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超高層ビルの谷間の日本の美

東京芝の増上寺

14.有章院霊廟二天門
Yushoinmon(Gate) of Zojoji Temple

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


November 10, 12, 15 2014
Alternative Media E-wave Tokyo
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超高層ビルの谷間の日本の美 東京芝の増上寺
@紅葉   E徳川家霊廟門   J三解脱門   O芝東照宮 
A増上寺概要   F徳川家霊廟   K方丈門   P絵はがき1
B伽藍・大殿   G四大菩薩   L御成門    Q絵はがき2
C伽藍・安国殿   H鐘楼堂・水盤舎   M有章院霊廟門   R狭山不動寺
D西向観音 I惣門 N大門 補遺
歴代徳川将軍家家系

◆有章院霊廟二天門


芝増上寺徳川家霊廟 鋳抜門 についている徳川家の紋章
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-12


有章院霊廟二天門     出典:グーグルマップ


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-12

 下は大江戸線の御成門駅。御成門駅の出入り口は慈恵医大病院側にもうひとつあります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-12


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-12


有章院霊廟二天門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-12


有章院霊廟二天門     出典:Wikipddia

有章院(ゆうしょういん)(徳川家継)霊廟 二天門

 現在の東京プリンスホテル敷地には戦前六代将軍家宣の文照院霊廟と並んで、七代将軍家継の有章院霊廟がありました。プリンスホテル正面の二天門は有章院霊廟の総門です。霊廟は八代将軍吉宗が享保元年(1716)に建立しました。

 南廟(二代秀忠の台徳院廟)に比べ、やゝ小規模でしたが、勅額門、鐘楼、水屋、中門、左右の廊、本殿と奥の院(唐門、拝殿、中門、宝塔)があり、その結構は日光に劣らぬ云われる程でした。しかし昭和二十年(1945)五月の戦災で消失しました。

 この焼け残った二天門は銅瓦葺き、切妻造りの八脚門で、左右に仏法守護の役目を持つ広目天、多聞天の二天がまつられています。焼けた文照院の門に持国天、増長天が置かれ、あわせて四天王としてまつられていました。

 なおこの北廟には九代家重と家継の祖父綱重、十二代家慶、十四代家茂、静寛院宮の墓所もありました。

出典:有章院霊廟二天門


章院霊廟二天門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-12


章院霊廟二天門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-12

 有章院霊廟(ゆうしょういんれいびょう)は、江戸幕府七代将軍徳川家継の霊廟建築。芝増上寺に造営されています。


増上寺に残る家継の石塔   出典:Wikipedia

←家継公石塔 



家継公の石塔
出典:増上寺公式Web


千代田之御表 芝増上寺初御成ノ図


◆徳川幕府の第7代将軍 徳川家継(在任:1713年 - 1716年)。

 徳川家継 Tokugawa ietsugu.jpg プロフィール
   時代 江戸時代中期
  生誕 宝永6年7月3日(1709年8月8日)
  死没 正徳6年4月30日(1716年6月19日)
  改名 世良田鍋松(幼名)→徳川家継
  戒名 有章院殿照蓮社東譽徳崇大居士
  墓所 東京都港区の三縁山広度院増上寺
  官位 正二位・権大納言、内大臣兼右近衛大将
  贈正一位・太政大臣
  幕府 江戸幕府 7代征夷大将軍(在任:正徳3年4月2日(1713年)-
   正徳6年4月30日(1716年))
  氏族 徳川将軍家
  父母 父:徳川家宣、母:お喜代の方(月光院)
  兄弟 豊姫、夢月院、家千代、大五郎、家継、
  虎吉、政姫
  妻 正室:なし(婚約者:八十宮吉子内親王)

 第6代将軍・徳川家宣の四男。母は側室で浅草唯念寺住職の娘・お喜代(月光院)。一時期、徳川家の旧苗字「世良田」を用いて世良田 鍋松(せらた なべまつ)と呼ばれていました。婚約者は霊元天皇の皇女・八十宮吉子内親王。史上最年少で任官した征夷大将軍です

 有章院は江戸幕府の第7代将軍、徳川家継(いえつぐ)(1709〜1716)の院号です。有章院霊廟は第7代将軍、徳川吉宗(よしむね)が1717(享保 2)建立したもので、日光の東照宮に劣らぬといわれるほどの豪華なものでした。

 しかし、1945年 5月(昭和20)の空襲により、この二天門を残して焼失しました。土葬されていた遺体は1958(昭和33)発掘し荼毘にふして徳川将軍墓所に改葬されました。

 下は焼失前の有章院霊廟です。


焼失前の有章院霊廟
出典:Wikipedia

 下は往事の有章院霊廟です。場所は,東京プリンスホテルの広大な駐車場がある位置です。ちなみに、現在の有章院霊廟二天門がある場所は、中央の下段ですが、その後、国道建設のためセットバックさせられています。

 戦災で焼失した国宝指定建造物です。

 本殿、相之間、拝殿、前廊、中門、左右廊、渡廊、内透塀、仕切門、
 鐘楼、井戸屋形、水盤舎、勅額門、外透塀。
 奥院中門、波板塀、拝殿、前廊、唐門、透塀。
 惇信院宝塔中門、波板塀、拝殿、前廊、唐門、透塀

 下は消失するまえの有章院霊廟です。霊廟は段々となっており、壮大かつ広大なものであったことが見て取れます。現在は、すべて東京プリンスホテルの敷地となっています。


往事の有章院霊廟の図   出典:増上寺配付資料


上記の有章院霊廟の部分拡大図   出典:増上寺配付資料


昭和20年の繊細以前の増上寺霊廟図  出典:増上寺配付資料

◆有章院勅額門から霊廟拝殿中門

 わずか8才で薨去した第7代将軍家継有章院霊廟は芝増上寺山内北廟に第6代将軍家宣霊廟文昭院と並んでその北側にあった。

 勅額門は銅板葺で正面は軒唐破風、側面は千鳥破風の四脚唐門である。前後四本の柱には龍が巻ついた彫刻が施されていた。扉は両開桟唐戸で、各羽目には波菊、怪獣の彫刻が配されていた。勅額門を入ると右手に鐘楼(しょうろう)、左手には水盤舎が対称の位置にあった。

 写真の奥に見えるのは拝殿中門であり、その奥が拝殿向拝になっていた。


出典:長崎大学付属図書館

 七代将軍家継の霊廟である有章院の奥院唐門。朱と金箔をふんだんに用いた贅沢な作りが、将軍家の栄華を現代に伝えている。


出典:長崎大学付属図書館

 七代将軍家継の霊廟。閂のあるのが中門扉で、拝殿に通じている。左右対称につづく廊は、羽目に花鳥の彫刻、欄間には波の透彫が施され、天井は極彩色の化粧屋根裏であるなど、華麗な造りとなっている。


出典:長崎大学付属図書館

出典:文章、写真を含め長崎大学付属図書館
http://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/search/ecolle/kaso/exp/35.html


往事の有章院霊廟二天門の位置 
出典:増上寺配付資料

 なお、御勅額門、第二代将軍徳川秀忠(台徳院)の霊廟門さらに秀忠の正室、崇源院(お河の方)の霊廟については、以下をご覧ください。

◆青山・池田:超高層ビルの谷間の日本の美 芝増上寺 R狭山山不動寺

つづく