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江戸の城南5山探訪

八ッ山、開東閣、ソニー村

青山貞一

掲載日:2015年4月5日
独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁
◆江戸の桜名所探訪・目黒川両岸の秀逸なサクラ
@目黒川に桜見物船  A目黒川沿いに五反田へ  B目黒川沿いに大崎へ  C目黒川沿いの大崎新副都心
D目黒川沿いの東海寺周辺
江戸の桜名所探訪・城南5山 御殿山
@城南5山、御殿山  A御殿山 北品川4  B御殿山庭園  C御殿山と権現山
D明治の鉄道と御殿山  E東海道線沿いに権現山へ  F権現山公園
◆江戸の城南5山探訪 八ッ山・島津山・池田山
@八ッ山、開東閣、ソニー村  A島津山、ソニー資料館  B島津山、清泉女子大  C池田山、旧正田邸跡

城南5山と八ッ山

 城南5山、すなわち御殿山、八ッ山、島津山、池田山、花房山のうち、サクラとは直接関係しませんが、「八ッ山」は地元住民以外と自動車を運転するひと以外、ほとんど知らない地名のはずです。
 
 ドライバーの多くは、名前の由来はともかく、「八ッ山橋通り」(ソニー通りとも言います)とか「八ッ山橋」という地名は、五反田から品川駅方面に行くとき、必ずと言ってよいほど通る道路だからです。

◆江戸時代の城南5山概要

・八ツ山
現在の港区高輪3 - 4丁目付近の高台に相当します。名称の由来については諸説あります。この地に八つの岬があったので「八ツ山」と名づけたという説、八人の諸侯の屋敷があったので「八ツ山」と名づけたという説、この地がかつての谷山(やつやま)村の一部だったことから谷山が「八ツ山」に転化したという説などです。なお八ツ山にはかつて岩崎家の別邸で、現在は三菱グループの施設となっている開東閣があります。

・御殿山
現在の品川区北品川3 - 6丁目付近の高台に相当します。名称は、徳川将軍家が鷹狩の折りに休んだ品川御殿があったことに因んでいます。ここにはミャンマー大使館、原美術館などもあります。

・島津山
現在の品川区東五反田1・3丁目付近の高台に相当します。名称は、旧島津公爵邸に因み、同邸宅は現在清泉女子大学となっています。ブルネイ大使館などもあります。

・池田山
現在の品川区東五反田4・5丁目付近の高台に相当します。名称は、備前岡山藩の池田家の下屋敷があったことに因んでいます。池田山には、池田山公園やねむの木の庭といった公園も整備されており、インドネシア大使館もあります。

・花房山
現在の品川区上大崎3丁目付近の高台に相当します。名称は、明治、大正期の外交官である花房義質の別邸があったことに因んでいます。

出典:Wikipedia

 下が城南5山の位置を示しています。JR五反田駅からJR目黒駅、JR大崎駅、JR品川駅にかけて5山があります。私達の研究所は、御殿山(北品川5丁目)→八ッ山(高輪3丁目)→池田山(東五反田5丁目)→花房山(上大崎4丁目)、その後は品川区旗の台、目黒句大岡山とオフィスを移しています。

 その意味で江戸時代の城南5山は、私達にとって非常に思い出深い場所となっています。


城南5山の位置
出典:グーグルマップ 

 今回のサクラ見物を兼ねた現地調査は、2015年3月29日、30日、4月2日と3回行いましたが、いずれの調査でも通ったり近くまで行ったのが、この「八ッ山橋通り」であり「八ッ山橋」でした。

 実は地元の住民とドライバー以外に「八ッ山」が殆ど知られない理由は、おそらく一般人が入れない、また何の解説もない「開東閣」という名の三菱グループの迎賓館が「八ッ山」にあるからだと思います。

 下は「八ッ山」関連の地名を入れたグーグルマップです。地図の上(北)側が品川駅、高輪3丁目方面、左上が「島津山」方面、真ん中が「八ッ山」地区、右下が北品川3丁目の権現山方面、左下が北品川4丁目の「御殿山」地区、さらに「八ッ山橋通り」の左側は五反田駅方面となります。


「八ッ山」関連の地名を入れたグーグルマップ

 何度も掲載している下の写真では、左上が「八ッ山」方面、右上が品川駅方面、右下が権現山方面、左下が御殿山方面となります。


現在の御殿山周辺の鉄道、JR山手線、JR京浜東北線、湘南新宿ライン、
東海道線、東海道新幹線など、日本一、鉄道が集中しています。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2


◆開東閣

 ところで、現在、八ッ山の大部分を占める開東閣ですが、Wikipediaには以下の記述しかありません。

◆開東閣(かいとうかく)

 開東閣は、東京都港区高輪にある建築物であり、旧岩崎家高輪別邸です。高輪台の東にあり、11,200坪の広大な敷地面積を有します。 一般公開はされておらず、現在は三菱グループの倶楽部として使われています。 周りに鬱蒼と木々を茂らせ、外部からは建物自体が視認出来ないようにしてあります。



関連項目
・旧岩崎邸庭園 - 台東区湯島に所在する都立公園。かつての岩崎家茅町本邸で、
 有料で入場できる
・殿ヶ谷戸庭園 - 旧岩崎家別邸
・清澄庭園 - 岩崎家深川別邸跡
・六義園 - 岩崎家駒込別邸跡
・国際文化会館 - 岩崎家鳥居坂別邸跡
・綱町三井倶楽部 - 三井グループの倶楽部
・高輪

外部リンク
・開東閣公式サイト 関係者のみ専用

出典:Wikipedia

 以下に、開東閣で食事会に参加したという方のブログにリンクしました。「明治22年に伊藤博文の邸宅地16,500坪を10万円で購入し別邸地とした。」とありますが、「明治18〜21年の内閣総理大臣・伊藤博文の月俸は800円(2010年の総理大臣は206万円)」という情報があるので換算すると、
2億5700万円にしかなりません。

 推定でも現在、400億円から500億円(地価を1坪300万円)はするはずですので、上記の額が非常に廉価なのか、あるいは当時、地価が非常に低いかのいずれかだと思います。

 ※内部で食事会をした方のブログ<開東閣での食事会>

 以下は、開東閣に関しての公式サイトのエントランスにおける解説です。この公式サイトはメンバー以外は見ることが出来ません。

 以下では伊藤博文初代総理の邸宅を岩崎弥之助が譲り受けたとありますが、伊藤博文は長州藩(今の山口県萩市)、現在、松蔭神社近くの貧しい家に生まれた人物です。その伊藤博文がなぜ、かくも東京でも一等地の広大な土地を所有出来たのか、さらにその土地を岩崎弥之助に譲ったのかきわめて不可思議です。
 
 長州藩の貧しい家に生まれ育った初代総理の土地であるなら、当然のこととして国民に公開すべきものと思うのは私ひとりではないと思います。

 言うまでも無く三菱グループは、過去から現在まで武器、防衛に関連する防衛産業です。本来、国民誰でもがアクセスできるべき場所、土地が、日本の防衛企業の迎賓館(開東閣)となり、非公開となっていること事態、きわめて由々しき問題ではないでしょうか?


出典:http://www.kaitokaku.jp/

 下はグーグルアースで見た開東閣です。左下に御殿山交番があります。

 なお、開東閣は八ッ山橋通りを挟んで御殿山に隣接していますが、外から見る限りサクラはまったくありません。


グーグルアースで見た開東閣

 下は新八ッ山橋方面(右)からみ開東閣(左の森の中)の写真です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2

 下の写真は八ッ山橋通りに面した正面玄関です。上の上のグーグルアース航空写真の手前に相当します。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2

 上述したように、この、八ッ山は御殿山の直近、隣にありながらサクラは一本も見えません。


◆ソニー村

 3月29日、4月2日ともに、この後、八ッ山橋通りを御殿山5丁目から五反田方面に向かいました。

 ここからは道路の両側とも「ソニー村」の本拠地として、八ッ山橋通り(=ソニー通り)の両側にソニーのビルが並んでいましたが、今は見る影も無くソニーのビルは売却され新たなビルが林立しています。
◆ソニー村

 ソニー株式会社の根拠地だったことで知られる、東京都品川区の御殿山地区を指す通称です。ソニーの前身である東京通信工業株式会社(1958年に現社名に改称)が、創業翌年の47年、同地区に本社を移転しました。

 以来、周辺に同社の主要関連施設が多数建設され、ラジオやテレビ、ウォークマンなどのヒット商品が生み出されました。

 90年にはNSビルが完成し、2007年に現在の本社ビル(東京都港区)が稼働するまで本社機能を担っていました。2007年度、地区内の大半のビルが売却され、2014年にはNSビルの売却が決定。同エリアにはソニー歴史資料館などわずかな施設が残るのみとなっているだけとなりました。

出典、参考:コトバンク (2014-11-13)

 下は、消えゆく「ソニー村」 品川・御殿山、旧本社ビル解体へ、伊沢友之2014年11月11日という朝日新聞の記事にあった地図です。2000年時点で薄いブルーの建物がソニーが所有していたビル群です。

 私達の研究所は御殿山5丁目の目黒川沿いで大崎駅近くのところにあったので、ソニー旧本社には歩いてすぐの所にありました。そのような理由で、次々にソニーのビルが売られ壊されるのを毎日のように見ていました。


出典:消えゆく「ソニー村」 品川・御殿山、旧本社ビル解体へ、
    伊沢友之2014年11月11日、朝日新聞

消えゆく「ソニー村」 品川・御殿山、旧本社ビル解体へ
    伊沢友之 2014年11月11日、朝日新聞

 東京都品川区の御殿山地区は、かつて大手電機メーカー「ソニー」の根拠地だった。「ソニー村」とも呼ばれたが、それも今は昔。ソニーの衰退に合わせるように、村が消えつつある。

 御殿山地区にある「NSビル」。「SONY」のロゴが取り外され、人の出入りがなくなった地上9階地下1階の建物に、5日、解体工事開始を知らせる標識がつけられた。

 ビルは1990年に完成。かつて、ソニーの本社が置かれていた。今年4月、北隣のビルと一緒に161億円で売却された。解体は今月19日に始まり、来年9月末までに更地になる。ソニーの元幹部は「仕方ないと思うが寂しい」。

 ソニー村は、ソニーの「創業の地」でもある。創業者の故井深大氏らが、創業翌年の47年1月、この地に本社を移した。


 下の写真は八ッ山橋通り(=ソニー通り)に面し、ソニー本社の斜め上側(右側)にあり売却された跡地に建ったビル群一つです。

 ソニーの跡地に建った連続して同じデザインのビル群は、「ガーデンシティー品川御殿山」です。この「ガーデンシティー品川御殿山」は、八ッ山橋通りに面しているビル群だけで無く、島津山につづくソニーの跡地の住宅地に巨大な住宅地群を開発していました。
 

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2

 下はもともと八ッ山橋通り(=ソニー通り)に面してあったソニーのビルです。おそらくこのビルで、その昔ソニーのテープレコーダーなどがつくられていたはずです。


八ッ山橋通り(=ソニー通り)に面してあったソニーのビル
出典:http://blog.u39.info/entries/716.php

 八ッ山橋通り(=ソニー通り)を下り途中の右側が、その昔、島津山があった場所になります。


つづく