江戸の城南5山探訪 〜八ッ山、開東閣、ソニー村〜 青山貞一 掲載日:2015年4月5日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◆城南5山と八ッ山 城南5山、すなわち御殿山、八ッ山、島津山、池田山、花房山のうち、サクラとは直接関係しませんが、「八ッ山」は地元住民以外と自動車を運転するひと以外、ほとんど知らない地名のはずです。 ドライバーの多くは、名前の由来はともかく、「八ッ山橋通り」(ソニー通りとも言います)とか「八ッ山橋」という地名は、五反田から品川駅方面に行くとき、必ずと言ってよいほど通る道路だからです。
今回のサクラ見物を兼ねた現地調査は、2015年3月29日、30日、4月2日と3回行いましたが、いずれの調査でも通ったり近くまで行ったのが、この「八ッ山橋通り」であり「八ッ山橋」でした。 実は地元の住民とドライバー以外に「八ッ山」が殆ど知られない理由は、おそらく一般人が入れない、また何の解説もない「開東閣」という名の三菱グループの迎賓館が「八ッ山」にあるからだと思います。 下は「八ッ山」関連の地名を入れたグーグルマップです。地図の上(北)側が品川駅、高輪3丁目方面、左上が「島津山」方面、真ん中が「八ッ山」地区、右下が北品川3丁目の権現山方面、左下が北品川4丁目の「御殿山」地区、さらに「八ッ山橋通り」の左側は五反田駅方面となります。 「八ッ山」関連の地名を入れたグーグルマップ 何度も掲載している下の写真では、左上が「八ッ山」方面、右上が品川駅方面、右下が権現山方面、左下が御殿山方面となります。 現在の御殿山周辺の鉄道、JR山手線、JR京浜東北線、湘南新宿ライン、 東海道線、東海道新幹線など、日本一、鉄道が集中しています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2 ◆開東閣 ところで、現在、八ッ山の大部分を占める開東閣ですが、Wikipediaには以下の記述しかありません。
以下に、開東閣で食事会に参加したという方のブログにリンクしました。「明治22年に伊藤博文の邸宅地16,500坪を10万円で購入し別邸地とした。」とありますが、「明治18〜21年の内閣総理大臣・伊藤博文の月俸は800円(2010年の総理大臣は206万円)」という情報があるので換算すると、 2億5700万円にしかなりません。 推定でも現在、400億円から500億円(地価を1坪300万円)はするはずですので、上記の額が非常に廉価なのか、あるいは当時、地価が非常に低いかのいずれかだと思います。 ※内部で食事会をした方のブログ<開東閣での食事会> 以下は、開東閣に関しての公式サイトのエントランスにおける解説です。この公式サイトはメンバー以外は見ることが出来ません。 以下では伊藤博文初代総理の邸宅を岩崎弥之助が譲り受けたとありますが、伊藤博文は長州藩(今の山口県萩市)、現在、松蔭神社近くの貧しい家に生まれた人物です。その伊藤博文がなぜ、かくも東京でも一等地の広大な土地を所有出来たのか、さらにその土地を岩崎弥之助に譲ったのかきわめて不可思議です。 長州藩の貧しい家に生まれ育った初代総理の土地であるなら、当然のこととして国民に公開すべきものと思うのは私ひとりではないと思います。 言うまでも無く三菱グループは、過去から現在まで武器、防衛に関連する防衛産業です。本来、国民誰でもがアクセスできるべき場所、土地が、日本の防衛企業の迎賓館(開東閣)となり、非公開となっていること事態、きわめて由々しき問題ではないでしょうか? 出典:http://www.kaitokaku.jp/ 下はグーグルアースで見た開東閣です。左下に御殿山交番があります。 なお、開東閣は八ッ山橋通りを挟んで御殿山に隣接していますが、外から見る限りサクラはまったくありません。 グーグルアースで見た開東閣 下は新八ッ山橋方面(右)からみ開東閣(左の森の中)の写真です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2 下の写真は八ッ山橋通りに面した正面玄関です。上の上のグーグルアース航空写真の手前に相当します。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2 上述したように、この、八ッ山は御殿山の直近、隣にありながらサクラは一本も見えません。 ◆ソニー村 3月29日、4月2日ともに、この後、八ッ山橋通りを御殿山5丁目から五反田方面に向かいました。 ここからは道路の両側とも「ソニー村」の本拠地として、八ッ山橋通り(=ソニー通り)の両側にソニーのビルが並んでいましたが、今は見る影も無くソニーのビルは売却され新たなビルが林立しています。
下は、消えゆく「ソニー村」 品川・御殿山、旧本社ビル解体へ、伊沢友之2014年11月11日という朝日新聞の記事にあった地図です。2000年時点で薄いブルーの建物がソニーが所有していたビル群です。 私達の研究所は御殿山5丁目の目黒川沿いで大崎駅近くのところにあったので、ソニー旧本社には歩いてすぐの所にありました。そのような理由で、次々にソニーのビルが売られ壊されるのを毎日のように見ていました。 出典:消えゆく「ソニー村」 品川・御殿山、旧本社ビル解体へ、 伊沢友之2014年11月11日、朝日新聞
下の写真は八ッ山橋通り(=ソニー通り)に面し、ソニー本社の斜め上側(右側)にあり売却された跡地に建ったビル群一つです。 ソニーの跡地に建った連続して同じデザインのビル群は、「ガーデンシティー品川御殿山」です。この「ガーデンシティー品川御殿山」は、八ッ山橋通りに面しているビル群だけで無く、島津山につづくソニーの跡地の住宅地に巨大な住宅地群を開発していました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2 下はもともと八ッ山橋通り(=ソニー通り)に面してあったソニーのビルです。おそらくこのビルで、その昔ソニーのテープレコーダーなどがつくられていたはずです。 八ッ山橋通り(=ソニー通り)に面してあったソニーのビル 出典:http://blog.u39.info/entries/716.php 八ッ山橋通り(=ソニー通り)を下り途中の右側が、その昔、島津山があった場所になります。 つづく |