2013年アマルフィ海岸現地視察調査報告 <125本 全体メニュー>
アマルフィの位置 マッサルブレンセの紋章 イタリア国旗
<今回調査のハイライト ・学術/芸術訪問>
また対象地域の地質学的歴史や考古学的的事実に関する博物館調査も行いました。
<特別学術・芸術訪問 >
1)ヴェスビオ火山爆発地質学調査(ヴェスビオ博物館)場所:ポンペイ
2)歴史的建造物調査(採石場) 場所:プンタ・カンパネッラ海洋保護区
3)歴史的建造物調査(トーレ) 場所:ネラーノ
4)歴史的建造物調査(トーレ) 場所:プライアーノ
5)歴史的建造物調査(プライアーノ大聖堂) 場所:プライアーノ
6)考古学的都市調査(ビラ・ロマーナ博物館) 場所:ミノーリ
7)考古学的都市調査(ビラ・アメーナ) 場所:ミノーリ
ソレント半島突端のまち、ネラーノ(マッサ・ルブレンセ自治体)から徒歩で往復約3時間のコースです。行く先は半島の突端にあるプンタ・カンパネッラ海洋保護区です。プンタ・カンパネッラ海洋保護区は、イタリアに数ある入江のなかで、最も水が美しく、自然景観の優れた希有な場所といえます。
出典:グーグルアース
以下の地図の右側の100−250m標高の半島を降りると希有な地形と自然をもつ海洋保護区が見えてきます。海岸には小さなビーチがあり、先生に引率されドイツから来た学生達が水着に着替えて海岸で楽しんでいました。
ソレント半島突端にあるプンタ・カンパネッラ海洋保護区
出典:青山貞一、池田こみち、第三回現地調査計画パワーポイント
私達はトレッキングでプンタ・カンパネラ海洋保護区を訪問した後、ネラーノに戻る際、岬の突端にあるトーレまで歩いてみました。
トーレに向かう途中、地元のボランティアグループが斜面の農地でぶどうやその他の農作物の栽培を行っているエリアを通過しました。
撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-5
ちょうど数人の若者たちが作業の合間に一服しているところでしたが、そこからの眺めは最高です。声をかけたら親切に、この先まだまだ歩くので疲れないように、とペットボトルの飲み水を補充してくれました。
Source: Mr. jarda machacek on the Panoramio
そして、「週末には地域のイベントが予定されているのでよかったら参加してください」とお誘いを受けましたが私たちは次の訪問地へと進まなければならないので参加することは出来ませんでした。(あずまやでみんなでお茶しているところでわんちゃんも居ましたね)
撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-5
下のグーグルアースの衛星画像は、 ソレント半島突端にあるプンタ・カンパネッラ海洋保護区(右下)です。この地域の地形の複雑さそして特異性がよく分かります。
ソレント半島突端の地形(3次元立体地図)
出典:グーグルアースより青山が作成
ネラーノから自然保護区に向かう途中、あるいは帰途、ティレニア海沿いに下の写真のノコギリのような地形をした半島があります。その上にイタリア語でトーレ(Torre)、日本語で要塞あるいは見張り台があります。
このトーレは、16世紀頃にアマルフィ海岸やソレント半島各地に設置されたもので、海からの外敵の侵入を見張る目的で造られています。
プンタ・カンパネッラ海洋保護区を実地踏査。岩山の上にトーレ(要塞、見張り台)が見える
撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-5
以下の動画は、この辺で撮影したトーレです。
動画撮影:青山貞一、Victor GZ-265E 2013-6-5
下は別の角度から撮影したトーレです。それにしてもスゴイ場所にあります。
撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-5
以下はもう少しロングで撮影したネラーノのトーレです。
撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-5
私達はこのトーレの現地踏査を敢行しました。
地形は上の写真にあるように非常に複雑かつ高低差があり、一歩間違えれば断崖絶壁から海に転落する可能性もあります。
しかし、実際にトーレ近くに行ってみると、下の写真にあるように意外にも、上の写真とは違い、アクセスが容易とは言いませんが、それほど厳しくはありませんでした。
自然と調和した歴史的建造物、トーレ(要塞、見張り台)、多くは16世紀に
アマルフィ海岸、ソレント半島の要所に造られた
撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-5
これが近くでみたトーレ。
しかし、別の角度からトーレ近くの地形を見ると下の写真のように、すさまじい急斜面となっていました。必死で歩いていたので分からなかったようです(笑い)。
撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-5
◆ソレント半島及びアマルフィ海岸のトーレについて
アマルフィ半島、ソレント半島のトーレは、いずれも箱形か円筒形です。
このトーレは、ソレント半島のマッサ・ルブレンセのものは大部分が四角形をしていますが、アマルフィ海岸のトーレはいずれも円筒形をしています。
これらトーレは、その多くは16世紀、まだアマルフィ公国が健在だった頃に造られています。その役割の多くは、サラセン、その後のイスラム勢力のソレント半島やアマルフィ海岸への侵入、上陸を未然に防ぐためであったと推察されます。
幸い、ソレント半島やアマルフィ海岸は沿岸部の大部分が断崖絶壁で、容易に侵入することは出来ませんが、それでも現在のマリーナ・デル・カントーネ、ポジターノ、アマルフィ、チェターラなどはいずれも浜辺があり、またフローレにもフィヨルドがあり、海からの侵入が可能となっています。
私見ではありますが、トーレは当然のことながら岬の先頭にあり、要所にあるトーレの間は、昼間は旗、夜間はタイマツなどで相互に連絡を取り合っていた可能性が高いと思います。これにより、一カ所で外敵の船団などを発見すれば、すぐに他の地域にも情報が伝達されることになります。
なお、トーレは通常見張り台と訳されますが、実際に現地でトーレを見ると、小さな窓があり、おそらく後期には、そこから外敵に向け砲撃を加えるなど、要塞としての役割もあったのではないかと思われます。
自然と調和した歴史的建造物、トーレ(要塞、見張り台)、多くは16世紀に
アマルフィ海岸、ソレント半島の要所に造られた
撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-5
トーレの入り口まで鉄製のハシゴがかかっていました。ハシゴに登りご満悦の池田。残念ながら、ソレント半島やアマルフィ海岸の四角の形状をしたトーレはどこも入り口が閉鎖されており、内部をみることが出来ませんでした。その後、訪問したプライアーノのトーレでは、陶芸の芸術家が所有者からトーレを借り受け、内部で陶芸をしていました。これについては、後述します。
トーレの登る池田こみち
撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-5
トーレの中に入った人が撮影した写真
下は英語によるトーレの解説です。
トーレは、ナポリ王国の複合的な海岸線防御の一部として存在し、16世紀、それまであった見張り台に取って代わってカンパニアの海岸線を見張るものとして建造されたとあります。このネラーノのトーレの正式名称は、Torre
di Montalto(英語:Montalto Tower)です。
さすがに、サラセンあるいはオスマントルコからの侵略を監視するとは書いてありませんが、以下の記述にあるように、16世紀はオスマントルコの最盛期に当たります。
「16世紀にオスマントルコ帝国の最盛期を迎えます。スレイマン1世の頃オスマントルコ帝国の権力と領土はほぼ最大となりました。スレイマン1世はイスタンブールの街を中心に大建築家ミーマール シナンにより美しい建造物を建てさせ、当時、イスタンブールは世界で最も美しい街として知られるようになりました。又、芸術を愛するスレイマン1世は美術や音楽、文学などでもイスラム世界の最高のものを作り出すことに成功させたのです。もちろん政治的にも法律を充実させ帝国の管理に努めました」 出典:http://www.jp-tr.com/icerik/genel/history/ottoman.html
撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-5
下は17世紀までのオスマントルコ領土の推移を示しています。
バルカン半島、中東、北アフリカなど広い範囲が含まれています。地図からはイタリアがぎりぎりのところで含まれていないことが分かります。その意味で、16世紀に改修されたトーレは、極めて重要な役割を担っていたに違いないようです。
オスマントルコの詳細は オスマン帝国 を参照してください。
オスマントルコ領土の推移 Source:Wikipedia
17世紀におけるオスマントルコの領土 Source:Wikipedia
下はトーレ近くから撮影したマリーナ・デル・カントーネとネラーノの写真です。天気も上々、すばらしい自然景観です。
トーレ近くから撮影したマリーナ・デル・カントーネとネラーノ
撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-5
下はネラーノノトーレから見た周辺の地形と景観です。
動画撮影:青山貞一、Victor GZ-265E 2013-6-5
つづく