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超高層ビルの谷間の日本の美

東京芝の増上寺

16.芝東照宮

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


November 10, 12, 15 2014
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超高層ビルの谷間の日本の美 東京芝の増上寺
@紅葉   E徳川家霊廟門   J三解脱門   O芝東照宮 
A増上寺概要   F徳川家霊廟   K方丈門   P絵はがき1
B伽藍・大殿   G四大菩薩   L御成門    Q絵はがき2
C伽藍・安国殿   H鐘楼堂・水盤舎   M有章院霊廟門   R狭山不動寺
D西向観音 I惣門 N大門 補遺
歴代徳川将軍家家系

芝東照宮

 増上寺のある芝公園の南端に、芝東照宮があります。2014年11月15日、増上寺の徳川家霊廟特別公開を一通り拝観したあと、私達(青山貞一、池田こみち、山形美智子)は、都営三田線の芝公園駅近くにある芝東照宮を拝観しました。

 場所は下図にあるように、増上寺の南、芝公園内の日比谷通りに面したところにありました。


増上寺 大殿 伽藍    出典:グーグルマップ

 下は現在の都営三田線の芝公園駅周辺です。


現在の芝公園駅周辺     出典:東京都営地下鉄


徳川家霊廟についている徳川家の紋章
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-12


芝東照宮の石碑
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


芝東照宮

 芝東照宮は、東京都港区にある東照宮で祭神は徳川家康です。

 神体は徳川家康寿像、旧社格は郷社。日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つとされています。下は芝増上寺の概要です。東照宮といえば圧倒的に日光東照宮が有名ですが、他にも久能山、上野そして芝にもあったのです。

芝東照宮

拝殿
所在地  東京都港区芝公園4-8-10
主祭神  徳川家康
社格等  郷社
創建    元和3年(1617年)

徳川家家系図


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


 何でも来年4月が徳川家康公の400年記念だそうで、下のような旗が参道にありました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15

 芝東照宮は芝公園の一角にあり、元来は増上寺内の社殿でした。

 徳川家康が慶長6年(1601年)に還暦を迎えた記念に、自らの像を刻ませた「寿像」を、自身が駿府城に於いて祭祀していました。

 元和2年(1616年)家康は死去に際して「寿像」を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言しました。

 同年10月に着工し翌元和3年(1617年)2月に竣工しました。この社殿は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」より「安国殿」と呼ばれた。これが芝東照宮の起源です。

 その後、3代将軍家光により寛永10年(1633年)に新社殿が造営され、旧社殿は開山堂となりました。寛永18年(1641年)には移転改築がなされ、駿府城より移築された惣門、福岡藩主黒田忠之が寄進した鳥居、本殿の周囲に拝殿、唐門、透塀が造営され豪奢な社殿が整いました。

 明治初期に神仏分離令により、増上寺から切り離されて芝東照宮となりました。

 明治6年(1873年)郷社に列しました。

郷社とは

 氏子調(うじこしらべ)または氏子改(うじこあらため)は、1871年(明治4年)から1873年にかけて明治政府が行った日本の政策である。国民に対して在郷の神社(郷社)の氏子となることを義務付ける宗教政策である。法令の正式名は、太政官布告第三二二号「大小神社氏子取調」。氏子調規則や郷社氏子制とも呼ばれる。

 明治政府は、明治4年7月4日(1871年8月19日)に太政官布告第三二二号「大小神社氏子取調」を発布し、氏子調を開始する。氏子調は同法令によって郷社とされた神社の氏子となることを義務付けるもので、宗教政策の側面と同時に、戸籍や身分証明の側面を持つ。これは、先史の寺請制度の後継制度と言え、寺請制度は同年9月に廃止されている。

 簡単に言えば、それまで寺請制度によって仏教寺院の檀家となることを義務付けられていたのが、神道の制度に置き換わったということである。

 しかし、明治6年(1873年)5月29日、太政官布告第一八〇号にてわずか2年で廃止された。

 宗教政策としては、キリスト教禁止(邪宗門厳禁)や神道復興の側面を持つが、内政としては戸籍制度の補完、行政単位の区分けという側面も持つ。

 神社・神道を利用した制度ではあるが、発給決定権など権限は戸長に集中しており、神官は単に守礼記入と統計処理を行うだけであった。

出典:Wikipedia

 本殿は大正4年(1915年)、当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定されました。しかし、昭和20年(1945年)5月25日の東京大空襲により「寿像」と神木のイチョウを残し、あとは全て焼失しました。

 昭和44年(1969年)現在の社殿が再建されています。


芝東照宮
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


芝東照宮
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15

本殿

 本殿(ほんでん)は、神霊を宿した神体を安置する社殿のことで、神殿(しんでん)ともいいます。本殿は人が内部に入ることを想定していないため、拝殿より小さいことが多いのです。

 古くは1宇の本殿に1柱の神が祀られていましたが、現在では1宇の本殿に複数の神が祀られることも多くなっています。内部には神体(鏡など)がおさめられています。内陣と外陣に分かれている場合は内陣に神体が納められ、外陣は献饌・奉幣の場として使われています。

拝殿

 拝殿(はいでん)は、祭祀・拝礼を行なうための社殿で、祭祀の時に神職などが着座するところでもあり、吹き抜けとされる場合が多くなっています。

 通常、神社を訪れた際に見るのはこの拝殿で、一般の参拝は拝殿の手前で拍手を打って行なうが、祈祷などの際は拝殿に昇る(昇殿)こともあります。

 拝殿は、一般に本殿よりも大きく建てられ、床を張るのが一般的ですが、中央が土間となっており、通り抜け可能な「割拝殿」(国宝となっている桜井神社のものが著名)もあります。舞殿、神楽殿、社務所などを兼ねることもあります。

 神社によっては拝殿がないところ(春日大社・伊勢神宮など)や、2つ持つところ(伏見稲荷大社・明治神宮など)もあります。2つある場合は、手前を外拝殿(げはいでん)と呼び、奥のものを内拝殿(ないはいでん)と呼びます。鈴(鈴の緒)や鰐口がある場合もあります。

幣殿

 幣殿(へいでん)は、祭儀を行い、幣帛を奉る社殿です。本殿と拝殿との間に位置し、両者をつなぐような構造になっているのが特徴です。中殿ともいう。幣殿が独立していることもあります。また、拝殿と一体になっている幣殿もあります。幣殿がない神社もあります。

 権現造では、本殿・拝殿よりも低い「石の間」と呼ばれる建物が幣殿です。

出典:Wikipedia

芝東照宮の文化財等

 木造徳川家康坐像(寿像):昭和38年(1964年)東京都指定有形文化財。芝東照宮の神体です。

神木の大イチョウ


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


天然記念物の大銀杏(いちょう)   出典:Wikipedia

芝東照宮のサイト

 大イチョウは昭和31年(1956年)東京都指定天然記念物。徳川家光が植樹したと伝えられる神木です。昭和5年(1930年)より昭和27年(1952年)までは文部省指定でしたが、文化財保護法の改正により指定解除となっています。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-15


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-15


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-15


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-15

つづく