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私達は下の地図にある建長寺を後に鶴岡八幡宮の方向に歩きました。するとすぐ右に建長寺の塔頭(たっちゅう、後述)で唯一公開されている円応寺がありました。 出典:グーグルマップ 下の写真は円応寺の山門に通ずる階段です。 写真は右側が建長寺、左側が鶴岡八幡宮側になります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-11-27 ◆建長寺の塔頭 塔頭(たっちゅう)は、祖師や高僧の墓塔を守るために、師の徳を慕う弟子らが建立した小寺院を意味しますが、転じて大寺院の境内周辺に建てられた小寺院を指します。 建長寺には最盛期には49院もの塔頭がありましたが、現在は境外塔頭を含め12院を残すのみです。 塔頭のうち常時公開されているのは、境外塔頭の円応寺(新居閻魔堂)のみです。 長寿寺は春秋などに時期を限って公開、妙高院、龍峰院は観音霊場巡りの巡礼者のみ入れていますが、他の塔頭は原則非公開となっています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-11-27 ◆円応寺 下は拝観受付で拝観料を払う池田です。拝観料は大人一人200円です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2015-11-27 円応寺(えんのうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある建長寺と同じ臨済宗建長寺派の仏教寺院です。開山は桑田道海(智覚禅師)とも伝えられますが未詳です。 山号は新居山といい鎌倉時代作の閻魔像や冥界の十王の像で知られます。 別名「新居閻魔堂」、「十王堂」とも呼ばれています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-11-27 ◆円応寺の概要 円応寺(えんのうじ)は別名新居閻魔堂です。 もとは由比郷、続いて材木座に移転し、近世に現在地に移転しました。本堂には閻魔王を含む冥界の十王像を安置しています。桑田道海(智覚禅師)の開創といいますが定かでありません。 ・所在地: 神奈川県鎌倉市山ノ内1543 ・山号:新居山 ・宗派:臨済宗建長寺派 ・本尊:閻魔王 ・創建年:(伝)建長2年(1250年) ・開基:(伝)桑田道海(智覚禅師) ・別称:新居閻魔堂、十王堂 ・札所等:鎌倉地蔵尊霊場第八番、鎌倉十三仏5番(地蔵菩薩) 文化財 ・木造閻魔王坐像 ・木造初江王坐像 ・木造倶生神坐像2躯 ・附:木造鬼卒立像、木造檀拏幢 ◆円応寺の歴史 『新編鎌倉志』等によれば、円応寺は建長2年(1250年)の創建で、開山は建長寺開山蘭渓道隆の弟子にあたる桑田道海(智覚禅師)とされています。 しかし、桑田道海は1309年没で、年代が合わないこと、1250年といえば師の蘭渓道隆が開山した建長寺の落慶より以前であることなどから、当初から禅寺として建てられたことには疑問が持たれています。 円応寺は当初は由比郷見越岩(鎌倉大仏の東側)に建てられたようですが、ほどなく滑川の川岸へと移転しました。鎌倉市材木座5丁目11番地に新居閻魔堂跡を示す石碑が残っています。 現在の川岸から200-300メートルほど東側に離れていますが、閻魔堂創建当時、このあたりが川岸だったと想定されます。 なお滑川下流部は別名閻魔川とも呼ばれていますが、これはこの閻魔堂に由来しています。 本尊の閻魔像から新居閻魔堂と呼ばれ信仰を集めましたが、元禄16年11月23日 (旧暦)(1703年12月31日)の元禄大地震による津波被害により建物が大破しました。その翌年、山ノ内の現在地に移転しました。寺は建長寺から鎌倉街道を挟んで向かい側の小高い敷地に位置していますが、この地はもと建長寺塔頭の大統庵のあったところです。 ところで、円応寺では、残念ながら本堂内はすべて撮影禁止となっていました。以下の写真は参拝時に頂いたパンフレットにある写真です。 ◆円応寺の伽藍 本堂 本堂は本尊の閻魔像や十王像等の像を安置しています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-11-27 鐘楼 円応寺の鐘楼 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-11-27 ◆文化財(重要文化財) ・木造閻魔王坐像 ・木造初江王坐像 ・木造倶生神坐像2躯 ・附:木造鬼卒立像、木造檀拏幢 本堂内部 出典:参拝時に頂いたパンフレット 木造閻魔王坐像 出典:参拝時に頂いたパンフレット 以上4躯(附指定2点)が一括して重要文化財に指定されています。 木造閻魔王坐像像は高さが190.5cmある閻魔像です。 『新編鎌倉志』によると寛文13年(1673年)に像の補修を行った際、胎内から文書が発見され、建長2年(1250年)の作で、永正17年(1520年)に修理が行われた旨の記述があったといわれています。 現存する像は頭部のみが鎌倉時代の作で、体部は江戸時代のものに替わっています。 運慶作との伝えもありますが、1250年には運慶は没しており、伝承にすぎないようです。 関東大震災後にも像の補修が行われています。像の表情が笑っているようにも見えるため「笑い閻魔」とも呼ばれています。また参拝客の子供を食べたという伝承から、別名「人食い閻魔」とも呼ばれています。 「笑い閻魔」・「人食い閻魔」と呼ばれる由縁についてはそれぞれ伝承が残っています。木造初江王坐像十王像のうちのひとつで、写実的な表情、複雑な衣文表現には運慶派の特徴とともに宋風彫刻の影響が感じられる造形の像です。鎌倉国宝館に寄託されています。なお胎内銘は鎌倉市史の史料編に所収されています。 胎内銘から像の作者は仏師幸有で建長3年(1251年)に作られたものと判明しています。仏師幸有については、本像を造ったこと以外に知られる事績はありません。 倶生神坐像(2体)人が生まれた時からその両肩にいて、その人の善行悪行をすべて記録しているとされる倶生神の坐像。阿形像・吽形像の2体からなっています。 檀拏幢(だんだとう)「人頭杖」とも言い、閻魔王が持つ杖。杖の上には通称「見る目」「嗅ぐ鼻」と呼ばれる2つの頭部が乗っており、これらは閻魔王が冥府で亡者を裁く際に善悪を感知するといいます。これも鎌倉国宝館に寄託されています。鬼卒立像地獄で亡者を責める役を持つとされる鬼の像です。これも鎌倉国宝館に寄託されています。 ◆その他の文化財 閻魔王、初江王以外の十王像8体(江戸時代)、奪衣婆坐像(永正11年・1514年、弘円作)、地蔵菩薩坐像、智覚禅師坐像が安置されています。 出典:参拝時に頂いたパンフレット ◆閻魔像にまつわる伝承 本尊の閻魔像については下記のような伝承が残っています。 笑い閻魔運慶が死んで地獄に落ちましたが、閻魔大王に「生き返らせてやるから自分の像を作れ」といわれ蘇生しました。生き返った運慶が笑いながら彫ったため、閻魔像も笑っているような表情になっています。 このため、この閻魔像は笑い閻魔と呼ばれるようになりました。人食い閻魔円応寺がまだ滑川沿いにあった時、閻魔像は瘧を直すご利益があるとされ信仰を集めていました。 ある日瘧にかかった子供を連れ、親が「この子の願いを聞いてください」と願ったところ、「この子を召し上がってください」と聞き違えて子供を食べてしまいました。 ◆他の塔頭(たっちゅう) 建長寺の周辺には、以下の地図にあるようにたくさんの塔頭があります。 主な塔頭の位置 以下は現存する主な塔頭の概要です。 ・西来庵 (せいらいあん) 開山蘭渓道隆の墓塔を守る塔頭寺院です。三門の右手にある嵩山門(すうざんもん)が入口ですが、そこから先は修行道場のため、一般の立ち入りは禁止されています。開山蘭渓道隆の墓塔(石造無縫塔)、蘭渓の肖像彫刻を安置する開山堂とその手前に立つ昭堂(重要文化財)などがあります。昭堂は寛永11年(1634年)頃の建立です。 ・妙高院 (みょうこういん) 第28世肯山聞悟(こうざんもんご)の塔所です。山号は若昇山です。貞和二年(1346年)頃の創建とされています。本尊は宝冠釈迦如来(札所本尊は聖観音)です。このほか肯山聞悟坐像(天保9年の銘あり)があります。鎌倉三十三観音霊場27番札所。 ・同契院 (どうけいいん) 第31世象外禅鑑の塔所です。本尊は十一面観音。元は円覚寺山内にありましたが、応安7年(1374年)に火災に遭い、その後建長寺に移転しました。移転後も享保21年(1736年)に火災に遭い、客殿・庫裏が消失したと記録に残っています。 ・宝珠院 (ほうしゅいん) 第35世了堂素安の塔所です。山号は竹園山。本尊は釈迦如来(旧本尊は地蔵菩薩だが盗難に遭い消失)。本院の庫裏に作家の葛西善蔵が大正8年より寄宿し、執筆をおこなっています。後年関東大震災で被災したため、帰京しています。 ・龍峰院 (りゅうほういん) 第15世約翁徳倹の塔所です。山号は蓬莱山。本尊は聖観音。徳治2年(1307年)の創建です。鎌倉三十三観音霊場29番札所となっています。 ・天源院 (てんげんいん) 第13世南浦紹明(なんぽじょうみん)の塔所です。山号は雲閑山。本尊は釈迦如来。 ・正統院 (しょうとういん) 第14世高峰顕日の塔所です。山号は天津山。本尊は文殊菩薩です。もとは浄智寺にありましたが、夢窓疎石によって建長寺に移されました。境内地はもと無学祖元の塔所として建てられた正続院の跡地です。正続院は円覚寺に移されています。 ・回春院(かいしゅんいん) 方丈の裏手から半僧坊へ向かう道の途中を右に折れた谷戸の奥に位置しています。第21世玉山徳(4字目は王扁に「旋」)の塔所です。山号は幽谷山。本尊は文殊菩薩です。 ・華蔵院(けぞういん) 第60世伯英徳俊の塔所です。境外塔頭。民有地にあり、立入禁止となっています。 ・禅居院 (ぜんきょいん) 建長寺総門から県道を挟んだ向かい側に位置しています。第22世清拙正澄の塔所です。山号は石屏山。本尊は聖観音です。 ・長寿寺 足利尊氏の菩提のため、子の足利基氏(関東管領)が建立しました。開山は古先印元。本尊は釈迦如来です。 つづく |