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真夏のスペイン Dragon by Gaudi

独立の機運に燃えるバルセロナ短訪

マドリード・王宮

鷹取敦

掲載月日:2015年8月27日
 独立系メディア E−wave
無断転載禁


内容目次
8/10 バルセロナ 8/12 11 ガウディによる3つの邸宅
1 スペイン・カタルーニャの歴史 12 カタルーニャ広場、サン・ジュセップ市場
2 カテドラル・スペイン自治の歴史 13 バルセロナからマドリードへ列車の旅
3 ガウディの後援者パラウ・グエル マドリード・セゴビア
8/11 4 サンタ・マリア・ダル・マル教会 14 マドリードの街並み
5 グエル公園 8/13 15 セゴビア・アルカサル
6 サグラダ・ファミリア 16 セゴビア・カテドラル
7 グエル別邸 17 セゴビア・古代ローマ水道橋
8 国立宮殿(カタルーニャ美術館) 8/14  18 マドリード・マヨール広場
9 海洋博物館(中世の造船所) 19 マドリード・王宮
8/12 10 カタルーニャ音楽堂   スペイン滞在中の個人線量記録

◆王立劇場

 王宮の正面、王宮に向かい合うように王立劇場があります。


王立劇場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


王立劇場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


王立劇場(テアトロ・レアル)

 テアトロ・レアル(王立劇場)はマドリードにある歌劇場です。イサベル1世の治世下、アントニオ・ロペス・アグアドがてがけ、1850年にガエターノ・ドニゼッティの「殉教者」でこけら落としをしました。その後、興行不振が続き、1925年に一時閉鎖しましたが、1966年にリニューアルオープンしました。

 1977年に国定記念建造物に指定され、その後、劇場に本来のオペラハウスとしての機能を復活させる可能性が再検討されます。1997年に王立劇場は再びマドリードにおけるベルカント(美しい歌唱)の本拠地となりました。現在はマドリード王立劇場管弦楽団も劇場付属オーケストラとしてオペラ公演を中心に開かれています。

 建物は様々な建築の混合で、劇場の至宝は1472 m2の舞台機構部分です。18もの連結壇を連ねて複雑な舞台装置替えを可能にし、ステージやオーケストラボックスで様々な組み合わせができるようになっています。

 観客専用の階である「ラ・ロトンダ(La Rotonda)」は建物をぐるりと囲んでおり、ここには国有財産やプラド美術館所蔵の作品が飾られた、色調の異なる4つの大広間があります。大広間の照明は、ラ・グランハ王立工場で作られたものです。

 ◆王立劇場公式サイト(英語)
 http://www.teatro-real.com/en

参考:マドリード観光オフィシャルサイト−王立劇場
    Wikipedia テアトロ・レアル


◆王宮

 王立劇場で振り向くと広い庭園の向こうに巨大で壮麗な王宮が見えます。


王宮 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


王宮

 カルロス3世(1716〜1788)からアルフォンソ13世(1886〜1941)までの国王が住まいとしてきた壮麗な宮殿です。今でも国王の公式の宮殿ですが、宮殿はスペイン政府の所有で、現在の国王は王宮には住んでおらず、公式行事のみに使用されています。現在の国王や王族は郊外にあるマドリードより小さなサルスエラ宮殿に好んで暮らしています。

 王宮は、マドリードのダウンタウン西部バイレン通りにあり、公的行事で使用される時を除き一般公開されています。

 現在宮殿のある場所は、10世紀からイスラム勢力であるコルドバ太守モハンマド1世 のマイリットと呼ばれる要塞が建っていました。1036年のムーア人(北西アフリカのイスラム教徒)のトレド王国独立後はムーア人に継承されました。

 1085年、マドリードがカスティーリャ王アルフォンソ6世によって陥落すると、カスティーリャ王に使用されました。1329年、カスティーリャ王アルフォンソ11世は初めてマドリードにコルテスを招集しました。

 フェリペ2世は(1527〜1598)、国王の公式な住まいとして機能するよう、イスラム教徒のかつてのアルカサルに宮殿の建築を進めました。しかし1734年の火災で焼失してしまい、フェリペ5世(1683〜1746)がフアン・バウティスタ・サケッティに新しい王宮の建設を命じました。新しい王宮に最初に暮らし、装飾を完成させたのはカルロス3世(Carlos III)です。

 ◆王宮公式サイト(英語)
 http://www.patrimonionacional.es/en/real-sitio/palacios/6039

参考:マドリード観光オフィシャルサイト−王宮
    Wikipedia 王宮 (マドリード)



王宮前のフェリペ4世の騎馬像 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


王宮 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 王宮の建物にはさまざまな場所に像が建てられています。


王宮 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 王宮の正面に見学者の団体入口がありました。個人見学者は王宮の正面左側の角を曲がったところにあります。角を曲がったところにアルムデナ大聖堂がありました。


アルムデナ大聖堂 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


アルムデナ大聖堂

 アルムデナ大聖堂建設計画は16世紀にはじまりました。教会の最初の設計はマリア・デ・ラス・メルセデス王妃の墓所として、1879年にフランシスコ・デ・クバスが手がけました。1883年に着手されたものの、1885年にローマ教皇レオ13世が大勅書を発し、マドリード−アルカラ司教区が創設されると、計画は教会から大聖堂へと変更になりました。

  大聖堂は民衆が建立する奉納教会として構想されましたが、寄付は十分でなく、工事には遅れが生じました。地下埋葬所は1911年に完成しましたが、スペイン内戦の間工事は中断し、1939年にわずかな資金で再開に至ります。

 それ以来、外観に関する判断基準に変化が生じ、ゴシック様式の大聖堂は周囲の環境に馴染まずふさわしくないと考えられました。1944年、新たな建築の解決策を求めて国内公募を行います。1950年に工事が再開し、回廊は1955年、正面は1960年にそれぞれ完成しました。大聖堂は1993年に完成したと考えられます。

 ゴシック・リヴァイヴァル建築の内装はユニークな現代風で、現代芸術家による礼拝堂と像は歴史的復古作品からポップアート装飾まで多岐にわたる様式が採用されています。

参考:マドリード観光オフィシャルサイト−アルムデナ大聖堂
    Wikipedia アルムデナ大聖堂



アルムデナ大聖堂 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 王宮見学の開館時刻は10時。9時30分に個人見学者の受付入り口に到着したところ、見学希望者の列が出来はじめていました。


王宮の個人見学者の入口 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 10時になりチケットを購入して中に入りました。王宮の広場はアルマス広場といいます。


アルマス広場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


アルマス広場から見たアルムデナ大聖堂 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 見学者はアルマス広場を経由して下の写真の中央から王宮に入ります。


アルマス広場から王宮に入る 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 王宮の建物もアルムデナ大聖堂も建物のそこここに人物像が配置されているのが目に付きます。


王宮上部 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


王宮に入る 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


王宮の天井画 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


王宮の階段を上がったところ 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


王宮の中庭 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ここから先の見学コースは残念ながら撮影禁止でした。豪華絢爛、さまざまな趣向を凝らした部屋をめぐり、元の場所に戻ってきました。ガイド付きではなかったことと、帰りの航空機の時間の制約があったので30分あまりで見学コースを回りました。


王宮見学コースのスタート・ゴール地点 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真は広大な王宮の庭園、カンポ・デル・モーロです。


王宮の見学コースのスタート・ゴール地点 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 この後、ホテルまで戻り、車で空港に向かい日本への帰途に就きました。

 東京を出てからスペイン滞在、そして東京に戻るまでの間、個人線量計で1時間毎に放射線量率(1時間平均値)を自動的に記録しておいたので最後に紹介します。海外に行くときには出来るだけ身につけておくようにしています。

つづく