エントランスへはここをクリック   

江戸の城南5山探訪

島津山ソニー歴史資料館

青山貞一 Teiichi Aoyama

掲載日:2015年4月5日
独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁
◆名所探訪・目黒川両岸の秀逸なサクラ
@目黒川に桜見物船  A目黒川沿いに五反田へ  B目黒川沿いに大崎へ  C目黒川沿いの大崎新副都心
D目黒川沿いの東海寺周辺
江戸の桜名所探訪・城南5山 御殿山
@城南5山、御殿山  A御殿山 北品川4  B御殿山庭園  C御殿山と権現山
D明治の鉄道と御殿山  E東海道線沿いに権現山へ  F権現山公園
◆江戸の城南5山探訪 八ッ山・島津山・池田山
@八ッ山、開東閣、ソニー村  A島津山、ソニー資料館  B島津山、清泉女子大  C池田山、旧正田邸跡

城南5山と島津山

 私はソニー村を後に、下の写真にある「ガーデンシティー品川御殿山」の前を通り、島津山に向かいました。
 

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2


出典:グーグルマップ

 島津山は、現在の品川区東五反田1・3丁目付近の高台に相当します。名称は、旧島津公爵邸に因み、同邸宅は現在清泉女子大学となっています。ブルネイ大使館などもあります。

 下は八ッ山橋通り(旧ソニー通り)を「ガーデンシティー品川御殿山」から五反田方向に向かい途中、右折したところで撮影した写真です。左奥に島津山を象徴する清泉女子大学があります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-29

 このソニー跡地に出来た「ガーデンシティー品川御殿山」は、御殿山と名をうっているだけあり、随所にサクラが植えられていましたが、29日はまだ早いのか、満開には今ひとつとなっていました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-29

 下は島津山の坂を少し登ったところで振り返ってソニー通りから島津山に入ってきた道を撮影した写真です。

 3月29日は曇天で写真は上手く撮れませんでしたが、少しみないうちにソニー村とともに、島津山の景観が一変したことに驚かされました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-29

 さらに坂を上がって行くと、御殿山にあったソニー村で唯一残されたソニー歴史資料館(Sony Archives)がありました。

 下の写真の突き当たりがソニー歴史資料館(Sony Archives)です。昔は井深記念館という名前だったと記憶しています。この時期、島津山近くのサクラの開花は少し遅いようです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-29

 下がソニー歴史資料館(Sony Archives)です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-30

 下はソニー歴史資料館(Sony Archives)の入口の標識です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-3-29

 以下、歴史資料館の概要を公式Webから掲載します。

ソニー歴史資料館
 
 以下は公式Webに見る、ソニー歴史資料館についての説明です。

 ソニーは戦後間もない1946年(昭和21年)5月、資本金19万円、従業員数約20名の小さな会社としてスタートしました。

 創業者の井深大は、会社設立の目的を「技術者がその技能を最大限に発揮することのできる“自由闊達にして愉快なる理想工場”を建設し、技術を通じて日本の文化に貢献すること」と、記しています。

 そして「人のやらないことをやる」というチャレンジ精神のもと、数々の日本初、世界初の商品を打ちだしてまいりました。

 ソニー歴史資料館は、ソニーがこれまで世に送りだしてきた代表的な商品と、さまざまな資料を中心に展示を行っております。それらの展示を通して、ソニーのモノづくりの精神を感じとっていただければ幸いに存じます。

 以下は歴史資料館のフロアマップです。
 フロアマップ(pdf)

 それにしても、創業者の井深大さんが会社設立の目的を「技術者がその技能を最大限に発揮することのできる“自由闊達にして愉快なる理想工場”を建設し、技術を通じて日本の文化に貢献すること」と、記しているにもかかわらず、なぜ、ソニーは、銀行、損保などおよそ井深さんの志と異なる事業にまで手を出したのでしょうか? 非常に疑問を感じます。

 以下は、Wikipediaに見るソニーです。

ソニー株式会社

 ソニー株式会社(英: Sony Corporation)は、日本のAV機器企業。事業はゲーム、映画、金融等に多角化されている。TOPIX Core30の構成銘柄の一つ。

 主にテレビ、デジタルイメージング、オーディオ・ビデオ、半導体、コンポーネントの製品を開発、販売する。2014年3月31日現在で1337社の子会社、115社の関連会社をもち、子会社・関連会社を通じて携帯電話端末、映画、音楽、ゲーム、金融、ネットワークサービス等に関連した事業を行っている。

 2012年の米国調査会社レピュテーション・インスティテュートの世界で影響力のあるブランドを調査では世界2位。またABIのブランドイメージ調査で2008年に1位の評価を得ている。

社業
1946年 - 井深大、盛田昭夫らが東京都中央区日本橋の白木屋 (後の東急百貨店
       日本橋店、現在の『COREDO 日本橋』の場所)3階に東京通信工業株式
       会社を設立。これがソニーの前身となる。社長に前田多門、専務(技術担当)
       に井深、常務(営業担当)に盛田という体制をとった。
       初めは真空式電子電圧計などを製作していた。
1947年 -
本社および工場を東京都品川区の御殿山地区に移転。
1950年 - 日本で初めてテープレコーダーを製作、販売した。
1953年 - トランジスタの研究を開始。
1955年 - トランジスタラジオの製造販売を開始。このとき、ロゴにSONYを採用しアメリカ
      合衆国などにも輸出し始めた。Sonyとは音を意味する英語のSonic、ラテン語
      のSon(us)と男子の子供の英語の「坊や」を意味するSonnyから付けられた。
1958年 - ソニー株式会社に社名を改め、東京証券取引所に上場した。
1960年 - 世界最初のトランジスタテレビを発売。
1961年 - 日本の株式会社として初めてADR(米国預託証書)を発行。本格的な
       資本調達の国際化のはしりとなる。
1961年、不動産管理会社ソニー企業を設立。
1966年 - ショールームビルとして東京の銀座にソニービルを建設。
1968年  日本初のカラーブラウン管、「トリニトロン」方式のカラーテレビを開発した。
       この「トリニトロン」方式のブラウン管は家庭用、放送業務用問わずテレビ・ビ
       デオモニターの全商品で使われている(種類にはFDトリニトロン、放送業務用
       モニターで使われているHRトリニトロンなどがある)。
       アメリカのCBSと合弁でシービーエス・ソニーレコード(現、ソニー・ミュージック
       エンタテインメント)を設立。
1970年 - 日本企業としては初めてニューヨーク証券取引所に上場。
1975年 - 電池の製造・販売を目的として、アメリカのユニオン・カーバイドとの合弁で
       ソニー・エバレディを設立。
1979年 - ソニー・プルデンシャル生命保険(現、ソニー生命保険)を設立した。
1986年 - ユニオン・カーバイドとの合弁を解消し子会社化して「ソニー・エナジー・
       テック」が発足した。
1988年 - CBSレコード・グループ(現、ソニー・ミュージックエンタテインメント)を買収。
1989年 - コロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメント(現、ソニー・ピクチャーズ・エンタ
       テインメント)を買収。
1993年 - ソニー・コンピュータエンタテインメントを設立。
1998年 - アメリカ合衆国のプロゴルフツアー・ハワイアンオープンに協賛。
      「ソニーオープン・イン・ハワイ」として開催。
2000年 - ベルリンのポツダム広場にソニーセンターをオープン。ヨーロッパ本社を
      ケルンからベルリンに移す。
2001年 三井住友銀行と合弁でソニー銀行設立。携帯電話端末事業のためエリクソン
      と合弁でソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズを設立。
2004年 - メトロ・ゴールドウィン・メイヤーを買収。
2005年 - 出井伸之会長兼CEOらトップ3人が退任、ソニー初となる外国人トップの
      ハワード・ストリンガー会長兼CEOが誕生。
2007年 - 本社を東京都港区港南一丁目に移転。旧本社地区の保有不動産を積水
      ハウスに売却。

2012年 - ソニー・エリクソンを完全子会社化。
2013年 「ソニーシティ大崎」を日本ビルファンド投資法人や国内機関投資家などに
      1111億円で売却、なお、ソニー及びグループ企業は今後5年間、引き続き
      当該ビルを使用する予定。
     
 東京都品川区北品川の「ソニー3号館」の持ち分62%を54億5600万円で
      ニッキに譲渡し、「NSビル」のニッキ所有持ち分58.7%を51億5000万円で取得。

2014年 2014年3月期の連結最終損益(米国会計基準)が約1100億円の最終赤字と
      なり、ソニーは主力2事業の大規模な再編を発表。「VAIO」を展開するPC事業
      を、投資ファンド日本産業パートナーズが設立する新会社に事業譲渡し、
      ソニーが販売するVAIOとしては、2014年春モデルを最後に撤退。
      7月を目処に、9期連続で営業赤字が続く「BRAVIA」などを展開するTV事業を
      設立する完全子会社に分社。
     
 旧本社の「NSビル」、「ソニー4号館」、「ソニー5号館」を住友不動産に
      231億円で売却。
FIFAスポンサーを降板。

出典:Wikipedia


つづく