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浜崎地区視察後、すぐ北にある菊ヶ浜に向かった。「菊ヶ浜」は萩にある江戸時代から続く風光明媚な景勝地であり萩市民が夏場に海水浴を楽しむ海水浴場でもある。
菊ヶ浜は橋本川と松本川の三角州の北側の海浜部を占め、西側は萩城跡と指月山、東は萩港までの範囲の海浜を指す。さらにこの菊ヶ浜からは北東にある笠山(半島)も望めることから、北長門海岸国定公園の主要な景勝地となっている。 出典:九州読売 下はグーグルアースで鳥瞰した萩市。橋本川、松本川の2つの河川に挟まれた三角州の一番海側が「菊ヶ浜」である。 出典:グーグルアースより筆者作成 ■菊ヶ浜 下の写真は菊ヶ浜から指月山、萩城跡方面を見たところ。天気は悪かったが、それでも菊ヶ浜から見る指月山、萩城跡方面の景観は秀逸だ! 菊ヶ浜 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 菊ヶ浜は江戸時代「阿古ヶ浜」と呼ばれ萩藩の御用商人で大年寄格でもあった菊屋家が藩士や足軽たちの家を建てて住まわせたことから、「菊ヶ浜」と称されるようになった。 なお、萩歴史スケッチ(読売新聞西部本社)によれば、この菊ヶ浜は、上記のようにもともと「阿古ヶ浜」と呼ばれていたが、萩藩御用達の菊屋家の「菊」をとって菊ヶ浜と名付けられたという。その菊屋家は、源頼家の子孫と伝えられ、大内氏に仕えた後、武士の身分を捨て町人になったという。毛利輝元の萩入国に従い、山口から萩に移り萩城下のまちづくりに尽力したそうだ。 その菊屋家は、後で訪問した萩の呉服町に屋敷を与えられ萩藩の米などを取扱うことで財をなす一方、その呉服町の屋敷は幕府巡視使の宿として本陣にあてられたという(詳細は菊屋家住宅を参照のこと)。 また毛利家が関ヶ原の戦いで前田邸に参集したため、江戸幕府によりもともとあった120万石を約1/3の36万石に縮減された。その結果、広島などから藩士達が萩に移って来たとき、菊屋家は「阿古ヶ浜」の所有地に「惣固屋」と呼ばれる仮設住宅を建て住まわしたという。その功績により城下のひとびとは同海岸を「菊ヶ浜」と愛称で呼ぶようになったいう。 なお、菊ヶ浜は最高の「夕日」を撮影するビスタポイントとなっている。今回は午前中に訪問したので残念ながら夕日は撮影できなかった!! ■指月山(しづきやま) 萩に行って最初に目に付くのは指月山(しづきやま)である。萩ではどこからでも見える。萩の市民は指月山の姿を見ると「やっと萩に着いた」と感じるという。 指月山の標高は143m、阿武川下流の松本川と橋本川にかこまれた三角州の西北、 海に突き出たところに位置している。 指月山 菊ヶ浜より 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 指月山 椿東の丘陵より 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 指月山 萩城跡より 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 指月山は、シイやツバキなどの樹木で覆われており 緑の豊かな山だ。国の天然記念物にも指定されている。 山頂には、石垣が残っている。また麓には堀をめぐらした立派な石垣が築かれている。 指月山は江戸時代に周防国と 門国を治めた毛利氏の萩城があったところだ。 周防国と長門国は明治時代になって山口県になった。萩城は1840年(明治七年)に取り壊されたが、現在、萩城の跡は国史跡に指定されており 「指月公園」と呼ばれている。 ■相島 菊ヶ浜からは、下のグーグルマップにある「相島」が見える。案内してくれた津田和夫さんと堀洋太郎さんによれば、相島を含む島々と笠山地域は、何でも日本でも数少ない単成火山群である阿武火山群に属するとのことで、地質学的に非常に貴重なものらしい。 出典:グーグルアースより筆者作成 下の写真は菊ヶ浜から相島を見たものだ。相島の東端、西端はそれぞれ切り立った崖となっていることが分かる。今回は遠望しただけだが、相島の風貌は、なにやら岸壁がそそり立っている感じで「奇岩」がありそうな気配を感ずる。ちなみに21日夜、懇親会を行った料理屋の女将さんは相島の出身とのこと。 カッパドキア(トルコ)、野柳(台湾)、セントジョーンズ(カナダ)、ケイプ・ブレトン(カナダ)、アマルフィ海岸(イタリア)、黒斑山(群馬県)など世界の奇岩、断崖、絶壁を見てきたマニアとしては、近い将来、相島にもおじゃましてみたいものだ。 相島を遠望 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 この相島は面積2.48平方キロメートル、人口224人(平成18年3月30日)であり、萩の北西約14km、日本海上にある。相島も北長門海岸国定公園のなかにある。 相島には平安時代末期には人が住み始めており平家伝説が多く残されているという。江戸の幕末には黒船来航を見張るため相島遠見役が置かれ毛利藩の海上防備のための御藩所や大砲台場なども設けられていたという。 その昔は除虫菊の栽培が盛んであったが、現在はスイカの産地として有名。相島の沿岸域には奇岩が多く島中央の大山や相島港と合わせ「相島八景」として親しまれているという。ぜひ、一度相島にも出かけてみたいものだ。 なお、以下は岸壁に立つ萩・相島の灯台。 出典:灯台のアルバム 下はグーグルマップで見た相島の地形。標高は約120m、周囲の岸壁が切り立っていることとが分かる。 グーグルマップで見た相島 出典:グーグルマップより作成 ■笠山 下の写真は菊ヶ浜から笠山(半島)方面を見た景観。手前に萩港が見える。 菊ヶ浜からみた笠山(半島) 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 今回は時間の関係で遠望するだけだったが、この笠山は、萩市北東部海岸より日本海に突き出した陸繋島上に形成され、北長門海岸国定公園に含まれている。標高はわずか112mだが、世界最小の火山とのことだ。近くには萩市最大の漁港、越ヶ浜漁港もある。 実は昨日(11月21日)宿泊したシーサイドパレス萩(ホテル)の私の部屋から撮影した夕日(下の写真)に映し出されていた山は笠山であった。車ならホテルからすぐの場所にある。 萩マリーナから夕日の笠山を望む 2009年11月21日夕方 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 萩マリーナから笠山 2009年11月21日夕方 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 グーグルマップで見た笠山 出典:グーグルマップより作成 なお、笠山北西部の虎ヶ崎周辺には約25,000本のヤブツバキ原生林があり、さらに笠山の北部にはコウライタチバナが自生し日本唯一の自生地として天然記念物に指定されている。風穴の近くでは涼風のためコタニワタリやホソイノデなどの寒地性植物も自生し、極めて珍しい植物相を形成しているなど、生物、生態学的見地からも稀少な場所となっている。
つづく |