エントランスへはここをクリック   

超高層ビルの谷間の日本の美

東京芝の増上寺

5. 西向観音

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


November 10, 12, 15 2014
Alternative Media E-wave Tokyo
無断転載禁
超高層ビルの谷間の日本の美 東京芝の増上寺
@紅葉   E徳川家霊廟門   J三解脱門   O芝東照宮 
A増上寺概要   F徳川家霊廟   K方丈門   P絵はがき1
B伽藍・大殿   G四大菩薩   L御成門    Q絵はがき2
C伽藍・安国殿   H鐘楼堂・水盤舎   M有章院霊廟門   R狭山不動寺
D西向観音 I惣門 N大門 補遺
歴代徳川将軍家家系

◆西向き観音・千躰子育地蔵尊 (Nishimuki Kannon)




増上寺の西向観音の入り口
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


増上寺の西向観音
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15

 徳川家の菩提寺として名を馳せ、慶長三年(1598年)に現在地に移転され、徳川家の菩提寺、浄土宗の学制総録所として常時3000名の僧侶が修学に励む大寺院となり、関東十八壇林の筆頭として栄えました。

 当時の建立物は戦災により焼失しましたが、増上寺の顔である威風堂々たる姿の真っ赤な「三解脱門」は唯一江戸初期造営当時、元和八年(1622年)の建立で、現在、国の重要文化財に指定されています。

 江戸観音札所は安国殿の前にある「西向観音」で、この観音様は増上寺がこの地に移転する前からすでにこの地にあったもので、鎌倉時代、時の執権北条時頼公が諸国視察の折に、この地が霊所で、風雅な憩いの場であることに着目して、街道に向けて石製の観音像を安置したものなのだそうです。

 堂は昭和五十年に改めて建てられたもので、現在も子育て招福のご利益を求めて参詣者が絶えないそうです。

 子育て安産に霊験あらたかとされる西向観音にちなみ、子供の無事成長、健康を願い昭和五十年(1975年)より順次奉安されております。毎年4月に大祭、7月には盆踊り大会が開催されます。

 増上寺内の西向観音(にしむきかんのん)は、江戸33観音札所の第21番霊場にあたります。西向観音は子育てと安産に霊験あらたかです。制作は鎌倉期。


西向観音像
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


西向観音像
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15

 なぜか、外国人の女性が何枚も観音堂の写真を撮影していました。


西向観音像
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15

 西向き観音は、江戸三十三観音観音第21番札所です。

 鎌倉時代、北条時頼が観音山に辻堂を建立し、石造の観音像を祀ったことに始まるとのこと。慶長3年(1598)増上寺が移転してきたことにより境内地に含まれることになったとのことです。


安国殿の隣にあった千躰子育地蔵尊
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-12


安国殿の隣にあった千躰子育地蔵尊
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-12

 なお、増上寺の北西の外れには、増上寺幼稚園(明徳幼稚園)が併設されています。お寺が幼稚園を併設するのはめずらしくありません。仏教精神を基にした全人的教育を目指し、とあるように、全人的教育が今ほど重要性を増している時代はありまえん。その意味で、明徳幼稚に大いに期待したいものです。


増上寺幼稚園(明徳幼稚園)の駐車場にて
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12

学校法人明徳学園について(公式Webより)

 仏教精神を基にした全人的教育を目指し、浄土宗
 大本山増上寺が大正14年に創設したのが明徳幼稚園です。
 学校法人組織により、理事構成は大本山増上寺の役員
 及び関係者によって組織運営されています。

教育目標
 ☆生命の大切さと思いやりを育てます。
 ☆ 自然の美しさを感じる感性を育てます。
 ☆ 健康な体と心、知恵のバランスを育てます。
 ☆ 自己表現、協調性を育てます。
 ☆ 前向きな意欲を育てます。

特色
 仏教精神が基の幼稚園です(明るく・正しく・仲良く)
 芝公園の緑の中の理想的な環境である
 個々に適切な指導に努める
 園舎および設備の完備

つづく