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幕末、明治維新の一大拠点となった長州藩・萩に出かけた。 今回は、産廃管理型最終処分場計画に反対する地元の市民団体からの依頼により2009年11月21日夜に「産業廃棄物処分場の制度と実態、政権交代後は?」と題する講演をするのが目的だ。 こともあろうか、日本を代表する歴史文化のまち、それも風光明媚、自然豊かな萩市、阿武町が接するゴルフ場跡地に9ha規模の巨大な管理型最終処分場を建設する計画が2006年頃にもちあがった。萩市長、阿武町長はじめ行政、議会の長が反対しているが、計画を白紙撤回させるために、毎年、講演会を開いている。 今回の講演もその一環である。今年は吉田松陰先生の生誕150周年記念の年で萩のまちは盛り上がっている! 萩には以前から、ぜひ一度出かけてみたいと思っていたこともあり、講演の前後に、萩の要所を探訪ならぬ探短してみたいと先方に伝えたところ快諾を得た。とりわけ萩は吉田松陰先生生誕の地、かの松下村塾の本拠地でもある。 私は毎年元旦に妻と一緒に自宅(品川区小山)から歩いて世田谷区の若林にある松蔭神社まで行き、松蔭先生の墓にお参りしている。そんなこともあり、ぜひ一度、萩に行き、松蔭先生の墓にお参りできればと考えていた。 11月21日朝、羽田空港から山口宇部空港にANA便で飛んだ。 萩市は市町村合併で阿武町の北側まで広がっているが、萩の中心地までは下の地図にあるように、山口宇部空港がある瀬戸内海側から車で日本海側まで1時間20分はかかる。 空港では市民団体副会長の堀洋太郎さんが息子さんと一緒に出迎えてくれた。 天気は良くなかったが、幸い雨は降っていない。用意していただいた堀さんの乗用車で萩に向かった。中山間地を抜け1時間ちょっとで萩市の中心部に到着した。 下の写真は萩の中心部の全景。山、谷あり、海・川あり、風光明媚な人口約5万4千のおそらく日本有数の歴史、文化を有した日本有数の「品格あるまち」である。 右上の小高い山は、指月山(143m)。その麓に萩城(跡)がある。 吉田松陰生誕の地から撮影した萩中心市街地の全景 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 下は日本海側から鳥瞰した萩市である。萩市の中心部は、阿武川の下流が橋本川と松本川の二手に分かれて出来た三角州の沖積低地上にできたまちであることがよく分かる。 萩市の位置 出典:グーグルマップ 出典:グーグルアースより筆者作成 ■萩のまち今昔 萩市は今なお「江戸時代の絵地図で町を歩けるまち」で有名だ。 それほど古い道路、町並みを大切にし、土地区画整理はまったくない。道路もごく一部の国道付け替え以外新設はない。 下は萩大絵図にみる江戸時代の萩である。海と2つの川に挟まれた三角州の中に萩のまちがあり、その周辺は小高い山々となっていることが分かる。 萩大絵図 出典:山口県デジタルアーカイブ 下の絵地図は江戸時代の萩の長州藩萩の絵地図である。上の絵図に比べると街区がはっきりと見て取れる。確かに南北、東西に道路が走っている。 地図のちょうど真ん中に長州藩の藩校(公設の文武学校)がある。現在は中央公園となっておりその真南に萩市役所がある。絵地図の南側を流れる川が橋本川、北側を流れる川が松本川である。また絵地図の左上にあるのが指月山であり、その東側の麓に萩城(跡)がある。 、 江戸時代の萩中心部の絵地図 出典:重要文化財菊屋家住宅展示絵地図より 現在の萩市中心部 出典:グーグルマップ 萩自体、大きな戦禍や大地震を受けていないこともあり、町の骨格はおろか景観すら大きく変わっていないのがまちの最大の特徴である。また萩市に車で入ると、一部を除き、どの道も幅員はひろくゆったりとしていることに驚かされる。 逆説すれば、江戸時代から幅員がひろいため現代になっても拡幅工事をする必要がなかったのではないかと思える。 萩野の町はそこかしこに下の写真のような武家屋敷、寺町がある。その一角には、幕末、明治維新に活躍した高杉晋作など歴史上著名なひとの生家が残され、公開されている。まさに「まちじゅう歴史文化博物館」なのである! 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 萩市 (トリップアドバイザー提供) 萩市 (トリップアドバイザー提供) 萩の町にあるのは城、武家屋敷や寺町だけでない。下の写真にあるような商人、それも豪商の蔵や住宅、日本庭園が多数残っている。 しかも内部を博物屋敷として公開していて、至る所でタイムスリップが味わえる。また萩と言えば焼き物、武家屋敷や豪商の住宅の間に、萩焼のギャラリーが軒を連ねている。 萩は「歴史と文化が息づくまち」、それもわずか29歳で亡くなった吉田松陰先生など日本史上希有な人材を輩出した希有なまちである。 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 以下は今の萩市の市制概要。市町村合併後、若干人口は増えたが2009年10月1日現在、人口は54,230人、主要産業は観光業と一次産業(漁業、農業、林業)である。 萩市市制概要
当日は正午(12時)に到着したこともあり、昼食を萩中心市街地の北、シーマートを望む漁港の一角にある小さなフレンチレストランでとった。なんと言っても萩は日本海に面するすばらしい漁場であり、魚介類の宝庫でもある。 出典:グーグルマップ 漁港の一角にあるシーマートでは、その新鮮な魚貝がリーズナブルな価格で買えるとあって市民、観光客を問わず賑わっている。またその新鮮な魚貝の料理も食べられる。まるでサンフランシスコノフッシャーマンズワーフのようだ。 下はレストラン側から萩の漁港を撮影したところ。 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 萩市 (トリップアドバイザー提供) 萩の漁港で堀さんと一緒に撮影。フレンチレストランの魚料理はなかなかおいしかった! 食事後、一旦、萩市役所に行き午後6時から行う講演会のためのパワーポイントをチェックする。萩市役所は、かつて長州藩の藩校、明倫館があった中央公園の真ん前だ。 ■長州藩校・萩明倫館 長野県長野市松代にある文武学校や栃木県足利市にある足利学校には何度も足を運んでいるが、萩の明倫館は、まさに日本を代表する文武学校と言える。 規模、風格だけでなく、出身者が日本変革において、いずれも異彩を放つ志士であったという意味でも日本を代表する藩校である。
ちなみに長野県長野市の松代は吉田松陰の指導者にあたる佐久間象山先生の生誕の地であり「象山神社」がある。 長野県松代には松蔭がペリー来航後、下田から米国船に乗ろうとして捕まったあと、連座した佐久間象山先生が蟄居させられた高義亭が残されている。 下の写真は、佐久間象山先生が蟄居させられた高義亭である。門弟の吉田松陰が密航を企て、失敗すると事件に連座し、文久2年(1862年)まで、松代での蟄居を余儀なくされた場所でもある。 佐久間象山先生が蟄居させられた高義亭(長野県長野市松代) 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 ※ 青山・池田・鷹取:秋の信州を歩く(4) 松代・象山神社 佐久間象山先生 また下は長野市松代にある文武学校の全体図である。 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 ※ 青山・池田・鷹取:秋の信州を歩く(5) 松代・文武学校 下の写真は現在、萩市の中央公園となっている明倫館があった場所。 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 下の写真は萩明倫館。 出典:Wikipedia 下は新明倫館全図。松代などにあるいわゆる文武学校に比べると良質ともに大きなことが見て取れる。 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 ■宿泊先ホテル おりしも今年は吉田松陰没後150周年記念の年で萩市内ではアチコチで記念行事が行われている! 今回私を呼んだ萩・福栄水と命を守る会事務局長の津田氏も市役所にこられ、パワーポイントのチェックは無事終了、午後6時まで時間があるので、宿泊先のホテルにチェックインする。 ホテルは漁港の北、萩のマリーナの一角にあるリゾート調のシーサードパレス萩だ。第三セクターが運用しているという。 施設案内 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 ホテルには温水プール、大きなヘルスバス(風呂)、トレーニングルームもある。部屋は大きく快適である。 出典:シーサードパレス萩公式Web 出典:シーサードパレス萩公式Web このホテルで午後5時まで休み、その後、講演会場に向かうことにした。下の写真は夕暮れに撮影した萩のマリーナである。晩秋の太陽はつるべ落とし、あっという間に太陽が沈んでいった。 萩マリーナの夕日 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 つづく |