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真夏のスペイン Dragon by Gaudi

独立の機運に燃えるバルセロナ短訪

カテドラル・カタルーニャ自治の歴史

鷹取敦

掲載月日:2015年8月27日
 独立系メディア E−wave
無断転載禁


内容目次
8/10 バルセロナ 8/12 11 ガウディによる3つの邸宅
1 スペイン・カタルーニャの歴史 12 カタルーニャ広場、サン・ジュセップ市場
2 カテドラル・スペイン自治の歴史 13 バルセロナからマドリードへ列車の旅
3 ガウディの後援者パラウ・グエル マドリード・セゴビア
8/11 4 サンタ・マリア・ダル・マル教会 14 マドリードの街並み
5 グエル公園 8/13 15 セゴビア・アルカサル
6 サグラダ・ファミリア 16 セゴビア・カテドラル
7 グエル別邸 17 セゴビア・古代ローマ水道橋
8 国立宮殿(カタルーニャ美術館) 8/14  18 マドリード・マヨール広場
9 海洋博物館(中世の造船所) 19 マドリード・王宮
8/12 10 カタルーニャ音楽堂   スペイン滞在中の個人線量記録

■カテドラル・王の広場

 カテドラル、王の広場からみてライエタナ通り側にある広場には、バルセロナ伯ラモン・バランゲー3世(1082〜1131年)の像がありました。


ラモン・バランゲー3世像 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


バルセロナ伯ラモン・バランゲー4世

 バルセロナ伯爵は、フランク王国のカール大帝(在位768-814年)がエブロ川の土地を制服後に創設しました。

 ラモン・バランゲー4世(銅像のラモン・バランゲー3世の子)は、1150年にアラゴン王女ペトロニーラと結婚し、カタルーニャとアラゴンによるは同君連合(アラゴン連合王国)となり、2人の息子であるアルフォンス2世がカタルーニャとアラゴンの君主位につきました。

参考:Wikipedia バルセロナ伯


 カテドラル(サンタ・エウラリア大聖堂)のある広場に出ました。カテドラルはバルセロナがもっとも繁栄していた13〜15世紀に建築されたものです。


カテドラル(サンタ・エウラリア大聖堂)

 かつてはこの場所に原始キリスト教の教会があり、西ゴート王国時代にも使われていました。986年、イスラムの2つ目の王朝であるアッバース朝の2代目カリフアル=マンスールによるバルセロナ占領で破壊されました。

 バルセロナ伯ラモン・バランゲー1世時代の1058年にロマネスク様式に立て替えられました。この4年前1054年にローマ公教会とギリシャ正教会が分裂しています。

 現在の建物はゴシック様式建築で、バルセロナ伯ジャウマ2世(アラゴン王としてはハイメ2世)時代の1298年に建設が始まり、およそ150年後に完成しました。ファサード(建物の正面部分)は1888年のバルセロナ万博にそなえ改装されたネオゴシック様式です。

参考:Wikipedia サンタ・エウラリア大聖堂
   「物語 カタルーニャの歴史」、田澤耕



カテドラル 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 カテドラルから王の広場に向かう途中、左手に、 1318年から1993年までアラゴン王の資料館(The archives of the crown of aragon)だった建物があります。現在は、欧州遺産ラベル(European Heritage Label)により保護されています。


欧州遺産ラベル(European Heritage Label)

 欧州の統合やその理念と歴史を象徴する場所を認定・登録し、欧州の歴史的文化遺産を保護する制度。

 現在の欧州を作り上げたマイルストーンを紹介するため、欧州の価値と文明を経験できるように選択されています。

   ◆欧州遺産ラベル(European Heritage Label)公式サイト

参考:駐日欧州連合代表部の公式ウェブマガジン


 カトリック両王の結婚によりアラゴン・カタルーニャがカスティーリャとの連合王国になる前は、カタルーニャとアラゴンの同君連合(同じ王による連合国)でした。この連合王国は一般にはアラゴン王国と呼ばれています。


欧州遺産ラベルの表示 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


元 アラゴン王の資料館 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


元 アラゴン王の資料館 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 王の広場に向かいました。写真に見えている塔は、ラモン・バランゲー3世像の後ろに見えていたものです。ちょうどラモン・バランゲー3世像の反対側が王の広場です。


王の広場の入り口 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 王の広場に面する左と正面の建物は、バルセロナ伯の屋敷で、後にカタルーニャ=アラゴン連合王国の王宮でした。右側はアガタ礼拝堂です。右奥の階段は新大陸「発見」から戻ったコロンブスがイサベル女王に謁見するために登った階段です。


カタルーニャとコロンブス

  コロンブスが米国大陸から戻りイサベル女王に謁見したバルセロナはカタルーニャの中心都市です。また、コロンブスはイタリアのジェノバ出身という説が有力ですが、カタルーニャではコロンブスがカタルーニャ人という説が頻繁に発表されるほど、カタルーニャ人のコロンブスに対する思い入れは強いものがあります。

 しかし、新航路発見計画の後援はイサベル女王のカスティーリャであったため、新大陸の権益はカスティーリャ人に独占されていました。交易の中心が地中海から大西洋に移行した時代に、そのカタルーニャ人はその権益から排除されていたため、地中海交易で栄えていたカタルーニャの衰退につながりました。

 その後、スペイン継承戦争によりスペイン王となったフェリペ5世(フランス・ブルボン朝ルイ14世の孫)が中央集権が進めてカタルーニャの自治権が廃止された後、1778年に結果としてカタルーニャ人の排除が無くなったのは皮肉です。

参考:「物語 カタルーニャの歴史」、田澤耕



王の広場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


アガタ礼拝堂の聖母子像 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 王の広場からカテドラル背後の道を通り、サン・ジャウマ広場に向かいます。


カテドラルの後ろ側 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


カテドラル裏からサン・ジャウマ広場へ 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


サン・ジャウマ広場へ 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■バルセロナ市庁舎・カタルーニャ自治政府庁舎

 サン・ジャウマ広場には、南東側にバルセロナ市庁舎が、北西側にカタルーニャ自治州政府庁舎が向かい合って建っている行政の中心地です。古代ローマの植民地時代は主要通りの交差点の広場となっておりアウグストゥス神殿がありバルセロナの中心地でした。19世紀にサン・ジャウマ教会を取り壊し、現在の市庁舎が建てられました。


カタルーニャ州自治政府
(ジャナラリター・デ・カタルーニャ)


  ジャナラリターは、バルセロナ伯ジャウマ1世(アラゴン王としてはハイメ1世)時代に、王が当時の社会的階層の代表(聖職者、軍人または貴族、市民代表の3身分)を召集して面会するものであるコルツ、今でいう議会として誕生しました。

 当時の人口の8〜9割を占める下層市民にとってはその存在すら知らないものであり民主主義を時つげするものではなく、王が強権をふるって何でも決めてしまうことを制約する協約を王と支配階級が結んだものであり、きちんとした定義をもった制度として確立されていたのは英国とカタルーニャぐらいであったと言われています。

 この協約主義がああったためバルセロナ伯爵家が途絶え、バルセロナカスティーリャ王国(王が強権をふるうタイプの国)の系統の王が立った時にもカタルーニャは自治権を維持し、そのアイデンティティを失わないで済んだのです。

 ペラ3世時代に王室の財政が危機に瀕し、戦費調達のため議会の同意を頻繁に得る必要が出来たためコルツ(議会)が開催されない間の常設の代表機関(ジャナラリター)が設置されました。

 マルティー1世が後継者を指名しないまま急逝したことで生じた空位時代には、この、ジャナラリターが政治的な責任を負いました。中世後期のジャナラリターは、君主に次いでカタルーニャの主たる統治機関だったのです。

 その後、2度の廃止と復活を経ます。フランコ政権の間、国外に亡命していたジャナラリター・デ・カタルーニャは、1977年9月、再びバルセロナのジャナラリター庁舎に入り、1978年スペイン憲法によって自治権がジャナラリターに与えられました。

 カタルーニャにおける国民投票による承認とスペイン国会での可決を得て、1979年にカタルーニャ自治憲章が成立しています。

 このようにカタルーニャ自治政府は長い歴史的な背景を持っています。

参考:Wikipedia ジャナラリター・デ・カタルーニャ
   「物語 カタルーニャの歴史」、田澤耕



サン・ジャウマ広場のバルセロナ市庁舎 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


サン・ジャウマ広場のカタルーニャ自治州政府庁舎 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 それぞれの庁舎の上にはためいている旗は、バルセロナ市の市旗、カタルーニャ自治、スペインの国旗です。(下記のそれぞれの旗の画像はWikipedaより)


バルセロナ市旗・カタルーニャ自治州旗・スペイン国旗国章

 
バルセロナ市旗 カタルーニャ自治州旗

スペイン国旗 スペイン国章

 スペインの国旗の中央に描かれているスペインの国章はスペインの歴史的な成り立ちを象徴しています。盾の中央が(現在のスペイン王家である)ブルボン家の紋章、左上がカスティーリャ王国の紋章、左下がアラゴン王国の紋章、右上がレオン王国の紋章、右下がナバラ王国の紋章、下部がグラナダ王国、左の柱の上がハプスブルク家の神聖ローマ帝国カール5世(スペイン国王としてはカール1世)の王冠、右の柱の上がスペイン王の王冠を表しています。

 なお大西洋に面したレオン王国は後にカスティーリャとの連合王国となり、その後統合(一部は現ポルトガル)、バスク地方のナバラ王国は後にカスティーリャ王国やアラゴン王国に統治、再独立等を経て、その一部がスペインとなっています(一部は現フランス)。

 また国章の下部にあるグラナダ王国は、イベリア半島最後のイスラムの王国で、カスティーリャ王国とアラゴン王国の連合王国によって滅ぼされています。

 したがって最終的には、カスティーリャとアラゴン王国(カタルーニャを含む)の連合(さらにスペイン継承戦争で領土を失ったこと)が現在のスペインを形作ったことになります。

 最初に紹介したグエル公園等の予約サイトで、国内の言語として、スペイン語(カスティーリャ語)とカタルーニャ語が選択できることにも、それが現れています。

画像の出典:Wikipedia


つづく