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立志尚特異・俗流與議難
松蔭先生は寅年生まれ


青山貞一


Jan. 2010


 正月1月3日、妻と世田谷区若林にある松陰神社にバスで出かけ、吉田松陰の墓前にお参りしてきた。 

 昨年11月、松蔭の故郷である山口県萩市に出かけたあとに書いたブログにもあるように、私は松蔭の著名な弟子達(伊藤博文、山県有朋等)は、いずれも権力志向で社会経済弱者に冷たい国家主義者で評価していません。戊辰戦争、西南戦争、萩の乱そして秩父事件などを見れば、そのことがよく分かります。

◆青山貞一:晩秋の長州・萩探訪 K松陰神社と松下村塾

 しかし享年30歳で刑死した松蔭は、「教育者」としてその生き方、生き様は実に立派な人物であったと思っています。今の権力者、政治家、傲慢な学者らは、まさに爪のあかでも煎じて飲むべきでしょう!

 毎年、正月、自宅から歩いて世田谷区の若林にある松陰神社まで行き、吉田松陰のお墓にお参りしています。今年は年末に体調を崩したこともあり、バスで行きました。自宅近くでバスに乗り、松陰神社前で降り、後は徒歩で松陰商店街を通り神社に到着します。

 松陰神社はかなりの人手がありましたが、正月なのに松陰神社商店街は下の写真にあるようにほとんど人気もなく、ほとんどの商店がシャッターを閉めていました。前を歩くオレンジ色の女性は妻です(笑)。


松陰神社商店街 2010.1.3

 下が世田谷区若林にある松陰神社の入り口。


松陰神社 2010.1.3

 下は妻が松蔭の墓前で撮ってくれた写真です。萩同様、松蔭の墓は若林でも本当に質素なもので(?)で好感がもてます。

 
東京都世田谷区若林にある吉田松陰の墓前にて 2010.1.3


こんな感じで松蔭の墓石は本当に質素 2010.1.3

 せっかくなので、ここで松蔭先生の格言、教えを再掲します。2010年は日本国民にとって重要な年となるはずです。以下の教えを心に刻みましょう!

●松蔭の格言・教え

    至誠而不動者未之有也

    至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり
    (至誠をもって対すれば動かすことができないものはない) 
     至誠とは:この上なく誠実なこと。また、その心。まごころ。

    

 
立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない) 
不思身後業 (死んだ後の業苦を思い煩うな)
且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
百年一瞬耳 (百年の時は一瞬にすぎない)
君子勿素餐 (君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)
志を立ててもって万事の源となす
    (何事も志がなければならない。志を立てることが全ての源となる)
     志士は溝壑に在るを忘れず
    (志ある人は、その実現のためには、溝や谷に落ちて
     屍(しかばね)をさらしても構わないと常に覚悟しているものだ)

    己に真の志あれば、無志はおのずから引き去る恐るるにたらず
    (自分に真の志があれば、無志(虫)は自ら引き下がるものだ)

    凡そ生まれて人たらば宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし 
    
 (人として生まれてきた以上、動物とは違わなければならない。
     人間は道徳を知り、行なわなければ人間とは言えない)
  

    体は私なり、心は公なり公を役にして私に殉う者を小人と為す
    (私を使役して、道を行なうことに心がける者が大人であり、
     反対に、私の欲望を満足させる事を目的とするものは小人である)

    人賢愚ありと雖も各々十二の才能なきはなし
    湊合して大成する時は必ず全備する所あらん
    (人には能力の違いはあるけれども、誰にも長所はあるものである。
     その長所を伸ばしていけば必ず立派な人になれるであろう)
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし
    (死んでも志が残るものであれば、いつでも死ねばよい。
     生きて大事を為せるならば、いつまでも生きてそれをやればよい)
    ※「男児たるものどう生き、どう死ねばよいのか」という問いに対して。

   妄(みだり)に人の師となるべからず。また、妄に人を師とすべからず
   夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。
   君子は、何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、
   その上で行動する。小人は、何事に臨んでも、それが利益になるか
   否かと考えて、その上で行動する

   末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から、
   極端だといわれるであろう。もしまた、世人から極端だと
   いわれるくらいでなければ、決して道義ではないのであって、
   すなわち世俗に同調し濁った世に迎合したものにすぎない。

   士たるものの貴ぶところは徳であって才ではなく、
   行動であって学識ではない

   人間の真価は 人生の最期で決まる自らの志を捨て去り
   晩節を汚すこと程人間として醜悪な敗残の姿はない。
   弟子たちよどうかわが志を押し広げ これを満天下に
   宣揚していってくれ
これ以上に私という人間をよく知る道は
   ないのだ
意気盛んならば天下に難事なし


   「知行合一」
    学者になってはいかぬ。
    人は実行が第一である。
    学んでも行動しなければ社会の役には立たず、
    学ばずに行動すれば社会に害をもたらす。

 どうでしょうか? 

 今の日本では「志」が死後となっていますね。

 私は、立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)そして俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)という松蔭先生の言葉を肝に銘じています。

 以下は立志尚特異と俗流與議難のいわば解説ですね。

 末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から、極端だといわれるであろう。もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ、決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し濁った世に迎合したものにすぎない。

 今まさに「末の世」、世俗に同調し濁った世に迎合してはいけないのです。

 知行合一(学者になってはいかぬ。人は実行が第一である)。これもいいですね。日頃から自分を戒める意味でこの漢語を脳裏に焼き付けています。

 それにしても漢語は実にすばらしいですね。わずか漢字数文字で含蓄を表現します。漢語、日本語を大切にしましょう。

 下は松蔭はじめ烈士の墓所の説明書きです。


 2010.1.3

 今年は決行若いひとたちがお墓参りされているのに驚きました。写真中央の先が松蔭の墓所。


 2010.1.3
 
 神社内には、松蔭の弟子らが明治41年に奉納した石燈籠があります。


 2010.1.3

◆松蔭が世田谷区若林に埋葬された経緯について

 安政の大獄に連座し1859年(安政6年)10月27日に伝馬町の獄牢で処刑された吉田松陰の遺体は、最初は小塚原回向院に埋葬され。

 その後、毛利家が所有していた東京都世田谷区若林お抱え地(現在、世田谷区若林4丁目)に改葬された。この改葬地が現在、東京にある松陰神社となっている。

 当時、刑死者の扱いは極めて粗雑で、松蔭の遺体は四斗桶に入れ、回向院のわら小屋に置かれていた。

 役人が桶を取り出し、蓋を開けると、首の顔色はまだ生きてるようにも見えたが、髪は乱れ顔面を覆い、血がべったりとこびりつき、胴体は裸のままだったという。

 下は松陰神社の一角にある松下村塾のレプリカ(?)。驚いたのは、結構、若いひとが訪れていたことだ。もっぱら、松下村塾や松蔭から何を学ぼうとしているか、こそが大切です。


若林の松陰神社の一角にある松下村塾のレプリカ(?) 2010.1.3


松下村塾内部(塾の教室) 2010.1.3


別の角度から撮影した松下村塾内部(塾の教室) 2010.1.3


松下村塾の解説板 2010.1.3


松陰神社にお参りするひとびと。よく見ると若者が多い!  2010.1.3

 帰りは世田谷線→田園都市線→大井町線→目黒線と電車で帰りました。バスだと一本なのに電車だと何と4つの東急線を使うことになります。



 まずは世田谷線で松陰神社前から三軒茶屋まで行き、田園都市線で二子玉川駅まで行きます。その後、大井町線で大岡山駅まで行き、目黒線で武蔵小山駅と直線距離だと数kmですが、電車だとおおまわりになります。


松陰神社前駅にて



 ところで1月6日、昨年行った萩の堀洋太郎さんから、萩の松陰神社の写真が怒られてきました。

 吉田松陰はもともと吉田寅次郎が本名ですが、やはり寅が示すように「寅年」とのことで、今年は干支だそうです。

 本場、萩の松陰神社の入り口に下の写真のように大きな絵馬(看板)が掲げられたそうです。


撮影:堀洋太郎氏(萩市在住)

 下は萩の松陰神社。


撮影:堀洋太郎氏(萩市在住)

 以下は昨秋、萩の市民団体からの依頼で講演に行ったときに書いた論考です。

●青山貞一:晩秋の長州・萩短訪 2009.11.21-22
@今に残る希有な歴史文化都市 H吉田松蔭誕生地と一族
A萩市の産廃処分場問題 I吉田松蔭刑死と墓所
B産廃処分場問題講演会 J毛利家の菩提寺 東光寺
C反射炉跡と造船所跡 K松陰神社と松下村塾
D浜崎地区:旧萩藩 御船倉 L御成道と萩城跡
E浜崎地区:旧山村家住宅 M菊屋家住宅とその庭園
F菊ヶ浜・相島・笠山 N萩の城下町を歩く
G萩博物館 Oエピローグ