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   シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

ナボイ・オペラ・バレイ劇場

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2015年3月9日
独立系メディア E-wave Tokyo
 無断転載禁
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 そしてついに、探していたナボイ劇場です。

ナボイ・オペラ・バレイ劇場

 その後、やっとのことで、国立歴史博物館とウズベキスタン航空本社ビルのすぐ隣に、日本兵が強制労働で建築に駆り出されたというナボイ・オペラ・バレイ劇場を発見しました。

 何と、劇場は思った以上に大きく、立派などっしりとした建築物です。ただ、改修で劇場の中は見られませんでしたが、70年前、ソ連の捕虜となった日本人が強制労働で関わったとされるこのナボイ劇場がかくも重厚で装飾に満ちた建築物にで会え感激しました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4

 劇場は現役で使われていますが、弦境州工事中でした。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4

 下はトリップアドバイザーから情報提供されましたナボイ劇場の内部の貴重な写真です。


タシュケント・ナボイ劇場の内部の写真 (トリップアドバイザー提供)

◆ナヴォイ劇場

 アレクセイ・シュチューセフが設計して1939~1942、1944~1947年に建設され、1947年11月にアリシェル・ナヴァーイー生誕500周年を記念して初公開されています。

 劇場の収容観客数は1400人で、舞台の広さは540平方メートルあります。

  第二次世界大戦で、ソ連の捕虜になった日本人に強制労働として、劇場の建設が課せられました。長時間の労働に加え、食事には腐ったものが出てくるなど劣悪な環境でした。実際に作業に関わった500人のうち、79人もの日本人が亡くなっています。

 しかし、強制労働にもかかわらず『日本に必ず帰って、もう一度桜を見よう』の合言葉のもと、妥協のない姿勢で建設に携わり、3年かかるであろうこの建設を僅か2年で完成。細部の彫刻にまでこだわるなど完璧な出来であったとされています。


戦後シベリア抑留を受けた日本人捕虜が工事をしたとされる
バレエ・オペラ劇場のナヴォイ劇場   

 なお、サマルカンド国立外国語大学で教授を務めた胡口靖夫は、ナヴォイ劇場の建設に従事した日本人の「私らが昭和20年11月上旬ころに着いたときにはもう建物はほとんどできていました。これは間違いありません」という証言などから、日本人捕虜が建設に参加した時には、基礎はもちろん建物本体はほとんどできていたことになります。

 「日本人捕虜が行った作業の中心は、左官・彫刻・寄せ木作りの床張り・大理石の床張り・電気工事などの内外装工事の『仕上げ』であった」と結論付けており、「勤勉に働いた日本人が基礎からレンガを積み上げて“建設”した」とされるのは「伝説」だとして、それが検証なしに広められていることを批判しています。 

出典:Wikipedia

 以下、今回は時間の関係で行けませんでしたが、ウズベキスタン大使館のパンフレットにありましたみどころ所を情報提供しておきます。


つづく