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真夏のスペイン Dragon by Gaudi

独立の機運に燃えるバルセロナ短訪

ガウディの後援者パラウ・グエル

コロンブスとスペインの歴史

鷹取敦

掲載月日:2015年8月27日
 独立系メディア E−wave
無断転載禁


内容目次
8/10 バルセロナ 8/12 11 ガウディによる3つの邸宅
1 スペイン・カタルーニャの歴史 12 カタルーニャ広場、サン・ジュセップ市場
2 カテドラル・スペイン自治の歴史 13 バルセロナからマドリードへ列車の旅
3 ガウディの後援者パラウ・グエル マドリード・セゴビア
8/11 4 サンタ・マリア・ダル・マル教会 14 マドリードの街並み
5 グエル公園 8/13 15 セゴビア・アルカサル
6 サグラダ・ファミリア 16 セゴビア・カテドラル
7 グエル別邸 17 セゴビア・古代ローマ水道橋
8 国立宮殿(カタルーニャ美術館) 8/14  18 マドリード・マヨール広場
9 海洋博物館(中世の造船所) 19 マドリード・王宮
8/12 10 カタルーニャ音楽堂   スペイン滞在中の個人線量記録

■ランブラス通り

 バルセロナ市庁舎・カタルーニャ自治政府庁舎のあるサン・ジャウマ広場からフェラン通りを抜けてランブラス通りに向かいます。


サン・ジャウマ広場からランブラス通りへ 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


サン・ジャウマ広場からランブラス通りへ 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ランブラス通りは、港にあるコロンブスの塔と旧市街のカタルーニャ広場を南北(南東から北西)に結ぶ、並木のある目抜き通りで大変賑わっています。また、世界的に有名なリセウ大劇場、サン・ジュゼップ市場、レイアール広場があり、南の終端の港にはクリストファー・コロンブスの像があります。

 ランブラス通りは中央が幅の広い歩道、両側が車道となっています。歩道には簡易店舗やレストランのテーブルと椅子等が並んでいます。またところどころに大道芸人もいます。


ランブラス通り 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 有名有名なジョアン・ミロのデザインした石畳があります。ミロはカタルーニャ出身の芸術家です。スペイン広場の隣には、ジョアン・ミロ公園があります。


ジョアン・ミロ

 ジョアン・ミロは、20世紀のスペインの画家で、バルセロナで1893年に生まれました。ミロはパリでシュルレアリスムの運動に参加したことから、シュルレアリストに分類されるのが通例ですが、ミロの描くくデフォルメした形態、原色を基調にした色使いなどは、古典的・写実的描法を用いることが多い他のシュルレアリストの作風とは全く異なります。

 これは同じカタルーニャ出身のガウディが、モデルニスモ(フランスのアール・ヌーボーに類似)に分類されがちなガウディの建築物は、他のモデルニスモの建築家と大きく異なる(田澤耕氏)ことと共通しています。

 18歳の時、療養のためカタルーニャのモンロッチ村に滞在した頃から画家を目ざすようになりました。1912年、バルセロナの美術学校に入学。1919年にはパリに出ます。1930年代からはバルセロナ、パリ、パルマ・デ・マヨルカにアトリエを持ちました。1944年からは陶器や彫刻の制作を始め、1956年には大規模なアトリエを造り作品の規模も大きくなっていきます。晩年にはコンクリート製の大型彫刻や壁画などの大作を数多く残し1983年アトリエのあるパルマで老衰のため死去しました。

参考:Wikipedia ジョアン・ミロ
   「ガウディの伝言」、外尾悦郎
   Wikipedia モデルニスモ



ミロのデザインした石畳(ランブラス通り) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


ランブラス通り 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■パラウ・グエル(グエル邸)

 ランブラス通りの反対側の街区に、ガウディが作ったパラウ・グエルがあります(パラウ=館)。バルセロナ有数の実業家であり政治家でもあったエウセビオ・グエルはバルセロナの発展に大きく寄与した人物です。グエルはガウディの最大の理解者でありパトロンとして多くの建築物をガウディに作らせてきました。


エウセビオ・グエル

 エウセビオ・グエル(1846-1918年)はバルセロナ生まれのスペインの実業家・政治家です。

 バルセロナ、フランス、イギリスで法学、経済学、応用化学を学んだグエルは、実業家フェラン・アルシナーと協力、サンタ・クローマ・ダ・サルバリョーでコーデュロイ工場を始め、これがのちのコローニア・グエル教会の基礎となりました。コローニア・グエル教会はグエルの他界にともない1916年に建設が中止されたままとなっていますが、その地下礼拝堂はガウディの傑作の1つです。

 1901年、アスファルト・ポートランド・アシュランド総合会社を興し、また、妻の一族の銀行やタバコ会社の重役にもなりました。さらに政治の世界にも身を投じバルセロナ市議会議員、州議会議員、スペイン上院議員となりました。一方で、カタルーニャの文化後援者としての活動にも積極的で、サン・ジョルディ王立美術アカデミー会員となりました。

 1918年7月8日、グエルイはグエル公園内の自宅で死去しました。

参考:Wikipedia エウゼビ・グエイ
   「物語 カタルーニャの歴史」、田澤耕



グエルとガウディ

 現在、エウセビオ・グエルは、建築家アントニ・ガウディの生涯最大の後援者としてその名前を知られています。グエル公園、コローニア・グエル教会、グエイ邸、グエイ別邸等は、グエルがガウディに発注して建築されたものです。

 グエルがガウディを見いだしたのは、グエルが32歳の青年実業家だった時代です。ガウディがバルセロナの革手袋店から依頼でパリ万博に手袋を出すために作ったケースが大変な評判を呼び、グエルはこれに注目して、バルセロナに帰った後、ガウディを探し出しました。

 ガウディがグエルの信頼を得るきっかけとなったのはグエル別邸です。ここでガウディは壁、門、入り口の建物、噴水、日よけなどを任されました。特に「ドラゴンの鉄門扉」は傑作と言われています。グエル別邸の敷地内には邸宅は残されていませんが、ガウディによるこれらは保存されています。

 グエル別邸は2日目に訪れたので、あらためて紹介します。

参考:Wikipedia エウゼビ・グエイ
   「ガウディの伝言」、外尾悦郎



ランブラス通りに面するリセウ劇場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 まずはパラウ・グエルに向かいました。ランブラス通りに面するリセウ劇場(1874年落成のヨーロッパを代表するオペラ劇場)の右側を抜けた反対側の街区は、人通りが少なくやや寂しい感じです。1ブロック目で左折し2ブロック行くとパラウ・グエルの前に出ます。

 細い道に面しているので、全体を撮影するのは難しいのですが、この通りはさすがに人通りが多いようです。


パラウ・グエル 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


パラウ・グエル 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


パラウ・グエル前面の装飾 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


パラウ・グエル上部 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ランプラス通りに戻り港のコロンブスの塔の方向へ向かいます。


ランブラス通り 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■コロンブスの塔

 港が近づくと遠方にロープウェイのタワーが見えてきました。今回は乗りませんでしたが、モンジュイック城がある丘の頂上まで行けます。


ランブラス通りから見えるロープウェイのタワー 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ランプラス通りには観光用の馬車も頻繁に走っています。


観光用の馬車(ランブラス通り) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 コロンブスの塔のある広場に出ました。塔の周りがラウンドアバウト(信号の無い円形交差点の一種)になっています。


コロンブスの塔(右手の建物は海洋博物館) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 コロンブスの塔は高さ60mで、1888年のバルセロナ万博の際にカタルーニャとアメリカの交易を記念して建てられました。右手は新大陸の方向を指し、左手にはアメリカ土産のパイプを握っています。


コロンブスの塔 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 最初は単なるコロンブス像のある塔だと思っていたのですが、実は中にはエレベータがあり、コロンブスの足元が展望台となっています。下の写真をみると展望台があるのが分かります。


コロンブスの塔(右手前は街灯) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 コロンブスはスペインでは英雄として扱われていますが、新大陸の先住民にとっては侵略者であり虐殺者です。

 また、レコンキスタ(国土回復運動)で、イスラムの帝国から領土を回復したスペインの王国が行ったのは、イスラム教徒やユダヤ教徒の排除や苛烈な差別、キリスト教に改宗した元ユダヤ教徒に対する異端審問などです。それまでのイスラムの支配体制は、同じ「啓典の民」であるキリスト教徒、ユダヤ教徒に対しては寛容なものでした。*2

 オスマントルコの時代にもコンスタンティノープル(イスタンブール)に東ローマ帝国以来のコンスタンティノープル総主教座(東方教会・ギリシャ正教)がおかれていたように一般的にイスラムの支配体制は寛容な場合が多いようです。


コロンブスによる新大陸先住民の虐殺

 コロンブスの最初の航海の目的は、西回りでインドに到達する航路の開拓でした。その結果、米国大陸に到達し「発見」したコロンブスの2度目の航海(1493年〜)の目的は、新世界への植民でした。

 前回作った植民地に行ってみると、前回、残した人員は全員先住民に殺されていました。コロンブスはここを放棄して新しく「イサベル植民地」を築きましたが、入植者の間では植民地での生活に不満の声が上り、周辺諸島では先住民の間で白人の行為に対して怒りが増していました。

 これに対し、コロンブスの率いる軍隊は、行く先々の島で、無差別虐殺・弾圧を繰り返しました。先住民は報復を試みましたが、コロンブスの軍隊の力と彼らがばら撒く疫病は想像を超えていました。

 以後、コロンブスは虐殺を組織化し、これをモデルとして、スペインの入植者による新大陸への殺戮が行われました。

参考:Wikipedia クリストファー・コロンブス
   「銃・病原菌・鉄」、ジャレド・ダイアモンド


■バルセロナ港沿い

 コロンブスの塔から港沿いに北東に向かいます。フランサ駅近くのホテルに戻る方向です。椰子の木の街路樹(?)のある散策するには気持ちのいい港です。歩いている人や、自転車などで通る人がいます。


港沿いの道 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 中央郵便局の前の交差点まで来ると、El Cap de Barcelona(バルセロナの頭)が見えます。下の写真は横から見たもので、正面から見ると顔になっています。カタルーニャ出身のジョアン・ミロによるものかと思っていたのですが、調べてみたところアメリカのポップ・アーティスト Roy Lichtenstein より1992年のバルセロナオリンピックのために作られたものでした。

 ちなみに募金・寄付で建設されているサグラダ・ファミリアに本格的にお金があつまるようになったのは、バルセロナオリンピックによってサグラダ・ファミリアが世界中に知られるようになったからだそうです。*1


El Cap de Barcelona(バルセロナの頭) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


El Cap de Barcelona(バルセロナの頭)の正面
出典:Wikipedia:El Cap de Barcelona

 すぐそばにカタルーニャ歴史博物館があったので行ってみましたが、すでに閉館時間でした。17時30分頃ですがまだまだ外は明るく賑わっています。


カタルーニャ歴史博物館の建物 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


カタルーニャ歴史博物館の建物 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 一旦ホテルにもどり夕食に出る予定でしたが、夜行便で寝不足だったため、この日はこのまま寝てしまいました。

参考資料:
*1:ガウディの伝言、外尾悦郎
*2:物語 スペインの歴史、岩根圀和

つづく