの対岸にある「御殿山ハイツ」 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-29 この「御殿山ハイツ」から大崎ニューシティーは目と鼻の先、昼食を食べに行ったり、買い物に行ったりしていました。当時から大崎ニューシティー周辺の目黒川一帯は春になるとサクラが咲き乱れるすばらしい場所でした。 下は大崎ニューシティー側の目黒川沿いのサクラ並木です。このサクラ並木はいまだ健在でした。右が大崎ニューシティーとなります。 大崎ニューシティー前のすばらしいサクラ並木 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-29 下は大崎ニューシティー側から撮影した目黒川沿いサクラ並木です。曇天が悔しいですが。 大崎ニューシティー側から撮影した目黒川沿いサクラ並木 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-29 このあたりのサクラは25年前も今もすばらしいの一言です。 大崎ニューシティー前のすばらしいサクラ並木 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-29 以下は大崎副都心誕生の背景と概要です。
◆大崎駅周辺再開発 「大崎新副都心」の誕生 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-29 その後、大崎ニューシティのすぐ隣に、1995年、ゲートシティ大崎が着工し、1999年に竣工しました。 私達は御殿山ハイツから高輪3丁目にオフィスを移転した後、さらに東五反田の池田山にオフィスを移転した後も、大崎ニューシティやゲートシティ大崎に食事などでよく来ていました。 実は現地視察当日(3月29日)の昼そして昨日(3月30日)も、夕飯の外食で大崎ニューシティに行きましたし、。29日は2階の「うどん屋」、30日も2階の「中華料理屋」と25年前からよく行った店に行きました。いずれもリーズナブルでおいしい店です。 ...... ところで、ゲートシティ大崎の開発について率直に言えば、ゲートシティ大崎の規模はあまりにも巨大であり、構造やデザインは、一口で言えばバブリーでありエネルギー多消費型の建築物と感じました。下の計画の経緯を見ると,事実、ゲートシティ大崎はバブル崩壊によって何度も計画を見直すなど苦悩があったとあります。 一方、大崎ニューシティはゲートシティ大崎に比べると堅実なプロジェクトのように感じます。また何度行っても、近くの地域住民と大崎ニューシティは有機的に連携が図られており、さらに外部からも多くの人々が食事などで訪れており、テナントの店も頻繁に代わるようなことはないようです。 とはいえ、都内全体で見ると、その後に開発された恵比寿ガーデンプレイス、六本木ヒルズ、丸の内・大手町再開発事業、汐留再開発事業などに比肩する東京の新名所であることに変わりはありません。 私見は、五反田から大崎に至る一大再開発事業が、目黒川のウォーターフロントと、江戸から現在につながる品川御殿、御殿山のサクラと有機的に連携している点で個性と独自性のあるまちづくりとなっている点は見逃せません。
出典:ゲートシティ大崎 下の大判写真をご覧ください。 これが大崎ニューシティからゲート・シティ大崎に至る「大崎新副都心」です。 目黒川のサクラもバッチリ健在です! 大崎ニューシティーは写真の一番奥に近い白い小さな建物とその一つ手前の建物です。 それより手前のガラス張りの建築物はいずれもゲート・シティ大崎の建物となります。 どうでしょう! 誰も注目しなかったかつての大崎の工場跡地が目黒川のサクラ並木と調和したあらたな新副都心として見事に生まれ変わったのです。 しかも、この地域は、江戸時代の三大桜の名所、すなわち上野寛永寺、芝増上寺、御殿御殿のひとつ、御殿山に誕生したのです。御殿山は、現在の品川区北品川です。 |
大崎新副都心」と目黒川のサクラ 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-29
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