真夏のスペイン Dragon by Gaudi 独立の機運に燃えるバルセロナ短訪 ガウディの後援者パラウ・グエル コロンブスとスペインの歴史 鷹取敦 掲載月日:2015年8月27日
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■ランブラス通りバルセロナ市庁舎・カタルーニャ自治政府庁舎のあるサン・ジャウマ広場からフェラン通りを抜けてランブラス通りに向かいます。サン・ジャウマ広場からランブラス通りへ 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 サン・ジャウマ広場からランブラス通りへ 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ランブラス通りは、港にあるコロンブスの塔と旧市街のカタルーニャ広場を南北(南東から北西)に結ぶ、並木のある目抜き通りで大変賑わっています。また、世界的に有名なリセウ大劇場、サン・ジュゼップ市場、レイアール広場があり、南の終端の港にはクリストファー・コロンブスの像があります。 ランブラス通りは中央が幅の広い歩道、両側が車道となっています。歩道には簡易店舗やレストランのテーブルと椅子等が並んでいます。またところどころに大道芸人もいます。 ランブラス通り 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 有名有名なジョアン・ミロのデザインした石畳があります。ミロはカタルーニャ出身の芸術家です。スペイン広場の隣には、ジョアン・ミロ公園があります。
ミロのデザインした石畳(ランブラス通り) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ランブラス通り 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■パラウ・グエル(グエル邸)ランブラス通りの反対側の街区に、ガウディが作ったパラウ・グエルがあります(パラウ=館)。バルセロナ有数の実業家であり政治家でもあったエウセビオ・グエルはバルセロナの発展に大きく寄与した人物です。グエルはガウディの最大の理解者でありパトロンとして多くの建築物をガウディに作らせてきました。
ランブラス通りに面するリセウ劇場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 まずはパラウ・グエルに向かいました。ランブラス通りに面するリセウ劇場(1874年落成のヨーロッパを代表するオペラ劇場)の右側を抜けた反対側の街区は、人通りが少なくやや寂しい感じです。1ブロック目で左折し2ブロック行くとパラウ・グエルの前に出ます。 細い道に面しているので、全体を撮影するのは難しいのですが、この通りはさすがに人通りが多いようです。 パラウ・グエル 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 パラウ・グエル 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 パラウ・グエル前面の装飾 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 パラウ・グエル上部 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ランプラス通りに戻り港のコロンブスの塔の方向へ向かいます。 ランブラス通り 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■コロンブスの塔港が近づくと遠方にロープウェイのタワーが見えてきました。今回は乗りませんでしたが、モンジュイック城がある丘の頂上まで行けます。ランブラス通りから見えるロープウェイのタワー 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ランプラス通りには観光用の馬車も頻繁に走っています。 観光用の馬車(ランブラス通り) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 コロンブスの塔のある広場に出ました。塔の周りがラウンドアバウト(信号の無い円形交差点の一種)になっています。 コロンブスの塔(右手の建物は海洋博物館) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 コロンブスの塔は高さ60mで、1888年のバルセロナ万博の際にカタルーニャとアメリカの交易を記念して建てられました。右手は新大陸の方向を指し、左手にはアメリカ土産のパイプを握っています。 コロンブスの塔 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 最初は単なるコロンブス像のある塔だと思っていたのですが、実は中にはエレベータがあり、コロンブスの足元が展望台となっています。下の写真をみると展望台があるのが分かります。 コロンブスの塔(右手前は街灯) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 コロンブスはスペインでは英雄として扱われていますが、新大陸の先住民にとっては侵略者であり虐殺者です。 また、レコンキスタ(国土回復運動)で、イスラムの帝国から領土を回復したスペインの王国が行ったのは、イスラム教徒やユダヤ教徒の排除や苛烈な差別、キリスト教に改宗した元ユダヤ教徒に対する異端審問などです。それまでのイスラムの支配体制は、同じ「啓典の民」であるキリスト教徒、ユダヤ教徒に対しては寛容なものでした。*2 オスマントルコの時代にもコンスタンティノープル(イスタンブール)に東ローマ帝国以来のコンスタンティノープル総主教座(東方教会・ギリシャ正教)がおかれていたように一般的にイスラムの支配体制は寛容な場合が多いようです。
■バルセロナ港沿いコロンブスの塔から港沿いに北東に向かいます。フランサ駅近くのホテルに戻る方向です。椰子の木の街路樹(?)のある散策するには気持ちのいい港です。歩いている人や、自転車などで通る人がいます。港沿いの道 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 中央郵便局の前の交差点まで来ると、El Cap de Barcelona(バルセロナの頭)が見えます。下の写真は横から見たもので、正面から見ると顔になっています。カタルーニャ出身のジョアン・ミロによるものかと思っていたのですが、調べてみたところアメリカのポップ・アーティスト Roy Lichtenstein より1992年のバルセロナオリンピックのために作られたものでした。 ちなみに募金・寄付で建設されているサグラダ・ファミリアに本格的にお金があつまるようになったのは、バルセロナオリンピックによってサグラダ・ファミリアが世界中に知られるようになったからだそうです。*1 El Cap de Barcelona(バルセロナの頭) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 El Cap de Barcelona(バルセロナの頭)の正面 出典:Wikipedia:El Cap de Barcelona すぐそばにカタルーニャ歴史博物館があったので行ってみましたが、すでに閉館時間でした。17時30分頃ですがまだまだ外は明るく賑わっています。 カタルーニャ歴史博物館の建物 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 カタルーニャ歴史博物館の建物 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 一旦ホテルにもどり夕食に出る予定でしたが、夜行便で寝不足だったため、この日はこのまま寝てしまいました。 参考資料: *1:ガウディの伝言、外尾悦郎 *2:物語 スペインの歴史、岩根圀和 つづく |