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超高層ビルの谷間の日本の美

東京芝の増上寺

12.方丈門(黒門)

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


November 10, 12, 15 2014
Alternative Media E-wave Tokyo
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超高層ビルの谷間の日本の美 東京芝の増上寺
@紅葉   E徳川家霊廟門   J三解脱門   O芝東照宮 
A増上寺概要   F徳川家霊廟   K方丈門   P絵はがき1
B伽藍・大殿   G四大菩薩   L御成門    Q絵はがき2
C伽藍・安国殿   H鐘楼堂・水盤舎   M有章院霊廟門   R狭山不動寺
D西向観音 I惣門 N大門 補遺
歴代徳川将軍家家系

方丈門(黒門)


三解脱門  出典:グーグルマップ

  御成門交差点付近の芝公園・みなと図書館・御成門小学校一帯にあった増上寺方丈の表門であったのが旧方丈門(黒門)です。

 方丈門(黒門)は三代将軍家光公の寄進・建立とされ、慶安年間(1648〜1652)の造営とされております。

 明治時代に増上寺方丈に北海道開拓使の仮学校や海軍施設が置かれ、その後芝公園となったおり、鐘楼堂脇に移築したものを、昭和五十五年(1980年)に当山通用門として日比谷通り沿いに移築しています。

 参考:増上寺公式Web


増上寺の方丈門(黒門)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


増上寺の方丈門(黒門)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15

 三解脱門の芝公園側隣(南側)に、通称、黒門、正式には増上寺旧方丈門があります。

 この黒門は、増上寺の方丈(庫裡)の表門であったたたに、方丈門とよばれていました。また、全体が黒の漆塗であったために黒門と呼ばれていたそうです。

 黒門は、四脚門で建造年代を明らかにする棟札などの記録は見いだせないそうですが、江戸時代初期の特徴を示す洋式から17世紀後半のものと推察されています。一間一戸の切妻造本瓦葺、高さ8mの四脚門です。

 建立当時、増上寺の主要伽藍〈がらん〉はすべて漆塗されていましたが、三解脱門(重要文化財)などの朱塗の建物との対照がきわだち、また蟇股〈かえるまた〉の彩色や飾金具をくっきりと浮き立たせて壮観であったと思われます。

 蟇股には、唐獅子や牡丹が浮彫されていて、精巧で写実的な図柄は、近世の建築彫刻の特徴を示しています。

 参考:港区の文化財保護


増上寺の方丈門(黒門)  増上寺内部から撮影
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


増上寺の方丈門(黒門)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15

 以下は方丈門の脚です。


増上寺の方丈門(黒門)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15

 脚をよく見ると、沢山の木が埋め込まれていることが分かります。おそらく強度補強のためと思われます。


増上寺の方丈門(黒門) 沢山の木が埋め込まれている
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15

 長年の風蝕のため、古色をおびていますが、桃山建築の豪華さの面影もうかがえる門と言えます。

 漆塗は材料が高価なため、近世寺社建築では、徳川氏および有力大名の営むものや庇護を与えたものに限られており、増上寺が徳川家の菩提寺として厚い庇護を得ていたことをあらわしています。

 参考:港区の文化財保護


増上寺の方丈門(黒門)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


増上寺の方丈門(黒門)  日比谷通り側から撮影
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15

 下の写真は、手前の軒が方丈門、真中が慈雲閣そして奥の建物が経蔵です。なお、経蔵については、伽藍・大殿をご覧ください。


出典:グーグルストリートビュー


増上寺の経蔵
出典:グーグルストリートビュー


増上寺の経蔵
出典:グーグルストリートビュー

 増上寺 光摂殿・慈雲閣は、東京都にある斎場(葬儀場)でもあります。下の写真はそのひとつ慈雲閣です。方丈門(黒門)のすぐ隣にあります。


方丈門(黒門)の少し大殿側にある慈雲閣
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15


出典:増上寺公式Web

つづく